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自殺者は日米経済戦争の戦死者だ
『月刊日本』2010年1月号 羅針盤
(前略)
日本の軍備について殆ど知識のない私が、両氏の話で特に感銘を受けたのは、軍事大国の
アメリカはいざ知らず、諸外国並み、欧州並みの軍事費を投入すれば、「自前の完結した軍事
能力」も持てるし、核武装もできるという指摘である。すなわちそうなれば、安保条約は廃棄する
ことができるのである。五百旗頭氏は、その言動についていろいろ批判されている人物であるが、
防衛大学の校長なのだから、日本の防衛についてデタラメなことを言っているわけはないだろう。
高級外務官僚だった加藤氏も同じだろう。この指摘は私にとって、新鮮な驚きであった。
ただし私は以前から、安保条約のおかげで日本の経済が助かってきた、という説明には本当
なのかと疑念を抱いてきた。経済成長期に、安保のおかげで経済に集中できたとされるが、
例えば中共では、急速な経済成長と軍備の大拡張とは、立派に両立してきた。更に言えば、
通説とは全く逆に、安保条約のために、日本の経済が甚大な被害を受けた側面があるのでは
ないか。それは日本の経済が成長するにつれて、アメリカが警戒するようになったことである。
一般にソ連の崩壊によって、アメリカの警戒対象が、ソ連の軍備から日本の経済に移ったとされる
が、それ以前から日米経済摩擦は存在した。経済における対日攻撃は、プラザ合意、構造協議、
年次改革要望書などと続き、小泉改革にまで至る。
問題はその攻撃に対して、日本の政治家も官僚も、たいした抵抗もできずに屈服してしまった
ことである。この戦後の経済的敗戦を、「第二の敗戦」と言っているが、第一の敗戦と大きく違う
のは、戦わずして負けたということである。ではなぜだらしなく屈服してしまったかと言えば、それは
国防をアメリカに完全に依存した、アメリカの保護国であるからに他ならない。つまり日米安保が
あったために、日本は甚大な被害を蒙って、経済的に敗北したと言うことになる。それが「失われた
十年」どころか二十年であり、この間GDP は殆ど伸びず、一人当たりGDPで見れば、世界三位から
一挙に二十位近くに急落した。 (続く)