11/07/12 22:33:52.71 0
>>395
金沢は自ら文化を生み出す力を持たぬまま、徒に時を過ごした不毛の地である。
金沢の工芸、芸能の由来等を見て下さい。
・金沢金箔
【京都山崎】の箔打ち技術をもつ箔屋佐助が現在の七尾市に下って箔商売をはじめ、前田利家に献上
・加賀友禅
扇絵師として【京都で】活躍していた宮崎友禅斎が加賀を訪れ、衣装の彩色を手掛けるようになり、「加賀友禅」の名称が生まれました。
・金沢漆器
金沢漆器は三代藩主前田利常が、【江戸や京都から】様々な分野の名工たちを加賀藩細工所に呼び集めた際、その中にいた蒔絵師の五十嵐道甫や清水九兵衛により技術が伝えられました。
・金沢仏壇
金沢で本格的に仏壇が作られるようになったのは、加賀藩三代藩主前田利常の頃。【江戸や京都から】名工たちを加賀藩細工所に呼び集めて、美術工芸の基礎を築きました。
・加賀繍
加賀地方への仏教の布教とともに、主に仏前の打敷(うちしき)や僧侶のお袈裟(けさ)など、装飾の技法として【京都から】伝えられました。
・加賀象嵌
加賀象嵌は、藩政初期に【京都から】招かれた金工宗家歴代の中にあって、傑出した後藤琢乗が装剣技術を開発したのが起源とされる。
・加賀蒔絵
3代藩主利常が、【京都から】五十嵐道甫、【江戸から】清水九兵衛など蒔絵の名人をまねいて、技術を伝えたのが始まりです。
・加賀宝生
前田家五代藩主綱紀公が【京より】、宝生流九代友春を招いて指南を受け、文化、文政の頃には、能にたずさわる者が三百八十余名にも及んだとされています。