09/06/26 23:24:26 TrJN5XkB
長くなったので分けさせていただいた。
読みにくくなって済まない。
3「最先端の知識」の問題は、さらに現実を見なければならない。
一定の知的体系を理解してこそ「最先端」が重要になる。
その体系を身につけるまで、ネットに「だけ」ある最先端の知識が
どこまで必要なのかと言えば、ほとんど、その必要性は説明できないだろう。
もちろん、限られた専門家が「子どもたちのために用意した最先端」は
なるべくたくさんあった方が良いが、
それは、ホワイトリスト方式でもできるし
それこそが、博物館などの役割ということになる。
(くどいようだが、博物館などをバーチャルかする手は
ホワイトリスト方式でも、できること)
それなら、ネットが野放しじゃないと手に入らない「最先端」とは何か、
ということが問題となってくる。
これはネットの情報価値の問題となるのだが
「最先端の知識が正しい」という保証をしてくれるのは
その道の専門家だけのはずなんだが、現実問題としては
無条件で、専門家が正しいとも言えない。
それなら、最終的には、自分で判断することになるのだが
体系を持たない悲しさで、未熟な人間にはそれが不可能。
未成年者と言っても、大学生なら、「保護者」として
大学なり研究機関が許可をする手もあるが
小学生に、野放しの「最先端」など、不要だろうな。
もちろん「天才」というのはいつの時代にもいる。
しかし天才は、あらゆる条件をはねのけて頭角を現す物だ。
ネットなどなくても、自分の歩むべき場所を知っているし
求めたい知識もどこで手に入れるべきか、わかるのが天才だよ。
少なくとも、既存の「知の体系」でも、天才は育っている。