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シャハトは英仏米に対し保護貿易を止め、貿易拡大を求めるよう求め、自由貿易を主張した。
輸入代金を「ドイツの商品券」で支払う新しい貿易清算システムを作り、各国は反発し、貿易量も一時減ってしまったが、金や外貨が無いのだからどちらにしてもやむを得なかった。結局新システムでドイツの輸出が振興された。
新システムは、各国の反発を招いたが、大恐慌で外貨が枯渇し貿易に支障がでていた東欧中南米の国々とは、物々交換での貿易は活発となり、植民地を持たないドイツは、独自のドイツ広域貿易圏を持つことに成功した。
欧米諸国は、ドル、ポンド、フランをはじめ軒並み自国通貨の切り下げを行なっている。
マルクも当然引き下げられるだろう、と国際経済筋は見ていた。マルクだけが高ければ輸出に差し支えがあるからだ。
しかしシャハトはマルクの切り下げは頑として行なわなかった。
あれほど輸出を奨励し、外貨獲得に命を燃やしていたシャハトにもかかわらず。
シャハトは、外貨獲得よりも外債の支払いを優先的に考えていた。
ベルサイユ条約の賠償金や、大恐慌前に受け入れた外国投資は、今、ドイツ経済を苦しめている。
これらの外債を支払うには、強いマルクのほうが有利である。
どれだけ輸出業者から要請があろうと、シャハトはマルクの切り下げには頑として応じなかった。
マルクを切り下げたいのはやまやまだった。輸出はドイツの生命線である。これが不振になれば、せっかく上向いたドイツ経済がまた下降するかもしれない。
そこをぐっとこらえて、強いマルクを維持したのである。
マルク創設当初は1ドル=4.2マルクだった。が、1ドル=2.46マルクにまでマルク高となった。
実際のマルクの価値はその半分くらいしかなかったのだが、公定レートは高いまま据え置かれた。そのため、ドイツの抱えていた外憤は半分程度になった。
ドイツ帝国銀行は、ドイツの輸入業者に対しては、マルク高になっても以前のレートでの支払いを求めた。そのため、マルク高になった分だけ、ドイツ帝国銀行の利ざやとなった。
この利ざやが、公共事業費や軍事費に充てられたのである。
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