10/03/22 14:11:53
なるほど。ただ、そういう仮定はほかにもいろいろできるし、きりがない。
なんかおもしろい結論があるのかな。
3:ゼッケン774さん@ラストコール
10/03/22 14:14:50
セコトシヒコドンジゲソ
4:ゼッケン774さん@ラストコール
10/03/22 14:22:35
84年のロス五輪と88年のソウル五輪は北朝鮮ボイコット。
異常に勝率の高いマラソンランナーとして競技人生を終えていた。
マラソン15戦13勝くらいか?
5:ゼッケン774さん@ラストコール
10/03/22 16:09:57
①瀬古利彦
②チェルピンスキー
③ネイブール
6:ゼッケン774さん@ラストコール
10/03/22 17:28:49
中村清が帰化を勧めて、ひっそり日本人になっていた可能盛大
故に北朝鮮代表になることはありえない
また1980年前後は北朝鮮籍の選手がアメリカに行くのは非常に難しい時代だった
そう考えるとボストンやシカゴは出られなかった可能性が高く、ボストンやシカゴを出られない(=勝っていない)ことから瀬古利彦としてのマラソンの世界的評価が下がっている可能性がある
ちなみに金哲彦さんは、中村清さんに帰化を勧められたのを拒否し、またソウル五輪時にマラソンの韓国代表として打診がきたのを、「南北合同チームとしての代表なら受ける」として辞退した経緯がある
(金さんは当時北朝鮮籍で、ボウルダーへの合宿でアメリカの出入国の煩雑さから現在は韓国に国籍を移している)
と、マジレスして釣られてみたけど、あまりに時代背景を知らずに安易な書き込みを行うにもほどがある
瀬古を奉りたいのか、貶めたいのか、五輪至上主義に中で五輪メダリストを輩出させたい妄想に駆られているのか分からないけど、もっと歴史の勉強をした方が良いね
7:ゼッケン774さん@ラストコール
10/03/22 17:42:04
スレ立ては嫌われるだけだと気づいた方がいい
五輪至上主義は当然である
五輪の金メダルを最大の目標にしてたのが瀬古
惨敗したからといって今更五輪はどうこういうのはお門違い
8:ゼッケン774さん@ラストコール
10/03/22 20:05:59
一発屋で終わった可能性もある。ボストンやシカゴには出られそうにない。
モスクワ金で満足してしまったかも
9:ゼッケン774さん@ラストコール
10/03/22 20:10:37
第1回世界選手権でも金メダル
万全の状態ならキャステラより強い。
10:ゼッケン774さん@ラストコール
10/03/22 20:13:54
瀬古は一発屋にもなれなかったけどね
妄想の世界に浸る中高年はキモすぎる
11:ゼッケン774さん@ラストコール
10/03/22 20:19:12
キャステラが世界記録を出した福岡国際
この記録を生涯超えること出来なかったのが瀬古
勝負最優先の五輪でもキャステラのが着順上
この結果見ればキャステラより弱かったのは明らか
12:ゼッケン774さん@ラストコール
10/03/22 20:23:35
でも酒は強いし、下ネタにも強い。
13:ゼッケン774さん@ラストコール
10/03/22 20:23:57
瀬古が走った当時のロンドンシカゴなど
当時のロッテルダムより劣るような格の大会である。
14:ゼッケン774さん@ラストコール
10/03/22 20:25:08
恐ろしいよ
↓
誰も知らない在日特権1
URLリンク(www.youtube.com)
誰も知らない在日特権2
URLリンク(www.youtube.com)
誰も知らない在日特権3
URLリンク(www.youtube.com)
誰も知らない在日特権4
URLリンク(www.youtube.com)
誰も知らない在日特権5 ← (生活保護の話)
URLリンク(www.youtube.com)
誰も知らない在日特権6
URLリンク(www.youtube.com)
15:ゼッケン774さん@ラストコール
10/03/22 20:27:43
そういえば
朝鮮人より実績で劣ってるよね瀬古
SBらに入社したケニアのワキウリにも軽く抜かされたしw
16:ゼッケン774さん@ラストコール
10/03/22 20:43:27
瀬古がモスクワ代表決めた福岡国際は国近が勝った福岡国際みたいなもん
数秒宗兄弟に勝っただけ。
瀬古の弟子の国近が五輪本番で失敗して一発屋として消えたように
瀬古もモスクワに出場してたら弟子の国近のように大惨敗して消えてただろうね。
17:ゼッケン774さん@ラストコール
10/03/22 21:35:50
モスクワは米国も日本もボイコットだったし、アフリカ勢はエチオピアくらいしか強い国はなかった。ケニアが本格参戦して
きたのは80年代も後半。これは相当東側にとって、おいしい展開。
ところで、もし宗兄弟が仮に在日朝鮮人として生まれていたらモスクワはどうなってただろう?
18:ゼッケン774さん@ラストコール
10/03/22 23:21:19
>>16って瀬古スレにいつもいるアンチだよね
19:ゼッケン774さん@ラストコール
10/03/23 14:49:43
みんな、チェルピンスキーをバカにするけど、あの全盛時のショーターを1976五輪で破った中盤でのスパート力はあなどれない。瀬古はラスト勝負できん?
20:ゼッケン774さん@ラストコール
10/03/23 18:18:46
>>6
金さんは元北朝鮮籍じゃねえよ。「朝鮮」籍だ。
(1945年から朝鮮戦争終結まで存在した幻の国だ)
今は韓国籍になってるけど。
しかも、ソウル予選時点では、代表選手になることは考えてもない。
韓国籍に移したのは、バルセロナを目指すためだ。
21:ゼッケン774さん@ラストコール
10/03/24 14:59:58
モントリオールは30Kから35Kで57.95M登る。チェルはここでスパート15分16のスプリット。すごい。ショーターもこれではつけん。by陸マガ。
22:ゼッケン774さん@ラストコール
10/03/25 03:03:07
確かに凄いですよ、それは。五輪にピークを最高潮に持って行く能力は本当に只者ではない。
23:ゼッケン774さん@ラストコール
10/03/25 08:42:46
チェルピンスキーとラッセビレンは同タイプ。五輪以外はただの人。ピーキング能力は二人ともすごい。前者はバカにされ、後者は尊敬される。
24:ゼッケン774さん@ラストコール
10/03/25 11:34:46
>>ケニアが本格参戦してきたのは80年代も後半
クソジジイどもはまだ目が覚めないのかwww
25:ゼッケン774さん@ラストコール
10/03/25 15:54:19
収入には税金が課せられますね。サラリーマンは月給から天引きされます。
駅前の食堂は売り上げから材料費や人件費などの経費を差し引いて儲けを税務署に報告し、税金を払います。
税務署が疑問を抱けば、計算の根拠を帳簿や現物から確認します。これらの場合は
収入に応じた税金を払っているかどうかが問題になります。
一方、法律で禁止されている麻薬や武器を輸出して儲けた場合、税務署に報告できません。
いわゆる汚れたお金だからです。金額が大きいのでそのまま使えば
税務署にばれます。税務署は収入を報告して税金を正しく納めているか調べます。
その結果麻薬で儲けたことが分かればすべてのお金は没収されます。法律に反した取引で得た収入だからです。
ここから汚れたお金をきれいなお金に変える工夫が必要になり、貿易商に化けて海外で儲けた汚いお金で
高級車を買って自国へ持ち込み販売したりします。
車を売ったお金はきれいなお金です。しかし、この程度のことは警察や税務署も研究しているので、
マネーロンダリングの方法はその都度複雑になります。
その具体的な方法を質問するのは、違法なことを伝授することになるので仮に知っていても誰も教えられません。知る必要もないでしょう。
辞書的な意味でマネーロンダリングがどんなものか分かれば十分だと思います。URLリンク(www.e-proactive.com.hk)
知りたいのであれば、稲垣裕行司法書士に依頼すれば、クリーニングを教えて貰えるでしょう。URLリンク(www.nanohanalaw.com)
26:ゼッケン774さん@ラストコール
10/03/28 22:30:29
瀬子氏は1万mでもモスクワ五輪ならばメダルの一角に食い込んでいたことだろう。
27:ゼッケン774さん@ラストコール
10/03/28 23:14:57
北って意外にレベル高い
28:ゼッケン774さん@ラストコール
10/03/29 14:59:45
>>26 瀬古さんってそんなすごい人だったのか!マラソンで金。1万で銀OR銅。まるで、皇帝ハイレじゃないか。
29:ゼッケン774さん@ラストコール
10/03/29 23:41:01
モスクワ金のミルツ・イフターはラスト400を51秒でカバーした。この人は
別格というのが当時の認識だったが、力の衰えたラッセ・ビレン(フィンランド)
がラスト1周まで付いていけるスローな展開だったので、瀬古メダル確率は意外に
高い。織田幹雄氏は「1万でも2等になれたなあ」と大いに悔しがったという。
30:ゼッケン774さん@ラストコール
10/03/30 14:55:42
織田さんがいうならそのとおり銀だろう。でも、イフターって人は何者?ラストが51秒なんてスゴスギ。
31:ゼッケン774さん@ラストコール
10/03/30 20:41:02
今の若いのはイフターも知らないのか
アフリカが本気を出したら今の時代なら瀬古など通用しない、と駅伝房が叫んでいるけど、
1980年モスクワ五輪の10000mで優勝したエチオピアの選手だよ
ちなみにオレはモスクワ五輪時、小学校低学年でイフターの活躍は大学時代に知った
ちょっと陸上競技の歴史を勉強すればイフターの話は必ず出てくると思うが
32:ゼッケン774さん@ラストコール
10/04/02 18:35:38
>>31
イフターって小柄でラストが抜群に強い奴な。
ゲブやベケレタイプの当時最強ランナー
でも瀬古の時代て、10000mの記録も世界との差が21秒くらいだったのかな。
瀬古が外国人と走っても負ける気がしなかったよ。(観てるこっちがね)
勝負重視のレースになればなるほど瀬古のもんだと思ったね。
33:ゼッケン774さん@ラストコール
10/04/02 22:26:21
現在までで国内「最強」のレースを見せたのはこのときの新宅じゃないか。
なにせ競技会ではなく中村孝生を五輪標準記録突破させる為に開いた
「エスビー食品記録会」で出したんだからな。
それまでの国内最高は76年スポニチ国際で出したケニアのモーゼの28分09秒8、
日本人最高は81年の東日本実業団での瀬古利彦の28分18秒1。
観客もほとんどいない中、後半は一人でのタイムトライアル状態。
27分44秒5は当時の瀬古の日本記録(27分43秒44)に肉薄し
この年1983年の世界ランク9位の記録になった。
このニュースを見たとき、「強い」と唸ったものだ。
34:ゼッケン774さん@ラストコール
10/04/10 09:56:58
ロス五輪では新宅は、うまく行けば、銅メダルあたりにひっかかる実力があった。
35:ゼッケン774さん@ラストコール
10/04/10 10:02:58
モスクワ前後の北朝鮮は、意外、というか、かなりマラソンのレベルが
高かった。チェ・チャンソブなどは79年の福岡国際マラソンで5位に
入っている。
36:ゼッケン774さん@ラストコール
10/04/10 10:42:12
瀬古利彦(仮に北朝鮮国籍の場合)マラソン全記録リスト
77. 2 京都マラソン 2:26.00 ⑩
77.12 福岡国際マラソン 2:15.00 ⑤
78.12 福岡国際マラソン 2:10.21 ①
79. 7 モスクワ・プレ五輪 2:13.06 ①
79.12 福岡国際マラソン 2:10.35 ①
80. 8 モスクワ五輪 2:10.51 ①
83. 2 東京国際マラソン 2:08.38 ①
83. 8 ヘルシンキ・世界選手権 2:10.00 ①
83.12 福岡国際マラソン 2:08.52 ①
84.12 福岡国際マラソン 2:09.21 ①
85. 4 広島・ワールドカップ 2:07.54 ①(当時世界最高)
86. 4 ロンドン・マラソン 2:10.02 ①
86.10 北京マラソン 2:06.59 ①(当時世界最高)
87. 9 ローマ・世界選手権 2:11.09 ①
88.10 北京マラソン 2:07.16 ①
マラソン15戦13勝 勝率:867
37:ゼッケン774さん@ラストコール
10/04/10 12:39:20
80年代最強はロペスか瀬古?
