10/10/20 22:36:48
「青春」という物語のなかで主役を任される年齢の時、僕は最悪でした。
単なる一高校生とはつまりバカで、ガキで、役立たずで、そのくせしたたかなつもりで企む野望は野放図に巨大で、
そして途方もなく無力な存在なんです。
そんな存在のことを年上の連中は、何の資格があって希望の象徴であるかのように見るのか。
僕は自分のことを薄汚れていたとは思いませんでした。
しかし彼らの眩しげに若者を見る眼差しは、確実に僕に薄暗い気持ちを抱かせましたよ。
僕がどんなに不満を持っていて、それを言葉にして彼らに伝えても、彼らの眩しげな眼差しは
「不逞な態度をやめよ。汝らはまずわれらに屈服し、その後みずから無力であることを肯定し、われらの与える快楽に満足せよ。」
と言っていましたよ。しかし、洟垂れの高校生がシェイクスピアを演じることに何の意味がある?
教育なんて糞くらいです。日本にあってはしばしば高校・大学生の時代が人生の絶頂期であるかのように言われるのはなぜなのか。
僕は無力なガキで、社会の役立たずでした。僕はそんな役立たずのまま甘やかされることに抵抗していたつもりです。
だいたいそういうことを考えていました。まだ風邪は治っていません。