09/07/10 22:26:07 NGci64Re
近年、ネコも杓子も教育論議花盛りである。
しかし、私は懸念する。
それは、教育を語る者の教育程度のことだ。
決して、教育を受けてない者が教育を語ってはならない、とまではいわない。
しかし、教育論がある程度説得力をもつためには、その者がある程度のステータスを持っていることは
絶対条件である。
地位もない、名誉もない、カネもない、尊敬の念を集めないものの
教育論は、空論でしかなく、そして、何より嫌悪感を抱かせやすい。
自らの教育、そして、自分自身の向上なくしては、教育論は価値をもたない。
ゆとり世代にしろ、そうでないにしろ、夢を叶えられる人間なんてほんのひとにぎり。
あとの人間は、挫折し、鬱屈した感情をもちながら、カネのために生きる。
ようは、劣等感の塊になってしまったオッサンが、
若者を相手にして優越感にひたりたいのだろう。
もしくは、性解放に乗り遅れたオッサンのひがみかもしれない。