38:ゼッケン774さん@ラストコール
10/04/11 02:52:35
>>6
金さんは、早めに韓国籍を取得していたら、ロス五輪はともかく(当時まだ20歳)
ソウル五輪は代表になれたでしょうね。なにしろ、87年の別大で出した2時間12
分35秒は、当時の韓国記録を上回っていたんですから。
39:ゼッケン774さん@ラストコール
10/04/11 08:31:43
キム木下 いらん
40:ゼッケン774さん@ラストコール
10/04/11 11:53:22
韓国は84年に初めて2時間15分を突破した(しかも2時間14分59秒)
中村清が「木下なら2時間10分は可能だ」と言ったのを目にして
「へーえ、木下って日本人じゃないんだ」とその時、知った。
41:ゼッケン774さん@ラストコール
10/04/11 15:18:28
北>南だったわけだな当時
42:ゼッケン774さん@ラストコール
10/04/11 15:29:22
北でもなく南でもない、幻の国籍・朝鮮籍。
この籍のままだと一生国際試合に出られないから帰化を勧めた中村清は
やっぱり正しかった。
43:ゼッケン774さん@ラストコール
10/04/12 01:09:44
中村清つて石井隆士の次に日本記録保持期間長かったんじゃなかったけ?
44:ゼッケン774さん@ラストコール
10/04/15 14:31:15
中村清は韓国の人なのか?
45:ゼッケン774さん@ラストコール
10/04/15 15:09:38
ナカムラキヨシ病
瀬古古古古マラソン病
箱根病
46:ゼッケン774さん@ラストコール
10/04/15 22:29:03
中村清は日本人だけど、生まれはソウル。当時、朝鮮半島は、日本の植民地
時代であった。
47:ゼッケン774さん@ラストコール
10/04/15 23:28:53
金哲彦もだけど、高橋雅哉も川越学も卒業後はエスビー食品へ就職する
ものと思っていた。
当時の早稲田は今よりはるかに有望高校生を確保しにくい事情があったけど、
本当に実戦に強くて頼もしい大学だった。
昭和61年の箱根駅伝は、一人、そこそこ走れる1年生が入学していたら
3連覇も達成可能であった。
48:ゼッケン774さん@ラストコール
10/04/16 09:19:29
と箱根駅伝病患者のQさん
49:ゼッケン774さん@ラストコール
10/04/16 09:42:26
>>47
金さんは、日本の実業団で走る場合、
各々の会社から通名を強要されたらしいからね
リクルートの人事担当の人から、
「ウチの会社は金さんも、李さんも働いています」
と通名にこだわらなかった(当時にしては画期的な会社だった)のが、
リクルートにした決め手だった、と当時のランナーズだかで記事になったのを覚えている
あと、高橋さんはは卒業後は競技をする気が無かったようだし、
川越さんは中村清さんが亡くなって、競技を止めるつもりで資生堂に入って
会社に説得されて競技を続けることになった
最後に明けた61年の箱根は、厳密に言うと二人ね
往路終了時7分近くあった差が、7区で3分半、アンカーで4分負けた
アンカー時点で2分早稲田が勝っていたから、あと一人というのはあながち間違いじゃないが、
その時の順大のアンカーは当時の高校5000m記録保持者だった工藤康弘さん
あの時の敗戦で、早稲田はいまだに箱根駅伝三連覇を達していない
50:↑
10/04/16 09:54:42
箱根病のコイツとリクルーとランナーズは重症
瀬とキム木下ハゲツイホー
51:ゼッケン774さん@ラストコール
10/04/16 16:34:33
>>49早稲田のアンカーは5千、15分30秒がベスト記録だったよな。
坂口泰が言ってたが、中村監督時代の早稲田エリート(特に瀬古)は箱根ごときに目標なんて持つな
それより先の世界レベルだけ考えろと言ってたらしいな
52:ゼッケン774さん@ラストコール
10/04/16 20:24:49
>>51
ただ、その早稲田のアンカーは、後がない4年生だったが、
800mインターハイ2位の選手だった
もう少し距離適性があればわからなかったかもしれない
53:ゼッケン774さん@ラストコール
10/04/16 23:01:36
藤原良典。400と800がもともとのメイン。20kmベストが1時間06分
50秒。逆転されて当たり前。区間14位は100点満点の出来だろう。順天堂
が、往路でもたつき過ぎ。
早稲田7区の太田は確か5000mベストが15分11秒。区間11位は、むしろ
出来過ぎ。当時の早稲田は区間下位でも、当人の持ちタイムからすれば「納得」
という面があった。
なんで今の早稲田は、個々の能力が高いのに、本番でしょぼいチームに成り下がった
のだろう? それとも実際の力は、持ちタイムほどのモノではないのか?
54:ゼッケン774さん@ラストコール
10/04/16 23:31:01
早稲田て、もともとは中距離だった選手が随分箱根を走っていそう。中村恵一郎とか。
55:ゼッケン774さん@ラストコール
10/04/17 01:20:58
昭和60年の優勝メンバーから遠藤、高橋、赤堀、伊藤、尾崎、と5人が抜けた。
次の年、箱根を走った1年生が一人もいなかった。相当戦力ダウンしていたのがうかがえる
だが、当時の学生長距離界は氷河期で、昭和61年を例にとってみると、1万m29分切り
のランナーが一人もいなかった。優勝候補に挙げられた学校が7校(当時としては異例)に
及んだのも、地盤沈下が理由だろう。
金哲彦は、現代で言えば「山の神」に該当する。今のコースに換算しても1時間20分は切れる
走力はあっただろう。しかしながら、学生時代の金の5000のベストは14分19秒。1万は
29分41秒。現代からするとトラックの走力で相当見劣りがする(現代の○×記録会での28
分台と単純比較出来ないが)。実業団で少し記録は縮めたみたいだが、5000m13分台や
1万28分台は1度もマークしていないと思う。やはりスピード的な面で限界があったか。
マラソンのベストタイム2時間11分48秒は、ほぼ能力を出し尽くせたと私は思う。
56:ゼッケン774さん@ラストコール
10/04/17 01:26:46
在日ならば高校時代国体に出られなかった瀬古さん
結局はプラス面よりも「負」の面が多かった筈。
57:ゼッケン774さん@ラストコール
10/04/17 08:21:30
>>56
なんで国体に出られないのが負になるのかわからない
当時も今も、秋は過密日程になっているので、
国体に出られなければ、3年次も京都の1区で区間賞だったかもしれないのに
58:ゼッケン774さん@ラストコール
10/04/17 22:34:58
瀬古の2区区間記録は距離変更しないで残してほしかったな
いくら調整でもその後のランナーとの比較ができたのに
59:ゼッケン774さん@ラストコール
10/04/18 08:19:46
>>59今でも比較は出来ます
60:ゼッケン774さん@ラストコール
10/04/19 00:07:43
モグスのほうが速さという点では記録的価値は高い。
ただ、当時の瀬古さんは、強さという点で文字通り他を圧倒していた。
のちの同僚となる中村孝生も新宅も3分以上負けた。
今となっては瀬古vs新宅という黄金カードが本当に2区で実現していた
と知って「ぜひリアルタイムで見たかった」と心底残念でならない。
61:ゼッケン774さん@ラストコール
10/04/19 00:11:07
瀬古は何故あれ程までに強かったんだろうか
と今更ながら回顧してしまうな
62:ゼッケン774さん@ラストコール
10/04/19 00:18:56
2時間6分台でいけた。
ペースメーカー等のお膳立てがある現代ならば
2時間5分台は出せた。
63:ゼッケン774さん@ラストコール
10/04/19 00:55:26
周りの力量と比較した場合、瀬古が図抜けた強さだったのは真実だろうよ
6分台は当時は難しいだろうね ペースメイクがまだ確立してないし
それより83東京のコースが正常なら世界初の7分台だったな
64:ゼッケン774さん@ラストコール
10/04/19 05:41:29
35kmから勝負かけてれば世界記録だった。
この前、20数年ぶりに東京マラソンのレースをyoutubeで見たが、
ロドルフォ・ゴメスとは、はっきりと格が違うと確信した。
ところで、このゴメス、モスクワ五輪では6位に入賞しているのだな。
で、このレース4位のネディはモスクワ7位。
65:ゼッケン774さん@ラストコール
10/04/20 15:56:51
モスクワ五輪は3位から5位までがソ連勢なんだね。
66:ゼッケン774さん@ラストコール
10/04/20 16:39:53
③ズマナザロフ(2:11.35)
アジア系で現在ならば、どこの国籍になっていることやら・・・・・
モスクワの前年、福岡にやってきて11位。瀬古氏とはかなり実力差が
あった。
67:ゼッケン774さん@ラストコール
10/04/21 23:28:46
79年の福岡で5位に入ったチェ・チャンソブて凄い実力者じゃないか?
当時で2時間11分40秒は、世界歴代で50傑には確実に入っていた筈。
68:ゼッケン774さん@ラストコール
10/04/22 05:23:22
突然変異のよういモスクワ前後に北が台頭。コ・チュンセンが80年3月に2:10.52をマーク。瀬古・宗兄弟よりは
落ちるが、これは五輪で6位以内に入っても少しも不思議でないレベル。思えば、当時、北は拉致しまくり状態で日本海を
縦横無尽に往来していたのだろう。どんなトレーニングをしていたのか。
69:ゼッケン774さん@ラストコール
10/04/24 05:35:28
瀬古時代は良かった
70:ゼッケン774さん@ラストコール
10/04/29 22:49:24
名勝負製造メーカーという感じ。
71:ゼッケン774さん@ラストコール
10/05/01 00:16:52
イカンガーを千切ったレースでラスト1kmを2分52秒でカバーした瀬古。
やっぱり凄いとしか言いようがない。
72:ゼッケン774さん@ラストコール
10/05/24 00:08:23
>>32
エチオピアのイフターはかなりの高齢だった。
1944年5月15日生まれ。モスクワ五輪当時で36歳。
大変な遅咲きだったということだろう。
73:ゼッケン774さん@ラストコール
10/06/02 09:32:54
モスクワからロスまでの間はマラソンに限らず、陸上競技全体が恐ろしく飛躍した
時期だったように思う。ロス当時の瀬古はモスクワの時よりさらに強くなっていたが
世界も層が厚くなっていたから「絶対金確実」とは思えなかった。
74:ゼッケン774さん@ラストコール
10/06/12 00:04:01
金獲得するならモスクワだったろうね
ロスはロペスが強すぎた。
瀬古が好調でも銀だろうな
75:ゼッケン774さん@ラストコール
10/06/12 01:15:03
カルロス・ロペス/トラック記録
5千m;13分16秒38 1万m;27分17秒48
URLリンク(www.iaaf.org)
76:ゼッケン774さん@ラストコール
10/06/12 01:44:26
社会主義国家は当時ドーピング万歳してたんだよ
77:ゼッケン774さん@ラストコール
10/06/12 16:23:19
>>76
シルドハウアーを言うならまだ理解できるが、
ロペスはポルトガルの選手だよ
78:ゼッケン774さん@ラストコール
10/06/14 00:20:38
モスクワは残念だったね
ドーピングのチェルピンスキーでも後半勝負でも負けなかっただろうに
79:ゼッケン774さん@ラストコール
10/06/18 22:57:26
ロスの時のロペスは強すぎた。2時間5分台の走力を備えていた。
トラックの記録でも瀬古以上だから得意の「最後までピタリと付いていって
強烈無比のラストスパートで引き離す」ことも非常に厳しい。と言うか、
ロペス相手では、最後まで待って、などという戦術も取るわけに行かず
途中で揺さぶりをかけて振り落とそうとする作戦を選択する筈だ。
81年ボストンでの対クレイグ・バージンの時のようなレースを試みることだろう。
80:ゼッケン774さん@ラストコール
10/06/19 00:48:45
瀬古好調でもトレーシーとスペディングとのトラック勝負でかわして銀メダルだったろう
81:ゼッケン774さん@ラストコール
10/07/04 11:20:56
瀬古さんの凄い所はマラソンをやりながらトラックでも世界の強豪と渡合えた事。当時、世界もまだ発展途上だった事もあるが
82:ゼッケン774さん@ラストコール
10/07/08 13:05:50
トラック1万の記録が世界ランクしたのは瀬古と中山で最後か?
