11/03/30 11:46:36.12 FADyHsK30
ファミコン版ドラクエ4をプレイした人が誰しも感じたのが「衝撃的な結末と疑問」ではないでしょうか?
ただ単にデスピサロを倒すのが本当の正義だったのか、その疑問です。
しかし、「プレイステーション版ドラクエ4」を本当に最後までプレイして、その疑問が解決しました。
ファミコンでもプレイステーションでも共通な第5章までのストーリーをプレイして「いったい何が本当の悪なんだろう・・・。」と誰もがそう感じたことだと思います。
ファミコン版と普通の「デスピサロを倒してエンディング」の話だけでは、
勇者たち(主人公と周りを取りめく仲間たち=導かれし者たち)が、単純に悪=デスピサロを倒し、世界に平和を取り戻す、それだけでは解決できない疑問(=本当の悪は何だったんだろうという疑問)に対する答えが出せないからです。
それは、ファミコン版ではこれまでの「ドラクエ」とは違うところが、この「4」にはあるからでした。
それはファミコン版ドラクエ4の最後のボスであるデスピサロが『完全な悪』ではなかったということです。
それは、デスピサロもといピサロにも守るものがあって、それを人間が殺した、それを指導した邪悪な存在こそが本当の「悪」だからで、
デスピサロは魔族でこそはあるが、もともと「地獄の帝王エスターク」が勇者たちに倒された時点で、もう世界征服をあきらめざるを得ない状況下で、
それに「火付け」をしたのが本当の悪、つまりそれはデスピサロではないという点です。
ファミコン版でもストーリーが後半になるにつれて、それがはっきりしてきますが、ファミコン版だと「唯一の愛しい存在=ロザリーを殺され、ただ悲しい運命をたどってしまったピサロを倒すストーリー」で、
本当に大事な所が叶っていない、そして、本当の悪は何だったのかという、疑問に行きついてしまうというところがファミコン版にはあったからでしょう。
ここに多くの人が疑問に感じたはずです。