10/05/18 23:06:45 zEeOnuCG0
ストイコビッチはユーゴが崩壊しなければ、90-00まで11回連続バロンドールも夢じゃなかった。
まず、90年イタリア大会はボバンが出場していなかった。ボバンがいればアルゼンチンに勝っていただろうから最低でもベスト4以上。
92年ユーロは説明するまでもないが、ユーゴの代替のデンマークが優勝したのだからユーゴが出場していれば優勝。
94年W杯は手術明けのバレージがロマーリオを完封したが、ストイコビッチは絶頂時のバレージを子供扱いにした。よってユーゴ優勝。
96年ユーロは優勝したドイツ相手にクロアチアが2-1で敗れた。分裂した後のユーゴも準優勝したチェコよりも強かった。よってユーゴ優勝。
98年W杯は優勝したフランス相手にクロアチアが2-1で敗れ3位。ユーゴはミヤトビッチのPKが決まってれば、4位のオランダに勝っていた。よってユーゴ優勝。
00年ユーロはさすがにストイコビッチも35歳だったので、優勝は厳しいかもしれんが、ノルウェー戦でMOMを獲得するほどの活躍。
日本に来なければ、ヨーロッパのチームで活躍をしていたのだろうから、90年から00まで11年連続バロンドール受賞もストイコビッチは可能だったわけだ。