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飯河 玄西郎
Iikawa Gennishirou
(1836~1867 日本)
江戸時代末期の長州藩の武士。
当時、長州藩は倒幕のための情報収集をしており、
玄西郎も素性を隠して清野某と名乗り、江戸城出入りの染物屋にて手代を務めるかたわら
得た幕府の情報を長州に横流ししていた。
幕府側も、玄西郎が出入り商人の中にいてスパイ活動を行っていることは把握していたが
それが誰なのかは分からず、そのため幕府の部外秘の情報が漏れる度に
「飯河玄西郎」と名を挙げて牽制するも、玄西郎の情報リークは全く止む気配がなかった。
しかし1867年、江戸城の小姓が染物屋の清野某に暴行されたことがきっかけで
清野某=飯河玄西郎であることが判明すると、自らの肛門に刀を刺して自害した。
その後の倒幕の裏には、玄西郎の捨て身の情報リークがあったとされる。
現代においても、不利な情報リークをする者に対して江戸幕府と同様の手段をとる者がいる。
その文言は「飯河玄西郎」転じて「いいかげんにしろ」というものであるが
やはり当時と同様、乱発したところで効果は全くない。
民明書房「男色光明社伝」より
伊倶都(いぐ・みやこ)
(明治33(1900)年~昭和7(1932)年)
大正~昭和初期の小説家。阿都一(あつ・はじめ)と並んで男色の小説家として有名。
伊倶自身は当初男色に興味を持つことは無かった。転換期は兵役時、シベリア出兵に
行ったときだった。
雪中に孤立した際に、廃屋の中で兵士が裸になり男同士で暖めあう体験が彼を
同性愛の興味を眼覚めさせた。
復員後、この体験を『夜裸無衣家』の中で記述、民衆に大きな衝撃をもたらした。
この作品は特に若い 兵士が物珍しさや度胸試しで購読するする者が多かった。
同時に、風紀を乱す者として特高警察にマークされた。
それと察した伊倶は、朝鮮半島に渡り名前を「イグツ」と朝鮮語風の読み方に
変えたが官憲に捕まり、懲罰的に再召集され折りしも満州事変のため東北三省で
戦いが起きていたがそこへ送られ昭和7年2月、ハルビン攻略戦で戦死した。
後、シベリアに連れ去られた兵士が酷寒の中、裸でお互いを暖め合ったかどうかは定かではないが、兵士達に読まれた伊倶の話が受け継がれいる可能性はある。
現代の男色家たちが、射精時に「イグッ!」と言うのは、伊倶へのオマージュの
意味も込めている、と評論家・山川純一氏は語っている。
民明書房刊「伊倶都全集 第1巻『我こそが艶美無双也』」あとがきより