83:ゼッケン774さん@ラストコール
10/07/09 21:57:54
瀬古の振り向きざまスパートは子供心にかっこよかったよ
84:ゼッケン774さん@ラストコール
10/07/13 10:44:46
79年の福岡国際マラソンの画像が見たくなった
85:ゼッケン774さん@ラストコール
10/08/27 21:53:59
瀬古が朝鮮人だったらチンコが短いわけだから走るのに邪魔にならない分更に強かっただろう
なまじ日本人の劣等遺伝子を持ったばっかりに
86:ゼッケン774さん@ラストコール
10/08/29 00:10:45
4人の子宝に恵まれた。
長男・昴氏は慶応大学に進んだのは知っている。
87:ゼッケン774さん@ラストコール
10/08/29 07:29:26
>>78
モスクワでの35kmからの薬がかりの走りはすごかった。
チェルピンスキーは2度の五輪金に加え、
第1回の世界陸上(ヘルシンキ)でも銅で
世界大会には異常に強かった。
瀬古とは正反対の成績。
88:ゼッケン774さん@ラストコール
10/08/29 14:34:09
>>80
金狙いでロペスと勝負し撃沈、
宗猛にも抜かれて5位では?
89:ゼッケン774さん@ラストコール
10/08/29 23:49:08
スペディングと宗猛との差は59秒あったが宗猛とキャステラの差は14秒。その間に瀬古利彦を
ねじこむのは微妙ではあるが。
90:ゼッケン774さん@ラストコール
10/08/30 08:37:52
そうすると好調でも順位はかわらなかったかな
91:ゼッケン774さん@ラストコール
10/08/31 07:29:28
本当に不調だったのか疑問
92:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/01 20:31:38
キャステラ(前評判では瀬古と並ぶ優勝候補の双璧)の5位は不調ではなく実力相応だったと現在では思う。
あとキャステラから1秒差で6位のジュマ・イカンガーも実力相応という感じ。
宗猛4位は出来過ぎだったと思う。4位は「取って悔しい順位」であり、なかなか世間では
評価してくれないポジションである。実はとてつもない快挙だったんだ、と気付いたのは20年近くも
経ってからのことだった(私の場合)。
93:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/02 11:50:00
金哲彦はレベルの高い韓国避けて北朝鮮選んだのに最終予選の負け方はひどかったな
しかし政治体制が違うのにそういう理由で国籍選んじゃまずいだろ
でもあの実績で解説の仕事あるんだから半島枠って怖ろしいね
94:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/03 19:11:31
>>92
おいおい、冗談はやめろよww
キャステラ、イカンガーが実力相応のわけないだろ。
その前年の真夏に開催したヘルシンキ世界陸上見たのか??
宗猛も著書で「当日の仕上がりは80%。あと一週間あったら
ベストに近づけた。」と言ってるし、また「34kmまでは
スローで、その後、ペースが上がらないようなら仕掛けるつもりで
いた。」と述べてるくらいのラップ15分40秒ー16分のペース。
そんな状態で34kmもだいぶ手前でキャステラは脱落した。
腕や足がだいぶ流れていて、前年の世界陸上の面影はなかったよ。
それでも5位に上がれたのは、もう無理してついていけないと
思ったからだろうよ。入賞狙いに切り替えた証拠。それ以上に
不調の瀬古も入賞狙いなら、宗茂が遅れた25kmくらいで
体調考えて集団から離脱してるはず。でも国民が許してくれるわけ
無い状態だったのが当時の瀬古。数%でも勝つチャンスがあるのなら
無理でも集団につくしかなかったんだろうよ。だからあの血尿の
体調では34.5kmでジ・エンドだったんだろう。
ロペスは神がかりなペースアップだったから、金は難しいだろうが、
瀬古、キャステラが普通の調子ならトレーシー、スペディングに
瀬古、キャステラの4人で銀メダル争いになったはず。
競技場では瀬古が交わして銀て感じだろ。
その集団後方で、本調子の宗猛なら30秒差くらいにはできたはずだよ。
95:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/03 19:58:23
そんなタラレバに意味がないのはわかるよな
タラレバでいいなら
瀬古が完調なら瀬古が優勝してたでいいじゃん
べつに実績みたら誰も異論ないと思うよ
96:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/03 20:08:31
五輪に縁がなかっただけで
当時の瀬古の強さは実績みれば誰でもわかるでしょうよ。
全盛期に負けたレースは五輪だけ。
最後のソウル五輪は名ランナー瀬古を
批判にさらしてまで走らせた陸連はアホだね。
97:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/03 20:45:14
ひとつだけ加えとくけど
瀬古は暑さに弱いわけではない。
金哲彦がその著書に
真夏の東京を驚異的なペースで40キロ走るのをみて金メダルを確信したと書いてる。
なにが言いたいかと言えば、
ロス五輪も涼しいとろで調整してたら優勝してたよっと。
98:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/03 21:35:11
瀬古のなにがダメって後進の選手をまるで育ててないこと。
結論を云えば名選手であったことに異論ある人はいないだろうが
頭が悪いってことにはほとんどの人が同調するってこと。
99:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/04 20:26:27
>>94 キャステラが遅れた時は「しめた!!」と思ったよな。
キャステラが30キロ過ぎで脱落なんて誰も思ってなかった。
それ以上に、瀬古が脱落するのは信じられなかったけどね。
100:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/09 23:59:12
ただキャステラが後退した時点での瀬古の位置取りが変だった。
キャステラが後退したことでうっかり見落としていたが、あの時点でもう
瀬古は一杯一杯だったのだろう。あわてて前を行く集団に取り付いた感じ。
普段ならば、もっと集団の真ん中へんにポジションを取っている筈だし、
キャステラに余力がなくなってきているのも雰囲気で分かっていた筈。
瀬古のあの余裕のなさは、かつて見たことがない光景だった。
101:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/10 00:25:37
>>98 アトランタ、シドニー、アテネ、と3大会連続して五輪代表選手を
輩出したので、それほど凡将ではない。
102:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/10 00:31:53
>>100
あと、帽子も違和感ありすぎだったな。
途中で投げ捨てた時の、瀬古の顔はげっそりしていた感じがあって
中学生ながらに「あれっ」て思ったよ。
ロペススパートの時は宗猛とイカンガーが止まってみえたもんな。
あとトレーシー、スペディングって「誰??」って思った。
103:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/10 00:33:50
マラソン.駅伝 歴代視聴率10傑 (1977年以降)
1 第23回ロサンゼルス五輪・男子マラソン 1984年8月13日(月) NHK総合 48.8% ロペス
2 第24回ソウル五輪・男子マラソン 1988年10月2日(日) NHK総合 43.4% ボルディン
3 第26回アトランタ五輪・男子マラソン 1996年8月4日(日) NHK総合 43.0% チュグワネ
4 第22回福岡国際マラソン 1987年12月6日(日) NHK総合 41.0% 中山竹通
5 第27回シドニー五輪・女子マラソン 2000年9月24日(日) テレビ朝日 40.6% 高橋尚子
6 東京・ニューヨーク友好 '83東京マラソン 1983年2月13日(日) フジテレビ 37.5% 瀬古利彦
7 第2回全国都道府県対抗女子駅伝競走大会 1984年1月22日(日) NHK総合 36.9% 京都府
8 第26回アトランタ五輪・女子マラソン 1996年7月28日(日) T B S 36.6% ロバ
9 第18回福岡国際マラソン 1983年12月4日(日) NHK総合 36.5% 瀬古利彦
10 2001ベルリンマラソン 2001年9月30日(日) フジテレビ 36.4% 高橋尚子
104:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/10 00:37:00
>>103 すげーな。ロス五輪のマラソンて国民の半分が見てたのか。そのな時代もあったんだな。
105:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/10 00:45:32
まあこれみて一番凄いと思うのは
2001年ベルリンマラソンの視聴率の高さだ
驚異的だよ
106:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/10 00:51:30
アトランタ五輪はゴールデンなので男女ともに視聴率高い
シドニー五輪は早朝なので女子は高橋戦後初金メダルで高視聴率だが
男子はランク外
そうやってみるとやっぱNO.1は高橋尚子
107:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/10 00:52:34
都道府県女子のが一番凄い
108:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/10 00:55:07
1980年代だからねえ
109:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/10 00:57:36
1980年代の都道府県女子駅伝は今の箱根駅伝みたいなもんと考えれば
わかりやすいだろうね
110:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/10 00:58:22
ロス当時は「練習をやり過ぎた人の病的な雰囲気」があった。
ロペスの本格スパートは35kmを過ぎてから。
30kmから35kmまでは15分25秒くらいだったと思う。
特別ペースが上がったわけではなく、限界値に達してしまったのが
根本的脱落原因。時計の針が1時間48分ちょうどくらいを指して
いた頃に脱落が分かった。あれは正面からの映像だったので、横から
の映像ならば、もっと早くに脱落していることに気付いていた。
「どうした! 瀬古利彦!」というアナウンサーの叫び声が4半世紀
たった今でも耳に残るが、どうした、と言われても、どうすることも
出来ないくらいに疲弊しきった姿がそこには、あった。
ロペスは確か、35kmから40kmを14分31秒でぶっ飛ばした
と思う。マラソン史上でも3指に入るランナーだと私は思う。
111:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/10 01:08:51
>>110
ただロペスの場合は「完走すれば」って条件付きだけどね。
レースの半分以上は途中棄権しているから。
その途中棄権のどのレースもまったくレースになっていない体たらく。
86年東京は練習不足の太りすぎで、まったくレースを舐めていた。
112:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/10 01:12:33
>>105
>>106
高橋尚子の時ももちろんリアルで見てるけど、一番の
社会現象はまちがいなく87年の福岡国際。
中山が伝説のかっとびしたレースね。
高橋のレースは83年福岡の瀬古がイカンガー突き放した
レースと同じくらいの関心事だろう。それでもかなりの注目度だ。
113:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/10 01:20:44
カルロス・ロペスの全マラソン成績
82.10 ニューヨーク 途中棄権
83. 4 ロッテルダム 2:08.39②
84. 4 ロッテルダム 途中棄権
84. 8 ロス五輪 2:09.21①
84.10 シカゴ 2:09.06②
85. 4 ロッテルダム 2:07.12①=世界最高
86. 2 東京 途中棄権
114:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/10 01:22:56
激しいなロペス
カスにも偉大にも見える
115:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/10 05:25:29
ロペスは七夕のあたり、交通事故に遭っている。
このことは日本の新聞にも小さくではあるが報じられた。
「金メダル候補が一人消えたな」と、その時は思った。
よく本番に間に合ったものだ。
116:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/10 09:17:34
525 :ゼッケン774さん@ラストコール:2010/08/17(火) 00:55:56
モスクワで瀬古が走ってたらと今だに語られるのは、結局、この大会はライバルが少なかったんだよね。
