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移蓮筆
室町時代、日本では和歌を吟じるのが流行していたのは有名であるが、和歌を吟じるには、まず美しい筆運びが最重要であった。
この時、万葉かなを美しく書くために作られたのが「移蓮筆」という流派である。
『その筆の動きはまるで池を移ろう蓮の葉の如く』と言う意味を持つこの筆運びは、
とにかく遅いが正確かつ美しい字を書けるため、流行した。
但し、多人数で吟歌する場合にはこの筆運びは勿論迷惑だったため、
顰蹙を買い結局1人あるいは気のおける仲間内でしか使われる事は無かった。
なお、現在野球で見られる球速の遅い球種である「イーファスピッチ」の由来は先述した「移蓮筆」に由来するのではないか、
と指摘する学説もある。
民明書房刊 「日本源流を学ぶ」より
the IMP(internal monosexualizer for pharmacists)
分子式:C8H9O3
化学構造式:
OH
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C6H5
|
COO
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CH3
1893年、ドイツの薬学者ハッタンノ・ウィヒによって合成された。
ウィヒや同僚のニッペ・ヤパナ・デービシュらは研究に没頭するあまり、日頃から頭痛に悩まされていた。
当時、ヤナギの木からサリチル酸という鎮痛作用のある物質が分離されていたが、これには強い胃腸障害という副作用があった。
この問題を解決すべく研究を重ねていた二人だったが、決して裕福とはいえない彼らの研究費は底を付きかけていた。
そんなある日、ウィヒおよびデービシュの先輩、カズ・ナリッヒ・トゥドゥネが
「全裸絵画のモデルを一緒にやろう。モデル料はお前たちの研究費に充てるから」と、半ば強引に2人を誘った。
当時のドイツでも男性同士の好色は禁忌とされており、水面下で嗜む者が多かったが、
トゥドゥネはその世界に魅入られ、後輩の二人と交わる構図の絵画のモデルとなった。
5マルク(当時の一般労働者の月収はおよそ70マルクとされる)のモデル料を受け取ったトゥドゥネは
約束どおり後輩の二人にそれを譲り渡し、
ほどなくアセチル酸へさらに化学反応を加えることで副作用の少ない物質を分離することに成功した。
多くの学者を招いた研究発表の場において、この物質を二人は試飲してみた。
すると、鎮痛・解熱効果は従来どおり、しかも心配されていた消化器への障害はあまり認められないという効能が見られたが、
さらに予期せぬ副作用が。
トゥドゥネと交渉した経験があるとはいえ異性愛者だったウィヒ、デービシュの二人も、
なぜか人目をはばからず互いの男根をむさぼり、求め合うようになった。
忘我の極みへと到達した彼らの発表は中止せざるを得なくなり、この会合自体も
歴史から抹消されることとなった。
この物質は「薬学者のための内面を単一性愛化する物質」の英語の略称、「IMP」と名づけられ、精製が禁じられることとなった。
なお、現在発表されている「アスピリン」の分子式はC9H8O4である。
また、アジアの血を引いていたデービシュの末裔が日本国内の化学物質メーカーの創始者であるという説もあるが定かではない。
民明書房刊『中世ヨーロッパ裏歴史』より