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バブルをもたらした原因が何であるのか、いまもって明らかにされて
いない。後述するような民衆の狂気と貪欲さに求める偶発説や、
このような価格の乱高下は日常的であったとする説などがある。
オランダは当時、経済大国であったが、バブルの担い手となった
民衆は貧しい暮らしにあえいでいた。オランダの北部7州は八十年戦争に勝利し、
17世紀の始めには実質上、独立を獲得していた。そこからオランダは一躍オランダ海上帝国として
ヨーロッパに君臨した。これには、ポルトガルから香料貿易を奪った
こと、三十年戦争により中部ヨーロッパが混乱してアムステルダムに
商取引が集中したこと、オランダ東インド会社がバタヴィア経営から
利益をあげていたことなどが背景にある。結果、所得は
最高水準になり、海外の美術品がオランダに集中してきていた。
その一方で、物価もまた他地域にくらべて割高になっていた。
賃労働者や職人らの年収はおよそ250フロリンと推定されている。
これは家族4人が食べていくだけで精一杯な収入であり、肉を
口にすることはめったになかったといわれる。かれらがバブルに
参入するとき、家財道具や家畜など換金できそうなものを取引に
投じた。さらにバブルが生じたマイナス材料として、カルヴァン主義の
浸透があげられる。勤勉と倹約を美徳とするカルヴァン主義が
広まっていた当時のオランダでは、華美な服装などが慎まれた。
富める者も貧しい者も同じような服装をしており、街なかで人の
貧富を見分けるのは難しかったといわれる。こうした信条の
オランダ人たちがなぜ投機に走ったのか、いまのところ解明されて
いない。バブルの進展は三段階に分けて説明できる。
需給の不均衡による高値がついた第一段階、投機家が参入してきた第二段階、
そして元手をもたない庶民をまきこんだ第三段階である。
この第三段階に至ってバブルの様相を呈し、暴落と混乱を招いた。
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