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余生を郷里で送ろうとしたが、郷里へ向かう途中の下北沢を荒らしまわっていた山賊の弁通を退治したことから司馬懿の目に留まり、
皇帝曹芳の強引な勧誘もあって再び魏に仕えた。このころになるとかつての彼の同僚はほとんど死去し、
また生き残っている者も中央で全く無名な衛致を覚えているものはいなかった。
衛致は再び遼東方面の対異民族戦線を任された。
扶余・勿吉・?婁・鮮卑に対して多くの勝利を収めた。が、異民族の中にはかつて戦った衛致の名を覚えているものはいなかった。
248年ころ引退して故郷の遼東に隠棲。250年死去。
故郷の遼東にもなぜか彼の名を知る者はいなかった。
丁重に葬られたがどういうわけか彼の名はあまり覚えられなかった。
衛致は武勇に優れ数多くの功績を立てながら不思議なほど目立たなかった。彼の特徴としては、強引な勧誘に弱いことであった。
しかしながらかえって数々の主君に仕え、多くの功績を挙げた。
官渡の戦い以降主戦線の中原では戦っていないため、名前を知られることはなかったが逆に多くの群雄からの警戒や遺恨とも無縁であった。
対異民族戦に長けていたため、中原の戦いに集中するためにも
彼のような人材はどこの国でも登用したがったことは彼にとって幸いした。
前述の通り無名のため、内部分裂が起きても巻き込まれず、身の安全を保つことが容易であった。
彼は男色家ではないが、女性に囲まれるよりは屈強な兵士と一緒にいるほうが落ち着いていたという。
得物の尺八棒を舐めるのが癖だった。
民明書房刊『中国マイナー武将列伝』より