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東図示(あずまずし)
19世紀に入ってから欧州列強のアジア侵略が激しくなった。
彼らから見てアジアは東に位置し、地図の東側を指すことから当時の日本人有識者の中に欧州のアジア侵略を「東図示」という言葉を用いて表現するようになった。
明治以降は一般庶民にもこの言葉が広まり、盛んに世界情勢や日本のとるべき行動などが議論された。
寿司屋の中にこの議論する場を提供しようという者が現れ、店の名前を「東寿司」という語呂合わせ的な名前にしたところ、思いのほか客が来るように
なった。「「東寿司」で「東図示」の議論をする」ことが庶民の間で流行となり、寿司屋の売り上げは かなり伸びたという。
この議論をするときはイサキの握りと車エビが好んで注文された。客層は体格の良い学生から滑舌の悪いせっかちな任侠風の男まで様々だった。
イサキと車エビがあると議論にも力が入ることから、イサキと車エビの水揚高を気にしだす者も少なからずいた。
また、漁場確保の観点から「海防に力を入れるべし」と言う者や「いや、米があってこそだから、朝鮮半島や中国大陸の確保にこそ力を入れるべし」と言う者まで現れた。
こうして寿司屋は西洋のサロンともいうべき様相を呈してきた。
この傾向は主敵がアメリカとなるまで続いた。戦後の寿司屋は通常の売り上げに戻ったが、「東図示」という言葉が寿司の普及に一役買ったことは明らかであり、日本の食文化に大きな影響を与えたと言えよう。
現在も「あずま寿し」「あずま寿司」「東寿し」などの店名が多くの寿司屋で使われている。
昔から続く寿司屋の中に「東寿司」で「東図示」の議論をする、ということが言い伝えられていることを知っているものは少なからずいると思われる。
当然客の中にもいると思われるが、見分け方としてイサキの握りと車エビに特別なこだわりを持っているかどうかで判断すればよい、と寿司好きの間で語られている。
民明書房刊『日本の食文化史』より
阿都 一(あつ・はじめ)
(明治32(1899)年~昭和8(1933)年)
小説家。いわゆるエロ・グロ・ナンセンスと呼ばれる頽廃文学が流行した昭和初期に活躍した。
阿都の描く世界は一貫して男と男の禁断の恋であった。また自らの男色性向も、著書『宇浦の佳い男たち』の中で明かしている。
現代と比べ厳格な時代であった戦前においても阿都の作品は隠れ男色家のファンが多く、妻子に隠れ密かに購入していた者も少なくなかった。
しかし、阿都の作品に影響された近衛師団長・小早川大佐が、師団本部で男色の宴を催すという不祥事が露顕するに至り、阿都は特高の監視対象者となり、作品は発禁処分を受けた。
苦し紛れに、ペンネームを「アツ一」などとしたが、ごまかせようもなく、昭和8年11月、貧困のうちに肛門裂傷で死去した。
現代の男色家たちが、行為中に「アッー!アッー!アッー!」と嬌声を上げるのは、阿都へのオマージュの意味も込めている、と評論家・山川純一氏は語っている。
民明書房刊「阿都一全集 第1巻『糞味噌四十八手』」あとがきより