世界レベルで走れるのはモイセーエフ、ロジャース、に日本の瀬古、宗兄弟くらいだったんだよ。
チェルピンスキーは五輪だけの選手で格下扱い。バルチャ、ネディのアフリカ勢も小粒。ネイブールは直前に記録出したが
爆発力なく、青梅で瀬古にこてんぱんにされた。
ゴメス、キャステラはまだ力不足。チェ、高の北朝鮮勢はうるさい存在でも日本が負ける相手ではない。
ショーターは力の衰え隠せず、代表にもなれず。
コトフ、ジュマナザロフの残りの地元勢もかなり格下。
夏レースは伏兵が出てメダルさらうことあるが、まだモスクワくらいまでは強豪が順調に上位にくるくらいの天候レース。
本番のレースは後半かなりペースが上がったが、前半の16分以上かかったラップ時は、先行逃げ切りタイプの
メダル候補・宗茂が前に出てくると思われ、あんなレースにはなってないだろうね。ゴメスもスローだった
から中盤で出れたと思うね。金の確率は東京五輪以降のレースでは一番近い大会だったと思う。
最低日本勢の2人はメダル取っただろう。
117:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/10 23:52:17
高橋尚子も社会現象起こしたランナーだったけど
瀬古のほうがインパクトは上だったよ。
やはり80年代の時代背景もあるだろうなぁ。
118:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/11 00:50:36
ないない
戦後初金メダリスト
女性初サブ20で世界記録樹立
国民栄誉賞受賞 瀬古がかなうものは人気も含めて何一つありませんよ
119:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/11 00:54:43
日本記録樹立
アジア最高記録樹立
名古屋大会記録樹立
五輪記録樹立
世界記録樹立
5戦連続新記録樹立、マラソン6連勝
2001年~2008年引退までの平均年収3億円超
120:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/11 02:55:22
瀬古利彦はチェルピンスキーには1度も負けていない。
121:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/11 03:33:36
>>102
トレーシーはこのロス五輪が初マラソン。マラソンの代表枠に空きがあるから、
1万M代表のトレーシーがそのままマラソンにも出てしまった。日本ではあり
得ないことだが、世界では稀にあるようだ(モントリオール五輪のラッセ・ビレン
等)。
銅メダルのスペディングも、元々は1万Mが専門でトラックに行き詰まりを
感じて、この年の1月にヒューストンで初マラソン(2時間11分台で優勝)。
2度目が5月のロンドン・マラソンで、ここでも優勝(2時間09分57秒)。
このロス五輪翌年に2時間08分33秒をマークして(ロンドン・マラソン)
2位に入った時が生涯のベストタイム。
メダリストは全員がトラックのスピードをマラソンに持ち込んだという点で、
画期的な五輪。それにしても、ロペスは、1万でも上位に行ける実力があった
のに、よこぞマラソン一本に絞ったものだ。
122:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/11 08:13:33
>>121氏と重複するが、
2位トレーシー(アイルランド)、3位スペディング(イギリス)は
当時の日本での認知度、知名度はほとんどなかった。
しかし2位、3位でゴールした後、後日発表された経歴を見ていくと 納得できるものもある。
トレーシーは78,79年世界クロカン優勝。アフリカが台頭する前 とはいえ、連覇は輝かしい実績。
またロス五輪1万では7位に金井豊、8位がスティーブ・ジョーンズと
入った後ろで9位でのゴールをしている。80年モスクワ五輪も代表。
1万ベストが27分48秒7、そして五輪本番直前6月の欧州大会で
5千 13分16秒81のアイルランド記録を樹立したばかりだった。
余談だが、そのトレーシーに先着したのがロペス。13分16秒38の 自己記録だった。
ロペスは1週間後のDNで27分17秒48で世界記録で2位に入るので
この頃、37歳のして最高のスピードを作り上げていたわけだ。
スペディングは1万ベストが28分08秒12。それより84年5月
に開催されたロンドンマラソンでマラソン2回目にして
2時間09分57秒の記録で優勝している。五輪本番前でもサブテンリスト に乗るランナーではあった。
スペディングは後半、終始集団をリード。積極的な走りを披露している。
しかし後年のレースを見てみると、85年ロンドンはスティーブ・ジョーンズ
に続き2位(2時間08分33秒)があるが、86年シカゴは堅実な走りを
見せたものの、瀬古に破れ3位。ソウル五輪も終始、目立たず後半まとめて
6位入賞をしている。そのため堅実な走りをするランナーとの印象が強くなった。
123:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/11 08:16:15
瀬古は86年シカゴでスペディングを、87年ボストンではトレーシーを
きっちり五輪の借りを返してる。
124:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/11 23:16:40
>>122
これ読むといかに五輪マラソン直前の勢いのあるのが活躍したのがわかる。
バルセロナの時の森下、黄もそうだ。
瀬古は84年はあまり調子良くなかった。
それ考えると、勢いのあったモスクワ不参加は残念すぎる。
直前の欧州遠征は1万で世界ランク5位の日本新、5千自己記録だったよな。
125:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/12 03:13:02
スペディングは瀬古にマラソンで2勝1敗。
複数回対戦している選手としては唯一瀬古に勝ち越したマラソン選手だ。
ロペスなど、瀬古に1勝0敗の選手は何人かいるが、瀬古は複数回対戦した
選手には必ず1度は勝っている。
瀬古に複数回勝ったのは、ビル・ロジャース(3勝4敗)ド・キャステラ
(2勝2敗)イカンガー(2勝3敗)とスペディングの4人。
惜しかったのはロジャースで、明らかに全盛期を過ぎていた86年のシカゴ
と87年のボストンは比較対象にならず、実質、瀬古に勝ち越した男、と
して認知したい気分である。
126:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/12 03:22:28
スペディングが2時間09分57秒で優勝したロンドンのレースでは
実はイカンガーも出場しており6位になっている。
当時のイカンガーはレースに出過ぎ。前年12月福岡、2月東京、
5月ロンドンと来て、8月に五輪。
ロスでも金メダル候補の一角に名を連ねてはいたが、正直、評価の
難しい選手だった。
127:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/13 00:00:25
この時代、瀬古の強敵は、本当に質が高かった。一発屋が皆無だった。
128:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/14 17:06:27
>>125
瀬古がいかに五輪で走れなかったんだよ。
通常の冬レースならスペディングと瀬古の実力差はかなりのもの。
まずスペディングには瀬古は負けることはないだろうね。
後半のスピード力が違いすぎる。
129:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/15 22:05:48
瀬古―惨敗 マラソン史上最高視聴率 48%
第23回 ロサンゼルス五輪 男子マラソン レース展開
1984年8月12日 午後5時スタート 出場58カ国 107人
NHK 午前9:00 衛星生中継
解説―高橋進 実況―羽佐間正雄
スタート(サンタモニカ大 グランド)- ゴール(メモリアルコロシアム)
(出場選手ベスト5)
1、 2時間08分18秒 ド・キャステラ(オーストラリア)
2、 2時間08分38秒 瀬古利彦(日本)
3、 2時間08分39秒 ロペス(ポルトガル)
4、 2時間08分51秒 サラザール(アメリカ)
5、 2時間08分55秒 宗猛(日本)
5、2時間08分55秒 イカンガー(タンザニア)
(羽佐間)「真っ先に瀬古をとらえました。そしておなじみキャステラ。
まずカメラは2人をとらえましたね。」
(高橋) 「やはり2人の対決が人気を呼んでいますよ。」
(羽佐間) 「マラソン史上もっとも自信をもって送り出した3人がスタートを
切ります」
スタートー 宗猛がスーッと前に出てくる。イカンガーは早くも先頭。
2周半してロードへ。ウガンダのビューガが先頭。
2km-モスクワ五輪銀メダリストのネイブール(オランダ)が前に出て
引っ張り始める。
(羽佐間) 「レース展開は?」
(高橋)「7kmまでは登りだから最初は15分20秒くらいでは。7-15km
が下りになるので動きがあるかも。」
(羽佐間)「記録は?」
(高橋)「キャステラのコーチは、女子の記録を考えたら8分台が出てもおかしくない
と言っていた。」
130:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/15 22:08:07
5km- オランダのランブレグトが先頭で15分33秒。集団は縦長で約50人。
前にはヌジェニー(ケニア)、イカンガー(タンザニア)、シャハンガ(タンザニア)、
サラ(ジブチ)のアフリカ勢に、パルマンチェ(ベルギー)、
ディクソン(ニュージーランド)、スミス(イギリス)、ザルツマン(西ドイツ)らがま前に。
8km-ふたたびネイブールが先頭に立ち、10mリード。アフリカ勢が続く。
カメラが初めて瀬古をとらえる。サラザール(アメリカ)がすぐ後ろ。先頭集団の後方部。
10km-ソマリアのイズマエルが先頭に出てくる。31分14秒。 約40人。
気温が27度に上がる。
12km-宗兄弟が集団の最前列へ出てくる。
15km-イズマエルを集団が吸収。約20人の集団。
イカンガー、シャハンガのタンザニア勢が前に。
19km-サラザールはすでに100m遅れ。第二集団。
(高橋)「(サラザールを見て)ちょっと精彩がないですね。」
(羽佐間)「フォームが全盛期に戻っていないといわれていますね。」
(高橋)「ストライドの伸びがまったくないですね。」
20km-イカンガー、ロペス(ポルトガル)、シャハンガ、ザルツマン、ジャマ(ジブチ)
瀬古、宗兄弟、ネイブール、スペディング(イギリス)、サラ、テルジ(トルコ)
トレーシー(アイルランド)、キャステラの14人に絞られる。
ハーフー1時間04分54秒。瀬古は11番手。宗茂は最後尾。
22km-後続からディクソンが追いつき15人。
(高橋)「2時間10分を切らないと優勝はできませんね。」
23km-ディクソンが先頭へ。ネイブール、テルジが脱落。
25km- 1時間17分11秒。 13人。宗茂が最後方。気温が29度に。
フリーウェイに入ったため観客がいなくなる。
26km-ザルツマン、シャハンガが後退。
131:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/15 22:09:13
(高橋)「宗茂がちょっと遅れ始めましたよ。」
(羽佐間)「あ、そうですか。あー、ちょっと遅れています。」
(高橋)「ほんのちょっとですけどね。」
27km-宗茂が最後方で粘るも、5m遅れ。集団は10人。
28km-瀬古が被っていた帽子を沿道に投げ捨てる。
30km- 宗茂20m遅れ。アイルランドのキェルナンが
後続から上がって来る。 依然、気温29度。
サラザールは45秒遅れ。(高橋)「今日は気温が高いですね。」
(羽佐間)「だいたい10分前後の優勝タイム。日本の2人にも十分チャンスが
あります。」
33km-(羽佐間)「キャステラがちょっと遅れましたよ。」
(高橋)「足取りが重くなりましたね。」
34km-サラ、ジャマのジブチ勢、キェルナン、そしてキャステラが脱落。
(羽佐間)「遅れたキャステラ・・・おっ(かなり)遅れましたね。」
(高橋)「これで優勝圏外に去りましたねぇ。」
先頭集団は8人。
スペディング、瀬古、イカンガー、ロペス、トレーシー、宗猛、イカンガー、ヌザウ
34.8km-
(羽佐間)「この集団の後ろ、瀬古がいますが・・ アッ!」
(高橋)「アッ!」 (羽佐間)「瀬古が遅れましたか??」
(高橋)「ちょっと遅れましたね。」(羽佐間)「瀬古が遅れました。」
(羽佐間)「意外な展開になりました。瀬古が遅れ始めています。ペースが上がったで
しょうか。 どうした! 瀬古利彦。」
35km-1時間48分22秒。15分26秒 30秒ペースが上がる。
35.2km-スペディングがスパート。イカンガーが脱落。
そしてついに宗猛が遅れ始める。
スペディング、ロペス、トレーシー、ヌザウの4人。
ペースが一気に上がる。
キャステラが瀬古を一気に抜き去る。
132:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/15 22:10:19
(高橋)「(瀬古は)完全に疲れがでましたね。」
35.4km- ケニアのヌザウが脱落。
37km-ロペスが先頭に出てロングスパートをかける。
ロペスースペディングートレーシーの順で縦長。
ヌザウは20m遅れ。その後ろ、宗猛が50m遅れ。
38km-ロペス・スパート。2人に10m差をつける。
(高橋)2時間10分台は確実に出ると思いますよ。」
(初マラソン・トレーシーについて)
(羽佐間)「27歳。1978年世界クロスカントリー優勝で注目。モスクワ五輪
