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1927年(昭和2年)に昭和金融恐慌が発生した時には、田中義一内閣
(1927年4月20日~1929年7月2日)で三度目の大蔵大臣を勤めて、
モラトリアム(支払猶予制度)や紙幣の大量印刷によって当面の
金融危機を回避しました。昭和6年(1931年)には、政友会総裁の
犬養毅内閣において4度目の大蔵大臣となります。犬養内閣では
金輸出の再禁止(12月13日)をして『管理通貨制度』への移行を
促しましたが、これは日本の通貨が兌換紙幣から不換紙幣へと
切り替わる『金本位制度の放棄』を意味しておりイギリスに
次ぐ移行の早さでした。
金本位制を放棄して管理通貨制度に移行したことで、『金の保有量』
に制約されないフレキシブル(柔軟)な積極財政政策を行いやすく
なり、大量の国公債発行による公共事業や軍事への投資が可能に
なりました。高橋是清はケインズ政策の先駆けとも言える公共事業・
軍事予算を活用した『積極財政政策』を実行して、大量の国際を
日銀に引き受けさせることで財政規模を拡大しましたが、国債・
通貨の大量発行によってインフレが発生してデフレスパイラルの
大不況を離脱する原動力となりました。国民経済を破綻させない
レベルのマイルドなインフレを発生させることで、デフレスパイラル
による物価・労賃の下落や雇用の減少を堰き止めることができるの
ですが、これを『リフレーション政策・インフレターゲット』
といいます。
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