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技術などは枝葉末節に過ぎない。それは強くなるための手段であってそれ自体が目的ではないのだ。
文明が進化するように骨法の形も進化していく。堀辺師範の言葉は示唆に富んでいる。
『格闘技通信』1996年7月8日 160号
「B-2ルール模索の旅 総括」
朝岡 あと堀辺師範!掌打中心の3年前の「骨法の祭典」のスタイルから、最近はかなり柔術に近いスタイルに
なったりと、急変しすぎじゃないかって疑問があるんですけど。
堀辺 これはもう仕方ないと思うんですよね。自分が求めているものは、あくまで強くなること なんですよ。
だから強さを追求していくうえにおいて、技とか格闘技の体系とかっていうものは、 すべて手段であるということです。
だから例えば、日本からアメリカへ行く時に、昔は蒸気船に乗って、相当な日数を要して渡ったわけですよね。
しかし今は、飛行機もあると。
だから我々は、船や飛行機に拘っているわけでなく、目的地にどうしたら行けるかが大切なのであって、
骨法という集団は、そして私は、どうやったら短い時間で最高に強くなれるか、真剣に考えているわけです。
朝岡 ……。
堀辺 決して、新しいから取り入れるんじゃなくて、強くなる方法として最善だと考えた時には、変革していく
ということです。だからもし、何でも有りの闘いの中で、これ以上の闘い方があるならば、我々はまた
変更することもありうるのです。
技とかシステムとかってものは、強くなるための手段であって、それ自体が目的ではないということを理解すれば
文明が進歩していくように、骨法の形っていうのは、絶えず変遷を遂げていくのが当たり前であると。
なぜならば、自分の考えている骨法というのは、伝統芸能ではないということです。ただ、掌打とかに関しては、
何ら変更はないわけですよ、我々は。