5千、1万代表。アイルランド記録5千、13分16秒82の記録保持者」
40km-2時間02分56秒 14分34秒にペースが上がる。ロペス独走。
トレーシー、スペディングとの差は30秒。
(高橋)「このままいくと2時間9分40秒台の五輪新記録がでるかもしれませんよ。」
2時間07分45秒―ロペスがメモリアルコロシアムに入ってくる。
後続ではトレーシーがスパート。スペディングを引き離し単独2位に。
(高橋)「2時間09分30秒を切るかもしれませんよ。」
(羽佐間)「瀬古は今、11位を走っています。」
ゴールー2時間09分21秒 五輪新記録
(羽佐間)「37歳。老雄というには、あまりにも元気なこの37歳。ポルトガルの
英雄、カルロス・ロペスが今、ゴールインで優勝! ポルトガルに
マラソンで初めての優勝をもたらしました。」
2位トレーシー。3位スペディング。日本勢は宗猛が4位に入る。
(羽佐間)「あ、瀬古がここにいます。まったく疲れている。こんな瀬古を
見たことがありません。思いもよらない瀬古の不調。」
(高橋)「私も初めてですねぇ」
瀬古14位。宗茂17位でゴール。
133:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/15 22:11:48
第23回 ロサンゼルス五輪 男子マラソン 成績
五輪記録 チェルピンスキー(東ドイツ) 2時間9分55秒 1976年
1、2時間09分21秒 ロペス(ポルトガル)五輪新
2、2時間09分56秒 トレーシー(アイルランド)
3、2時間09分58秒 スペディング(イギリス)
4、2時間10分55秒 宗猛(日本)
5、2時間11分09秒 ド・キャステラ(オーストラリア)
6、2時間11分10秒 イカンガー(タンザニア)
7、2時間11分28秒 ヌザウ(ケニア)
8、2時間11分39秒 ロブレ・ジャマ(ジブチ)
9、2時間12分20秒 キェルナン(アイルランド)
10、2時間12分57秒 ディクソン(ニュージーランド)
11、2時間13分53秒 フィッチンガー(アメリカ)
12、2時間13分57秒 H・ジョーンズ(イギリス)
13、2時間14分00秒 ゴンザレス(プエルトリコ)
14、2時間14分13秒 瀬古利彦(日本)
15、2時間14分19秒 サラザール(アメリカ)
16、2時間14分20秒 テルジ(トルコ)
17、2時間14分38秒 宗茂(日本)
18、2時間15分29秒 ザルツマン(西ドイツ)
19、2時間15分55秒 ヨルゲンセン(デンマーク)
20、2時間15分59秒 アーメド・サラ(ジブチ)
134:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/16 03:51:35
帽子を捨てた時にすぐ近くにいたのがロブレ・ジャマだった。
宗茂は瀬古に勝つ絶好の機会だったんだがな。
色々なことを思い出した。
135:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/16 04:00:20
キャステラは世界記録保持者ながらリアルタイムでは一度も世界記録保持者と紹介
されたことがなかった。
当時世界記録保持者とされたのがアルベルト・サラザール。この年の秋に英国の
スティーブ・ジョーンズが2時間08分05秒の世界記録を出し、サラザールの
2時間08分13秒は距離不足とされ、抹消された。もっとも距離不足といっても
そのままゴールすれば2時間08分台後半換算になる程度の不足分のため、まあ
気の毒な抹消ではあった。ロス本番でのサラザールは勝負どころ前に早々と後退。
ゴール直前で瀬古の後ろを走る姿が映し出されたが、アヒルのような走りで相当に
疲れていたように見えた。
136:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/17 03:16:56
>>129->>133
力作お疲れ様ざんす
137:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/17 03:24:19
ロス10位のロッド・ディクソンは83ニューヨークの優勝者にして、76モントリオール五輪1500m銅メダリスト。
ダークホース的存在として、ひそかに注目していた。
138:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/17 21:36:23
絶好調の瀬古がロペスに敗れる光景は、もっとショッキングだったろうな。
139:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/18 02:50:48
瀬古利彦が国内第三代表くらいの格の人ならば、逆に、限界点に達する前に
意図的に後退する戦術も取れたのだろう。そうなれば11位くらいに入れた。
140:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/18 22:37:55
瀬古―ボストン2度目の優勝
1987年4月20日 第91回ボストンマラソン レース展開
気温12度、湿度95% 4-5mの向かい風 6279人参加
テレビ東京系 衛星生中継
(実況)土居壮 (解説)高橋進
(参加選手)
瀬古利彦(日本)
S・ジョーンズ(イギリス)(元世界記録保持者、当時世界歴代2位)
イカンガー(タンザニア)(84ロス五輪6位)
ド・キャステラ(オ-ストラリア)(90回大会優勝、83世界陸上優勝、84ロス五輪5位)
トレーシー(アイルランド)(78世界クロカン優勝、84ロス五輪銀メダリスト)
スミス(イギリス)(88、89回大会優勝)
ロジャース(アメリカ)(79,82,83,84回大会優勝)
ビックフォード(アメリカ)(85年度1万m世界ランキング1位)
アイストーン(アメリカ)(85年度1万m世界ランキング3位)
カマウ(ケニア)(84年シカゴ4位)
ヘルビック(ベルギー)(のちの90年びわ湖毎日優勝)
谷口伴之(エスビー食品)、喜多秀喜(神戸製鋼)、武田裕明(日大)、
高橋養次(日立電線)
スタートー直後、キャステラが整理用ロープに足を引っ掛け転倒。
メイダー(アメリカ)が飛び出す。1マイル4分45秒。
イカンガーを先頭の大集団は50m差。
メイダーに代わり、グレイ(アメリカ)が先頭に出る。
5km-60-70人の大集団は15分09秒。
強豪が牽制し、また向かい風の為、ペースがなかなか上がらない。
テレビ中継は濃霧のため、飛べず固定カメラのみの映像。
8km-アシュランド地点。道幅いっぱいに集団が広がる。ロジャースも集団の中。
10km-30分49秒。ラップが30秒遅くなる。
11km-グレイがリード。 100m後続で16-17人の集団。
15km-46分58秒。スピードのあるビックフォードが先頭も依然、膠着状態。
15分40-16分10秒の間のスローな展開が続く。
スミス、ジョーンズのイギリス勢は会話を交わしたりし、余裕の表情。
ネイティック地点
集団には瀬古、ジョーンズ、イカンガー、キャステラ、スミス、トレーシー、谷口、喜多、
アブラファ(エチオピア)、ゴードン(アメリカ)、ビックフォード、カマウ、ウンバーグ(スイス)、ヘレビックなど。 喜多は最後方で遅れ気味。
(高橋)「せっかく世界の強豪が集まっているのにもったいないですね。
期待の世界最高は望み薄になりましたね。」
141:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/18 22:38:56
心臓破りの丘に差し掛かり始める。
32km-スルスルと瀬古が前に出て、集団は縦長の展開。ペースが上がる。
(土居)「(画面が切り替わって)これは男子のトップですかね? 瀬古ですね これは!
(高橋)「瀬古がね・・出ましたねぇ」
(土居)「瀬古がついにトップに出ました。まもなく心臓破りの丘でしょう。」
300m後、再度、瀬古がギアチェンジ。上がり坂で後続は苦しい。
集団は解体。瀬古―スミスージョーンズの順。トレーシー、アブラファ、谷口あたりが
ジョーンズの後ろ。イカンガー、キャステラが遅れる。
34kmでスミス、遅れてジョーンズ2人に160m差をつける。
その100m後ろがトレーシー、アブラファ、谷口の集団。
30-35kmの上がり坂主体となる区間を14分58秒で走破。
38km地点。 ヘリコプターの回線が普及。移動中継が始まる。 瀬古の独走映像。
(高橋)「楽に走ってますね」
「まぁ、このままいってせめて11分は切ってもらいたいですね」
40km-2時間04分48秒 この間15分08秒。
沿道は3重4重の人垣。
谷口がゴードンと4位争いを展開。
ジョーンズがスミスに追いつき2位争いが激しくなる。
(高橋)「どうも2時間11分台に終わりそうですね。」
ゴール地点
(土居)「2時間11分台・・ まもなくゴールを迎えます。 瀬古!
ゴールまですでに100mを切っています。変わらぬ足取り。
表情ひとつ変えません。日本の瀬古。
まもなくゴールを迎えます! ガッツポーズ!瀬古優勝です。
91回ボストンマラソン2度目の優勝であります」
2時間11分50秒。ボストン2度目の優勝。
残り150mでジョーンズがスミスをかわして2位に上がる。スミスが3位。
日本勢では谷口が5位、喜多が9位。
瀬古は優勝賞金4万ドル(当時・580万円)、ベンツを獲得。
142:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/18 22:39:39
91回(1987年4月) ボストンマラソン 成績
1、2時間11分50秒 瀬古利彦(日本)
2、2時間12分37秒 S・ジョーンズ(イギリス)
3、2時間12分42秒 スミス(イギリス)
4、2時間13分30秒 ゴードン(アメリカ)
5、2時間13分40秒 谷口伴之(日本)
6、2時間14分24秒 ド・キャステラ(オーストラリア)
7、2時間15分02秒 バンダーハーデン(ベルギー)
8、2時間15分16秒 ヘルビック(ベルギー)
9、2時間15分23秒 喜多秀喜(日本)
10、2時間15分41秒 マーチン(アメリカ)
11、2時間16分17秒 イカンガー(タンザニア)
14、2時間17分50秒 トレーシー(アイルランド)
15、2時間18分18秒 ロジャース(アメリカ)
18、2時間19分03秒 高橋養次(日本)
優勝 瀬古利彦 ラップタイム
5km 15分09秒
10km 30分49秒(15分40秒)
15km 46分58秒(16分09秒)
20km 1時間02分54秒(15分56秒)
25km 1時間18分56秒(16分02秒)
30km 1時間34分42秒(15分46秒)
35km 1時間49分40秒(14分58秒)
40km 2時間04分48秒(15分08秒)
2.195km 7分02秒
2時間11分50秒
143:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/18 22:43:26
(中山4位ー 瀬古・現役最後のマラソン)
第24回 ソウル五輪 男子マラソン レース展開
1988年10月2日 68カ国 124人参加
気温24度 湿度36% 北北東1.5m
(出場選手ベスト5)
1、2時間07分07秒 サラ(ジブチ) 1988
2、2時間07分51秒 ド・キャステラ(豪州) 1986
3、2時間08分10秒 イカンガー(タンザニア)1986
4、2時間08分15秒 中山竹通(日本) 1985
5、2時間08分27秒 瀬古利彦(日本) 1986
スタートーソウル・オリンピックスタジアムを周回。サラ(ジブチ)が前に出てくる。
ウガンダのルグガが先頭で10mリードしてロードへ
2.3km-ザイールのコージが10mリード。中山が大集団の先頭に出てくる。
解説・宗茂「日本で一番の期待は中山。昨年(87年)の福岡のような攻めのレースが
出来れば中山のもの」と話す。
4km-コージが集団に吸収される。中山、クベルンモ(ノルウェー)、ブラ(タンザニア)
イカンガー(タンザニア)が前で集団を引っ張る。
5km-15分29秒
実況.羽佐間「意外や意外。ペースがゆっくり」
宗茂「予定より明らかにスロー。」 集団は約30人。
この年のボストンで2時間8分43秒を記録し優勝したフセイン(ケニア)が
前に出てくる。
「スローになると暑さに強いイタリア勢、特にボルディンは要注意。
中山はタイムが良くなればなるほど優勝のチャンスがある。
遅くなると、誰でもチャンスが広がるからきつくなるはず」宗茂
10km- 30分32秒(15分03秒)
アフリカ勢が前に出てくる。
ブラ、イカンガー、サラ、キプサング(ケニア)、フセインら
中山は中段、新宅と瀬古は後方で集団につく。集団は依然30人前後。
「ペースが上がりましたが・・」羽佐間
「下り坂だけに14分40秒台で行くと思っていたが、やはり予想より遅い」宗茂
15km- 45分57秒(15分25秒)
フセイン先頭。集団はダンゴ状態。イカンガー、ブラのタンザニア勢、
エレラ(メキシコ)、モンドラゴン(メキシコ)のメキシコ勢が前に。
漢江に出てフリーウェイを走行。観衆がいなくなる。
16.4km- 前回(ロス五輪)銀メダリスト・トレーシー(アイルランド)が脱落。
重い足取りで不調が見てとれる。
羽佐間「中山の表情は?」
宗茂 「中山はかなり余裕を持って走っている。」
144:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/18 22:56:29
20km-1時間01分26秒(15分29秒)
イカンガー先頭。集団約25人。ペースが上がらない。
依然イカンガーとモンドラゴンが交互に先頭に出てくる。
21.9km-ペースは上がっていないが、サバイバルのように少しずつ
集団から脱落者が出始める。
