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1840年代のイギリスは不作が多く、1845年にはアイルランドでジャガイモ
飢饉が発生し、作付けの1/3が疫病で枯死する事態となり、イギリスから
穀物支援や公共事業支援などがおこなわれ、1846年には、貿易制限政策
である穀物法が廃止された。1846年もイギリスは天候不順にみまわれ
穀物が不作であったことから、海外からの穀物輸入のため正金が流出し
、結果として株式市場の崩壊をもたらした。鉄道バブルは他のバブル
経済とは違い、多くの投資によりイギリスの鉄道網の膨大な拡張という
、はっきりした結果を残した。ただし、その拡張費用はかなり過大なも
のとなった。1830年代後半から始まったこの鉄道網の整備は、1850年までに6,000
マイルが開通し、新たな旅行文化をもたらした。トーマス・クックは、
1843年に世界最初のパッケージツアーを案出し大きな成功をおさめ
「近代ツーリズムの父」となった。近代ツーリズムは欧州各地を経て
世界各地に急速に広がり対象地域を拡大し、利害関係者を拡大し、
マスツーリズムを進行させ旅行形態の多様化を進めた[1]。
1840年代の鉄道バブルは従来の保険業にもあらたな影響をもたらした。
鉄道は馬車などと異なり、運行にたいへん危険をともなうことから、
従来の生命保険会社が傷害保険業務に進出するようになり、
傷害保険契約の内容も、鉄道旅行中の傷害担保から海上旅行中の
傷害担保へ、さらに一般傷害保険、団体保険、疾病保険あるいは
永久給付契約の導入などが生み出された。これらは従来の海上、
火災、生命に次ぐ事業分野に成長していった[2]。1846年には
致命的事故法(en:Fatal Accidents Act 1846)が成立した
鉄道が建設される以前、イギリスの内陸交通を支えていたのは、
運河による水運であった。運河建設においても1790年代に
「運河熱(canal mania)」と呼ばれる投資ブームが発生している
(運河時代を参照)。イギリスの運河網の充実振りもこの時代の
積極的な建設によるところが大きい。また、鉄道狂時代は、1990年代
の通信会社株への熱狂とも比較することができる。
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