10/09/15 23:39:48 0
御名謝素(おなしゃす)
武家では、目上の者が家臣に対し自身の名前を恩恵として与える風習があった(豊臣秀吉の場合は
小早川秀秋など)。これは名前を与えられた側は栄誉なことであった。
若狭谷岡家では主君の一字を拝領する場合、その謝辞として「御名謝素」と家臣が主君に言上した。
「御名前の一字をいただき、素直に感謝します」という意味を込めたものである。
また、この一字拝領と同時に谷岡家独自の「免状」が渡された。これは一字拝領したことを証明する
書状として大切に保管された。後に谷岡家の主君から名前を拝領するときは「免状、御名謝素」という
作法が確立した。「御名謝素」の言上は訴えかけるように発声するのがよりよい作法とされた。
渡された免状は、大きな失態や不手際があると召し上げられ名前も拝領前のものに戻された。
しかし何らかの手柄を立てれば再び免状を手に入れ名前を拝領することができた。
若狭谷岡家十六代当主谷岡貫通斎は暴君として知られた。彼は些細な落ち度から家臣の
免状を脅し取った。また、名前を与えるときも「免状、御名謝素」の言上とともに四つんばいにして
犬の真似をさせたりしたので家臣の不満は高まった。このような仕打ちを受けた一人、多田野某、
大坊某、羽田野某らは反乱を起こし鉄砲隊を率いて主君谷岡貫通斎を殺害。力ずくで免状を
取り戻した。しかしこの時の混乱は、後年の越前朝倉氏の侵攻の遠因となってしまう。
現在は名前を拝領する風習もほとんど無いといっていいほどで、本来の意味で「御名謝素」は
使われていない。が、体育会系運動部では各種挨拶などの言葉が変形、省略された形で
使われており「お願いします!」が「オナシャス!」などで使われている。
若狭谷岡家のあった福井県でその傾向が 強いといわれているが、正式な調査はまだ行われていない。
民明書房刊『日本人姓名の変遷』より
鬼棲雷打(おにすらいだ)
戦国時代、武蔵の刀匠数人(かずひと)が鍛え上げた銘刀。
見た目は無銘の日本刀と同じだが、切れ味は非常に鋭い。
その切れ味の鋭さ、耐久性から北条家のみならず日本全国から買い手が集まった。
数人自身はこの刀を作るに際し「鬼が棲み、雷光を打ち込むような凄さを持った刀」を思い浮かべていたという。
このことと実際の切れ味から試作品を使ってみた北条家の侍大将吉井馬安治が「鬼棲雷打」と銘打ってはどうか、と言ったことからこの名が付いた。
「鬼棲雷打」の切れ味を最大限に発揮するには肩・肘・手首・指を鍛える必要があった。
特に指を鍛えこまないとこの刀の力を半分も出せないと言われていた。
そのため、出回っている数に比して使いこなした者は少ない。
どういうわけかこの刀の力を引き出す人物には衆道を嗜む者が多かった。
彼らの多くは刀身の湾曲(反り)に心を惹きつけられた。
記録に残る「鬼棲雷打」の一番の使い手はその性癖のため主君を幾度も変えねばならなかった谷岡八九三衛門であった。
幾多の合戦・剣豪との果し合いを戦い抜いてきたが、最期は痴情のもつれから肛門に刀を刺し込まれて殺された。
遺体は「鬼棲雷打」を刺された状態で地中深く埋められたという。
刀匠の数人は江戸時代に松前藩へ移り住み当時の和人には珍しくアイヌ人と非常に友好的な関係を持ちながら暮らした。
「鬼棲雷打」は何本も作られたため複数現存するが、現在持ち味を発揮できる使い手はほとんどいない。
戦場の剣のため、多くの修羅場を潜り抜けた極道者にその使い手がいるのでは、 と言われているが正確な史料は無い。
ただ、現存している「鬼棲雷打」の多くが暴力団員に今も使われているという事実はある。
野球の変化球に「スライダー」があるが、これの非常に切れ味の鋭いものを「鬼スライダー」と呼ばれることがある。
これを聞いて日本刀に詳しい者は「鬼棲雷打」を思い浮かべる者が多数いる。
民明書房刊『日本刀の歴史と逸話』より