フォスター(イギリス)、モンドラゴン、そしてついにフセインが後退。
集団は16人に
イカンガー、サラ、エレラ、モネゲッティ(豪州)、ボルディン(イタリア)、スペディング(イギリス)
瀬古、新宅、中山、キプサング、ポリ(イタリア)、カシャポフ(ソビエト)、
ラモツ(ハイチ)、ペーター(東ドイツ)、ワキウリ(ケニア)
23.9km-フリーウェイの上り坂で新宅が最後尾から10m遅れる。
苦しい表情に。カシャポフ、ラモツ、ポリ、が脱落。
24.3km-新宅が集団に復帰。合計13人に。
25km-1時間16分57秒(15分31秒)
イカンガー先頭。中山が後方へ下がる。フリーウェイのため観衆の声援
がない。キャステラ、新宅が最後尾で苦しい。
「中山は余裕を持ちすぎ。ベストポジションを早くつかんだ方が良い」宗茂
26.3km-新宅が力尽きる。前半健闘したキプサングも脱落。
27km- 集団は11人。 新宅は後方50m。
29.2km-エレラが後退。前半健闘したメキシコの二人がいなくなる。
29.7km-ボルディンがペースアップ。先頭に出て集団を引っ張る。
初めて集団が縦長の展開に。
イカンガーースペディングーワキウリーサラー瀬古ー中山の順の列
145:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/18 22:57:25
30km-1時間32分49秒(15分52秒)
キャステラの足取りが重く、ついに後退。集団は7人。
サラ、中山、瀬古、イカンガー、スペディング、ワキウリ、ボルディン
「スパートに反応する中山の対応が鈍い。」宗茂
30.8km-ついに瀬古が先頭集団から後退。その差20m。
中山が先頭に出てくる。集団は6人。
31.5km-スペディングが脱落。 瀬古は先頭から50m差。瀬古の前にキャステラが出る。
32.3km-スペディングが集団に追いつく。後続は追い上げたモネゲッティが
キャステラを捕らえ7位。キャステラ8位。瀬古9位。
「5kmが15分52秒かかってこれだけきつそうだから相当暑さが堪えている。」宗茂
35km-1時間48分25秒(15分36秒)
サラ、中山が先頭。スペディングが給水で脱落。
35.5km-イカンガーも脱落。 ついに集団は4人へ。
羽佐間「放送前半でイタリア注意という意見がありましたね。」
宗茂 「イタリアの3人は実力がある。一人はまともに走ると思ってました。」
瀬古は9位。新宅は13位で35kmを通過。
36.7km- 「中山、後ろに下げたのか!」羽佐間
「あっ、中山遅れましたね。」宗茂
「遅れた、遅れた」羽佐間
「今日は中山らしさが全然でていなかった。スローだったから前半に足を使って
だいぶ足にきているかもしれない。」 宗茂
37.7km- ボルディン脱落。 サラがロングスパートをかけている。
38km-ワキウリがサラから遅れる。サラ、スパートでトップに。
39.3km-サラからワキウリまで50m。ワキウリからボルディンまで20m差。
中山は230m遅れで4位。
146:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/18 22:58:10
40km- 2時間03分35秒(15分10秒)
ボルディンがワキウリを交わし2位へ。サラとの差は50m。
40.6km-サラの足取りがおかしい。まったくピッチが上がらない。
ボルディンがサラを交わし先頭へ。サラはペースダウン。
40.9km-ワキウリがサラを抜き2位へ。サラは3位。
羽佐間「中山がサラを抜く可能性は?」
宗茂 「しかしあと残り1kmしかない。2kmくらいあれば・・」
2時間09分23秒ー ボルディンがソウルオリンピックスタジアムへ
ゴールーイタリアが五輪史上初、男子マラソンを制覇。2時間10分32秒。
2位がワキウリで自己新記録。 3位はサラ。
中山はサラに6秒遅れの4位でメダルを逸した。瀬古は9位。新宅は17位。
147:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/18 22:59:07
第24回 ソウル五輪 男子マラソン 成績
(五輪記録) 2時間09分21秒 ロペス(ポルトガル) 1984年
1、2時間10分32秒 ボルディン(イタリア)
2、2時間10分47秒 ワキウリ(ケニア)
3、2時間10分59秒 サラ(ジブチ)
4、2時間11分05秒 中山竹通(日本・ダイエー)
5、2時間11分49秒 モネゲッティ(オーストラリア)
6、2時間12分19秒 スペディング(イギリス)
7、2時間13分06秒 イカンガー(タンザニア)
8、2時間13分07秒 ド・キャステラ(オーストラリア)
9、2時間13分41秒 瀬古利彦(日本・エスビー食品)
10、2時間13分49秒 カシャポフ(ソビエト)
11、2時間13分58秒 エレラ(メキシコ)
12、2時間14分08秒 キャンベル(ニュージーランド)
13、2時間14分40秒 ネイブール(オランダ)
14、2時間14分44秒 フィツィンガー(アメリカ)
15、2時間14分53秒 テンカテ(オランダ)
16、2時間15分20秒 ピッツォラート(イタリア)
17、2時間15分42秒 新宅永灯至(日本・エスビー食品)
18、2時間15分44秒 金元卓(韓国)
19、2時間16分07秒 ポリ(イタリア)
20、2時間16分15秒 ラモツ(ハイチ)
主な途中棄権
トレーシー(アイルランド)
フセイン(ケニア)
148:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/18 23:32:51
あのゴールでのガッツポーズは悲しかった。。。
「もうこれでマラソン人生に幕を引いてしまうのだな」とピンとくるものがあった。
149:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/18 23:56:17
>>142 ラストの2.195kmがイマイチ冴えなかった
150:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/19 00:04:39
いやあ、しかし、すごい詳しい人が居て驚いた。
151:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/19 00:09:46
宗茂の読みの確かさには脱帽。高橋進より数段切れる印象だ。
152:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/19 00:37:17
ボストンの時も感じたが、「ロス以後」の瀬古は随分と仕掛け所が早くなった。
ロンドンの時は20キロ過ぎから独走だし、シカゴの時は35キロ過ぎから独走
びわ湖では10キロ過ぎから独走。特にびわ湖では、勝つだけではなく記録もある
程度問われるレースだったから、待ちの戦略は使えなかったのかも知れないが、
今にして思うと、あの強烈無比なラストスパートに陰りが生じて「もう出来ない」
と考えて展開を変えたのではないか、ふとそんなことを感じてしまった。
153:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/19 00:45:32
瀬古 生涯自己記録
1986 シカゴ・アメリカズマラソン レース展開
1986年10月26日 午前8時45分スタート 気温13度 湿度93%
約1万2000人参加
参加メンバー
瀬古利彦(日本)
サラ(ジブチ)(85年W杯広島, 87年W杯ソウル優勝、元世界歴代2位)
ゴメス(メキシコ)(モスクワ五輪6位)
スペディング(イギリス)(ロス五輪銅メダリスト)
ムショキ(ケニア)(ハーフマラソン世界記録保持者)
ロノ(ケニア)(元1万m世界記録保持者、3000m障害世界記録保持者)
バイニオ(フィンランド) (ロス五輪1万代表)
スタートー 前半からタンザニアのジョン・ブラが集団を引っ張り5kmを通過。
瀬古以下先頭集団は8kmでブラを飲み込む。すでにスペディングは第二集団。
先頭集団は8人。瀬古、ホセ・ゴメス(メキシコ)、ロドルフォ・ゴメス(メキシコ)、サラ、
アルカラ(メキシコ)、ブラ(タンザニア)、バイニオ、ムショキ。
ペースは15分をちょっとオーバーする程度。やや物足りないものの、それほど
遅いとも思わないペースで中盤へ。
20km-5人 通過は1時間00分21秒。世界最高のロペスに10秒遅いペース。
25km-15分21秒。ペースが遅くなり、たまらず瀬古がペースを上げる。
その瀬古について来たのはサラのみ。2人の一騎打ちになる。
30kmは瀬古のペースアップにより15分01秒。サラが瀬古にぴったりつく。
しかしサラの表情が険しくなる。瀬古はサラを観察するしぐさが増える。
35kmで瀬古が再度ペースアップ。すでにサラはついていける余裕はなく脱落。
瀬古の独走が始まる。
35kmでロペスの世界最高から51秒遅れ。世界最高は苦しいがしきりに左腕の
時計を見るしぐさが多くなる。7分台が狙えるペース。
40km-ペースアップの影響で15分10秒。ここで瀬古の表情が苦しいものに変わる。
足取りはしっかりしているものの、ピッチとストライドがかなり落ちてくる。
26マイル表示板の前をすでに2時間7分台で通過。
ゴールー 2時間08分27秒 世界歴代10位でのゴール。
2位にサラ、3位には後半追い込んだスペディングが入った。
154:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/19 00:46:20
1986年 シカゴ・アメリカズマラソン 成績
1、2時間08分27秒 瀬古利彦(日本)
2、2時間09分57秒 サラ(ジブチ)
3、2時間10分13秒 スペディング(イギリス)
4、2時間10分30秒 ムショキ(ケニア)
5、2時間11分17秒 ステファニー(西ドイツ)
6、2時間13分36秒 ブラ(タンザニア)
7、2時間13分59秒 ウイリアムス(アメリカ)
8、2時間14分27秒 ダハート(アメリカ)
9、2時間14分58秒 ホセ・ゴメス(メキシコ)
10、2時間15分02秒 ロドルフォ・ゴメス(メキシコ)
26、2時間19分12秒 ロノ(ケニア)
優勝 瀬古利彦 ラップタイム
5km-15分00秒
10km-30分07秒(15分07秒)
15km-45分16秒(15分09秒)
20km-1時間00分21秒(15分05秒)
25km-1時間15分43秒(15分22秒)
30km-1時間30分44秒(15分01秒)
35km-1時間46分06秒(15分22秒)
40km-2時間01分16秒(15分10秒)
2,195km-7分11秒
ゴールー2時間08分27秒(日本歴代4位、世界歴代10位)
155:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/19 00:47:53
瀬古―最後の優勝 ソウル五輪選考会
第43回 びわ湖毎日マラソン レース展開
1988年3月13日(日) 午後12時15分 NHK生中継
(解説)宇佐美彰朗 (実況)羽佐間正雄
参加160人 気温16.5度、湿度35% 南南東の風1.3m
(参加選手ベスト5)
1、 2時間08分27秒 瀬古利彦(エスビー食品)
2、 2時間11分10秒 西正幸(旭化成)
3、 2時間12分02秒 春松千秋(池田製菓)
4、 2時間12分03秒 西村義弘(新日鉄大分)
5、 2時間12分48秒 坪正之(日本電気)
(羽佐間)―「瀬古が今、ソウルオリンピックへのたった一枚の切符
を求めて復活のスタートを切ろうとしています。
いまだかつて一人のランナーがこのように一身に注目を集めたレースは
ありません。激走!42.195km。しかも与えられたものは優勝。
彼にとっては4年前に惨敗を喫した屈辱を晴らす第一歩になります。」
スタートー皇子山陸上競技場からロードへ。
内宮(長岡陸協)が先頭。瀬古は20番手くらいで競技場を後にする。
2km-瀬古が早くも集団の先頭へ出てくる。
156:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/19 00:49:44
羽佐間―「猛烈なプレッシャーを感じていると思いますが、どうしても優勝をしなくてはいけない。そしてタイムもそこそこではいけないと思いますが。」
宇佐美―「その課題をもってのレースですから、もっと緊張していると思いましたが、今までにない柔らかなフォームで(先頭に)出てきましたね。」
羽佐間―「気温は?」
宇佐美―「ちょっと・・・高めですね。」
羽佐間―「問題は、気温がどこまで上昇するかということですね。 記録は?」
宇佐美―「練習を見ていても2時間9分台が出てもおかしくない。」
5km-15分07秒 集団は約20人。
瀬古を先頭に、西村、森本滋(日本電気HE)、西、らが続く。
気温が高めか、ほとんどの選手が汗で光っている。
宇佐美―「瀬古は15分10秒を設定しているのでまずまずではないか。」
8km-すでに集団は7人に絞られる。
瀬古、西、西村、金子尚志(日本電気HE),篠原良房(新日鉄)、春松、森本
9km-春松、篠原が脱落。集団は5人へ。
10km-30分18秒(15分11秒) 瀬古が先頭。5人が縦長で通過。
宇佐美―「ほぼ出だしと同じくらい。遅れたのは力不足ということでしょう。」
10.6km-森本が後退。西村が後方で苦しい。
11.2km-西村が後退。瀬古―西―金子の順。20m後方で西村、80mで森本。
12.4km- 宇佐美―「あっ、ちょっと離れましたよ。」
羽佐間―「瀬古がグイ、グイと力で引き離しにかかりました。」
第一放送・島村俊浩アナー「心配された風は感じない。むしろ今日の敵は暑さですね。
(瀬古から)離れました。」
瀬古が西、金子に5mの差をつける。
