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だが、この1930年に入ると、アメリカの恐慌が日本国内に影響を及ぼす
ようになった。折りしも濱口内閣は金解禁に見合った為替相場を維持する
ためにデフレ政策を取っていたことから、金解禁から半年で日本の
国内卸売物価は7%下落、対米為替相場は11.1%の円高、アメリカの
国内卸売物価は2.3%下落となり、その結果日本の国内市場は縮小し、
輸出産業は円高によって国際競争力を失って不振に陥り、日本経済は
二重の打撃を受けることになった。
濱口や井上はアメリカが恐慌に陥っても世界経済の中心である
イギリス・ロンドンのシティが安定していれば、恐慌はじきに
収まるものと判断して翌昭和6年度予算では更に大幅な歳出削減に
よって14億5千万円にまで歳出を削減することとした。これに対して
政友会や産業界、一般国民からは金輸出の再停止か平価切下げ、
更に景気対策を求める声が噴出したが、濱口内閣の路線は金融界から
は支持された上、元老西園寺公望も政友会が田中内閣時代に行った
対中国強硬路線が招いた国際関係の悪化に不快感を抱いており、
当分は民政党内閣を継続させて対外信用の回復に努めるのが望ましい
と判断してこれを黙認したのである。
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