15km-45分15秒(14分57秒) 14分台のラップに。
157:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/19 00:51:08
羽佐間―「(今の)ペースは?」
宇佐美―「速いです。でも予定通りではないか。10kmまで様子を見て、15kmでペースを上げてきた。」
気温が18度、湿度39%に上がる。
西、金子は瀬古から130m遅れ。4位に近藤龍二(旭化成)が浮上。西村が5位に後退。
20km-1時間00分25秒(15分10秒) 中山の国内最高タイムを上回るペース。
瀬古は毎回、通過時に腕時計でラップを確認するしぐさをする。
(折り返し点)-瀬古が先頭で通過。快調なピッチを刻む。瀬古フィーバーにより
沿道は例年より多くの観衆が集まる。
2.3位の西、金子に近藤が追いつき3人で53秒差。5位には西村。1分26秒差。
後続集団は6位森本の後に、今村智治(ダイエー)、大八木弘明(ヤクルト)、篠原ら。
25km-1時間15分57秒(15分32秒)
羽佐間―「15分33秒?ちょっと遅れました。」
宇佐美―「(瀬古は)少し疲れが見えてきた感じ。」
島村―「ちょっと(瀬古の)ピッチが落ちてきた感じがする。例年の復路の向かい風はないように思う。」
27km-3人の2位争い。瀬古とは560m差。
2位集団でも大会記録ペースより1分10秒速い。この間は16分14-15秒。
風より正面からの太陽の暑さとの戦いの模様。
30km-1時間31分44秒(15分47秒)
羽佐間―「やはり暑さと、選手のみ感じている向かい風の影響か。
ちょっと落ちましたね。」
宇佐美―「膝から下の伸びが悪くなってきている。
やはり疲れですかねぇ。ピッチは増しても歩幅が狭い。」
羽佐間―「予想は2時間10分台になってきた。」
32km- 宇佐美「(瀬古は)スポンジの水分を飲んでいますから、かなり暑い。」
西が単独2位に。近藤が遅れて3位。金子は西村に抜かされ5位に後退。
瀬古とは2分30秒差。
158:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/19 00:52:13
35km-1時間47分44秒(16分00秒)
宇佐美―「ちょっと・・・16分・・・も費やしてますよ。
苦しいですね。あと7kmを押さなきゃならないのは、
大変ですよ。」
羽佐間―「見た感じとしても落ちましたね。」
反対車線では青信号でも車を止めて、瀬古の応援をしている車が多い。
羽佐間―「これからどうでしょう?」
宇佐美―「ちょっと・・これからピッチは上がらないでしょうねぇ。」
38km-瀬古の表情が苦しくなり、歪みはじめる。
40km-2時間04分45秒(17分01秒)
大会記録を30秒下回る。かなりピッチが鈍い。
羽佐間―「瀬古のピッチがこれほど鈍るとは思いもしませんでした。」
宇佐美―「予想外ですよ。」
西は900m遅れ、その西から3位近藤は200m後方。
瀬古の表情が苦痛でシワシワになる。
2時間10分27秒― 瀬古が皇子山陸上競技場に帰ってくる。
まったくピッチが上がらない。
羽佐間―「いつもの瀬古のキレがありません。あのロケット弾の点火を
見るような瀬古のスパートはありません。
(2時間)11分は無理ですね。」
宇佐美―「不可能ですね。12分かかってしまいますね。」
瀬古優勝―2時間12分41秒
羽佐間―「これほど疲れたゴールとは瀬古自信も思ってなかったでしょう。
しかし他の選手が大きく遅れていったことを思えば、この気象条件はかなり難しかったのかもしれませんね。」
結果として瀬古は国内最後のマラソンになり、最後の優勝となってしまった。
2位は西正幸。並行して開催された「第一回アジア選手権マラソン」の日本代表でもあったため初代優勝者となる。3位は近藤。
瀬古は1週間後の理事会でソウル五輪代表権を獲得する。
159:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/19 00:53:13
第43回 びわ湖毎日マラソン 成績
1、 2時間12分41秒 瀬古利彦(エスビー食品)
2、 2時間15分32秒 西正幸(旭化成)
3、 2時間16分15秒 近藤龍二(旭化成)
4、 2時間16分21秒 西村義弘(新日鉄大分)
5、 2時間16分32秒 岩永義次(自衛隊体育学校)
6、 2時間16分38秒 千葉照夫(東北日本電気)
7、 2時間16分58秒 磯貝助夫(自衛隊体育学校)
8、 2時間18分22秒 篠原良房(新日鉄)
9、 2時間20分15秒 久留猛(JR九州)
10、 2時間20分52秒 金子尚志(日本電気HE)
優勝 瀬古利彦 ラップタイム
5km 15分07秒
10km 30分18秒(15分11秒)
15km 45分15秒(14分57秒)
20km 1時間00分25秒(15分10秒)
中間点 1時間03分45秒
25km 1時間15分57秒(15分32秒)
30km 1時間31分44秒(15分47秒)
35km 1時間47分44秒(16分00秒)
40km 2時間04分45秒(17分01秒)
2.195km (7分56秒)
2時間12分41秒
毎日新聞3月14日付けコメント
宗茂・旭化成監督
「瀬古君のこんな苦しい表情を見たのは初めて。
僕自身は、気温18度はそう暑くないと思っていたが、
全員がベストより3-4分悪かったのをみると、
相当きつかったのだろう。福岡との比較はどだい無理。
勝ちっぷりはともかくとして、勝ちは勝ち。
僕は瀬古君が代表に選ばれるべきだと思う。(略)
中山竹通
「レースはテレビ観戦した。瀬古さんは琵琶湖特有の風、
18度という温度の中、また10km過ぎからの独走という中で、
ペース配分が難しかったのではないかと思う。五輪代表については、
まだ正式決定されていないので、コメントは避けたい。」
160:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/19 00:53:38
シカゴの時のラスト2.195は7分20秒。ロス五輪以降は本当にラストの威力がなくなってる。
161:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/19 00:56:01
154と160が違う件
162:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/19 00:57:32
>>160ちなみに83年福岡は平和台の直前の坂があるにもかかわらずラスト6分22秒。
瀬古のピーク時期のラストの強さ。ロス以降は本当にラストが上がらなかった。
163:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/19 00:59:19
びわ湖での終盤はスポンジの水も飲むほど苦しい様子がテレビに映し出されていたなあ
164:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/19 05:36:33
びわ湖前は、練習では40kmを2時間3分台で走っていたそうだが、本番前にピークを迎えてしまったということだろう。
165:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/19 23:31:30
瀬古ー海外初レース 学生日本新記録
第83回 ボストンマラソン レース展開
1979年4月16日 気温5度 小雨 12:00(現地時間)スタート
7879人(女性517人)参加
(主な参加選手)
フランク・ショーター(アメリカ)72年ミュンヘン五輪金、76年モントリオール五輪銀
ビル・ロジャース(アメリカ)
E・チッカネン(フィンランド)
K・ライアン(ニュージーランド)
瀬古利彦(日本)
スタートー フレミング(アメリカ)が飛び出す。第一チェックポイントの
フラミンガム(6.75マイル)では後続集団を400m引き離す。
第2チェックポイントーネイッック(10.5マイル)地点。相変わらずフレミングが
単独首位。ラップタイムは50分08秒。
後続集団は20人から13人へ
ライアン、カードング(アメリカ)、マホニー(アメリカ)、ロジャース
スチュアート(アメリカ)、ホッジ(カナダ)、ビヨクルンド(アメリカ)
トーマス(アメリカ)ら。青梅マラソンから招待の高見健二(小西六)と
瀬古の日本人は2人。
第3チェックポイントー ウェールズリー地点(13.75マイル)フレミングが先頭だがここまでで脱落。
代わってビヨクルンドが先頭に出てくる。
第4チェックポイントでラップを取ったビヨクルンドだが後続から
瀬古とロジャースの優勝候補2人が抜け出し、ビヨクルンドに迫る。
心臓破りの坂に差しかかる。瀬古とロジャースの並走、そのすぐ後ろがビヨクルンド。
しかし3つ目の坂を登りきった直後の第5チェックポイント(30km過ぎ)でロジャースがスパート。
20mの差をつける。21.6マイルでは4年前に出した自らの大会記録に17秒遅れ。
ダウンヒルのスペシャリストといわれるロジャースのストライドの瀬古がついていけない。
ラスト7km- 最後のチェックポイント(クーリッジコーナー地点、24.12マイル)
ロジャースは瀬古に100mの差をつける。
大会記録に2秒差まで迫ってきた。 ロジャースは何度も後方を振り返り
瀬古との差を確認する。差は少しずつ開いていく。
ゴールー ロジャースが2時間9分27秒 全米新記録 大会新記録 世界歴代4位でゴール。
2位に瀬古。タイムは前年の福岡優勝で記録した2時間10分21秒を最新する
2時間10分12秒。世界歴代8位、日本学生新記録だった。
166:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/19 23:37:35
83回 ボストンマラソン成績
1、2時間09分27秒 ロジャース(アメリカ) 大会新記録 世界歴代4位
2、2時間10分12秒 瀬古利彦(日本) 日本歴代2位、日本学生新、世界歴代8位
3、2時間12分30秒 ホッジ(カナダ)
4、2時間13分14秒 フレミング(アメリカ)
5、2時間13分14秒 ビヨクルンド(アメリカ)
6、2時間13分57秒 k・ライアン(ニュージーランド)
7、2時間14分04秒 ドイル(アメリカ)
8、2時間14分12秒 トーマス(アメリカ)
9、2時間14分36秒 アトキンス(アメリカ)
10、2時間14分36秒 マホニー(アメリカ)
41、2時間18分10秒 高見健二(日本)
79、2時間21分56秒 ショーター(アメリカ)
167:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/19 23:38:53
瀬古―海外初制覇
第85回 ボストンマラソン レース展開
1981年4月21日 午前9時 スタート 気温9度 北西の風0.9m
6848人参加
参加日本人選手 瀬古利彦(エスビー食品)
喜多秀喜(神戸製鋼)
松尾正雄(九州電工)
スタートー ファネリー(アメリカ)が果敢に飛び出す。最初の1マイルを
4分37秒。5kmは14分33秒で通過。
瀬古、喜多、ロジャース(アメリカ)を含む集団40人は15分01秒。
10km-ファネリーが29分21秒。集団との差は約1分。後続集団ではタブ(アメリカ)が前に出てくる。
15km-ファネリー44分51秒。ペースが落ちてくる。しかし後続集団は約400m
遅れの46分02秒で通過。
ファネリーは観衆に手を上げたり、車椅子ランナーを追い抜くたびに肩を
叩いたりしてパフォーマンスが過剰。
20km-60分40秒。 後続とは45秒差。
中間点ー63分52秒。徐々に差が詰まり始め、300m差に。
後続集団から喜多が遅れ始める。松尾はすでに脱落。
25km-1時間16分01秒。ファネリーの足取りが重い。ついに後続の差は100m。
26km-後続集団からアメリカのメイアーが出て集団をリードしてファネリーを
抜き去る。ファネリーは降参したような表情。
後続集団はすでに瀬古、ロジャース、バージン(アメリカ)、チェトル(オース
トラリア)、ペファー(アメリカ)、イースト(アメリカ)に絞られる。
27km-メイアーが後続6人を30mリード。 ペファーが集団から脱落。
28km-ついに優勝候補のロジャースが集団から後退し始める。イーストとともに脱落。
30km-メイヤー1時間31分32秒。 瀬古、バージン、チェトルが6秒差。
168:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/19 23:39:34
31km―メイヤーが3人に捕まり後退。3人の優勝争い。
ハートブレイク・ヒルに差し掛かる頃、チェトルが脱落。瀬古とバージンが並ぶ。
ヒルの中間でチェトルは50m差。ロジャースが後続で粘り、メイヤーを獲らえる。
その後ろ30mでイースト。
ついにバージンが先頭へ。瀬古がバージンの後ろへ。
ハートブレイク・ヒルの頂点から瀬古が前に出て、ペースを上げる。
ここで2人のスピードランナーによる強烈なスピードアップ。
35km-1時間46分54秒。
36km-バージンがスパート。瀬古がピッタリと背後につく。バージンの顔が苦しく
なる。瀬古は無表情。
ビーコン通りに出る90度の左折で瀬古が強烈なスパート。
あわててバージンが追ったが、アッという間に差がつく。
ロジャースがメイヤー、チェトルを抜き去り3位に浮上。
40km-2時間02分06秒。世界最高クレイトンとの差は11秒。
昨年、福岡のラストを換算すると2時間08分43秒に。世界最高の
期待が高まる。しかし瀬古もかなり苦しい表情。アゴが上がってきた。
あと1kmで2時間06分19秒。8分台の期待は消える。
ゴールー2時間09分26秒。瀬古海外で初優勝。79年ロジャースの大会記録
2時間09分27秒を1秒最新する世界歴代5位。
2位には同年1万m世界ランキング1位の新鋭・バージンが入り、
3位にロジャース。
169:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/19 23:40:25
85回 ボストンマラソン 成績
優勝、2時間09分26秒 瀬古利彦(日本)(日本歴代2位、世界歴代5位)大会新
2位 2時間10分26秒 バージン(アメリカ)
3位 2時間10分34秒 ロジャース(アメリカ)
4位 2時間11分33秒 ロドウィック(アメリカ)
5位 2時間11分35秒 イースト(アメリカ)
6位 2時間11分52秒 トイボラ(フィンランド)
7位 2時間12分01秒 リンド(アメリカ)
8位 2時間12分23秒 チェトル(オーストラリア)
9位 2時間12分31秒 ヘフナー(アメリカ)
10位 2時間12分55秒 ガルシア(コロンビア)
50位 2時間18分45秒 松尾正雄(日本)
97位 2時間22分25秒 ファネリー(アメリカ)
620位 2時間36分59秒 喜多秀喜(日本)
優勝 瀬古利彦 ラップタイム
5km 15.01
10km 30.21(15.20)
15km 46・02(15.41)
20km 1.01.25(15.23)
25km 1.16.24(14.59)
30km 1.31.38(15.14)
35km 1.46.54(15.14)
40km 2.02.06(15.12)
2.195km(7.22)
2時間9分26秒
170:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/19 23:42:11
現役時代を見てみたかったな
解説だけだと凄い人には見えないからなあ
171:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/20 22:42:20
瀬古の五輪年の成績 モスクワの80年とロスの84年
これみると80年がいかに充実していたかがわかる。
ロスの84年は全体的に記録が低調。83年福岡までがピークかな。
1980年
04月27日 優勝 10000m 28分46秒9 群馬リレーカーニバル
05月05日 優勝 10000m 28分18秒6 スポニチ国際
05月17日 優勝 20000m 58分46秒0(日本新)東日本実業団対抗
07月01日 2位 5000m 13分30秒94 ビスレットゲームス
07月07日 優勝 10000m 27分43秒44(日本新)DNガラン
07月09日 3位 10000m 28分09秒42 ワールドゲームス
09月06日 優勝 5000m 13分50秒5 日中対抗
09月15日 優勝 5000m 13分46秒7 早慶戦(オープン)
09月20日 優勝 10000m 28分38秒7 八カ国陸上
09月27日 優勝 20000m 58分51秒9 全日本実業団対抗
09月28日 優勝 10000m 28分24秒6 全日本実業団対抗
11月03秒 優勝 20kmロード 59分03秒 中条ロード
11月23日 優勝 20kmロード 57分48秒5(日本最高)府中多摩川20km
12月07日 優勝 マラソン 2時間09分45秒 福岡国際マラソン
(社会人5年目・エスビー食品)
1984年
04月28日 優勝 10000m 28分48秒7 東京選手権
05月12日 優勝 20000m 58分43秒0 東日本実業団対抗
05月29日 優勝 20000m 59分41秒1 記録会
08月12日 14位 マラソン 2時間14分13秒 ロサンゼルス五輪
10月21日 3位 10000m 28分32秒49 日本選手権
11月03日 2位 10000m 28分11秒25 韓国選手権
11月18日 区間1位 6区(23km) 1時間08分08秒 東日本実業団駅伝
12月18日 区間1位 6区(23.2km)1時間08分30秒 全日本実業団駅伝
172:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/21 20:50:57
瀬古選手のラスト2.195kmのラップを集めてみた。
優勝10回のすべとの記録。最後で刺すイメージ強いが、
実際、競技場で勝負を決めているのは79年福岡、80年福岡
(これは競技場入る直前)、83年福岡の3回のみ。
このラップがいちばん良いものになっている。
中盤~終盤で抜け出したのが、78年福岡、81年ボストン、
83年東京、86年シカゴ、87年ボストン。
これは最高で6分41秒だが、思ったより7分台が多い。
そして序盤で抜け出したのが86ロンドン、88びわ湖。かなり
遅いものとなっている。
やはり終盤まで相手の力を利用して走るのが瀬古の真骨頂といえよう。
逆にいえば、記録的には今のペースメイク確立時代に走らせたい
ランナーでもある。
78年福岡 6分57秒(2時間10分21秒)
79年福岡 6分40秒(2時間10分35秒)
80年福岡 6分37秒(2時間9分45秒)
81年ボストン 7分22秒(2時間9分26秒)
83年東京 6分41秒(2時間8分38秒)
83年福岡 6分22秒(2時間8分52秒)
(ロス五輪以降)
86年ロンドン 7分18秒(2時間10分02秒)
86年シカゴ 7分11秒(2時間8分27秒)
87年ボストン 7分02秒(2時間11分50秒)
88年びわ湖 7分56秒(2時間12分41秒)
173:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/22 23:29:09
>>172
ロス以降、7分切ってないんだ。
神通力消えてたんだな。
晩年の巨人の桑田みたいなもんだ。名前でかわして、テクニックでカバーみたいな。
174:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/23 00:16:42
瀬古が引退するまでの総走行距離は、16万km(地球4周分)だったらしいが、
ロス五輪の時点ですでに10万kmを超えていたから、すでにポンコツだったといえる。
また、83東京のあとに肝機能障害になり、84年には猛暑の東京で走り込んで
血尿になり腎臓にもダメージを負ったから、真のスタミナは失われたと思われる。
175:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/28 00:46:43
瀬古は中距離出身だけにトラックにこだわりを持っていた。大学3年の欧州遠征
ではDNガランで学生新で優勝、5000でもケルン国際で優勝と欧州の選手とも互して
いく自信を持っていた。しかしその自信を打ち砕いたのが9月の八ヶ国陸上での
オルチス(伊)との一戦であった。オルチスは当年の欧州選手権でバイオニに
ついで2位(27:31:48)に入った一流中の一流選手であった。当時ヘンリー・ロノ
が世界記録を更新、B.フォスターとバイオニが当年に上の記録を出していたが77年
までだと上に2人しかいない大記録(78年終了時でも歴代6位)を持っていた。
レースは遅いペースで進みながら瀬古とオルチスのマッチレースとなり、最後の
一周になるあたりでスパートの機会をうかがって前に出るのを嫌がった両者が
ジグザグ走行をする珍しい光景も見られた。結局、瀬古が前に出た状態でオルチス
が必殺のスパート。瀬古は全く対応できず一周で8秒もの大差がついた。この敗戦
でトラックを捨て、マラソン一本に絞る決心がついたといわれている。
176:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/29 03:08:14
フィンランドのバイニオはロス五輪2位だったがドーピングにより失格と
なり、金井豊が8位→7位、スティーブ・ジョーンズが9位→8位と
繰り上がったような記憶がある。
80年の国立競技場で行われた大会で瀬古が必殺スパートでバイニオを
下して勝利したような気がするが記憶違いかもしれない。
177:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/29 03:42:07
81年のボストンも8分台可能だったなあ。
スピードで勝るバージン相手の勝負だったんで、随分と仕掛けどころが
早くて、それが当時は、とっても異質に思えた。
178:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/29 04:29:49
>>175
オルチスは欧州選手権5000のチャンピオン
瀬古はニャンブイにも負けた時に油断負けなんて言ったのでオヤと思ったが
おおむね現役時代は風貌からして謙虚な人柄と思われていたが
実はとんでもない男だったわけだ
中村監督はそれを知って隠したんだな
しかし50過ぎて何故解説という立場がありながらあんなに早稲田早稲田言うんだろ
179:↑ バカだろこいつw
10/09/29 23:06:38
宮崎のやつらとかマラソンヲタとか
瀬古古っ渡辺ほか選手多数とりほーだいでつぶしまくった瀬古ワセダ関係者
日本の長距離マラソン関係者とヲタはバカばっかw
トリインフルエンザ
コウテイエキ
どちらも全てヒガシ国原ハゲがマスごミテレビカメラの前に過剰ヒンパンに出てキモ顔出続けてしゃべりまくったり
マラソンランニングジョグ偏重助長してるヤクビョウガミなのが原因
プロ野球選手と野球して遊んだり職権濫用も甚だしい
おまえらみぬく目なさすぎ
ヤクビョウガミ ひがし国原ハゲのせいで動物たちが、、
180:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/29 23:41:06
瀬古はオルティスやマメーデ、あとステファーノ・メイとかラストの定評の
あるトラックの一流にはラストで勝てなかった。
しかし、平均型のバイニオ、アンチポフ、サラザール、あたりはラストで
子供扱いのようにちぎった。
トラックの力はロス五輪優勝のイタリアのコバ レベルかな。
何気にトラック欧州遠征ではコバに負けたことがないんだよな。
181:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/30 00:30:18
>>172
>>177
この表見ると81ボストンだけラストがへばってるね。
かなり早くで仕掛けたようだね。うまく走れば2時間8分台が出たのかもね。
182:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/30 00:39:20
よく飽きないね
それだけは感心するわ
183:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/30 00:42:39
マラソンでも結果残せず
トラックなんてさらに中途半端
こんなもん持ち上げようがないよ
オタがどんなに頑張っても
結果という事実で全部否定されちゃうから情けないよね
184:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/30 23:52:03
>>172
87年のボストンは、もうどんなに頑張っても好記録は望めないレース展開に
なってしまったし、完全に安全圏に入ってしまったので、無理に頑張る必要も
なくて、恐らくラストの2.195kmは流して走ってしまったのだろう。
ロス五輪以降の5つのマラソン・レースでは、最も『強い瀬古』をアピール
出来たレースだった。
185:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/01 00:31:07
>>147
ソウル五輪は意外に集団から離脱後は大崩れしなかった。
離脱後、キャステラに抜かれた展開はロスにそっくりで、そのまま
ズルズル行くものと覚悟したが、9位で競技場に戻ってきて
ホッとしたと同時に、「あと一人抜けば入賞なのにな」という残念
な気持ちがあった。40kmではカシャポフに先行されて10位での
通過だったが、ゴールでは8秒差で抑えた。往年の瀬古スパートの
面影は全くない競技場での走り。びわ湖の時のような苦しみ抜いた
様子もなく、淡々とした表情。「これがマラソン・レースの見納め
なのかも知れない」という寂しさに襲われた。あの年は雨がとても
多く、五輪がなければ、鬱の状態が続いていたことだろう。あの
瀬古最後のマラソンレースの日も、日本は冴えない空だった。
186:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/01 05:42:44
ソウルは中山のほうに期待が行ってしまっていたな。
日本国民は。
187:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/01 07:55:56
その頃はしらねえんだんがー
いまは日本人男子だーれも世間にゃー知られてねー
おっさんれんちゅうは世間知らずか
188:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/01 22:21:06
>>176
金井7位、ジョーンズ8位の後が、マラソンで銀メダル取ったトレーシーが
9位に入ったんだよな。
ちなみに優勝候補のマメーデは予選で流して1位通過ながら、決勝は途中棄権。
ポルトガル国民が落胆しているところでロペスがポルトガル史上初のマラソン
金メダルに輝いた。
189:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/02 00:37:54
>>18530km過ぎに瀬古が遅れだしたときは、ロスの三分の一くらいの衝撃かな。
「やっぱりダメか」って感じだったな。中山が脱落した時は、ショックよりも
「なにやってんだよっ」っていう怒りを覚えた。「それなら先行逃げ切りしろよっ」
と思ったよ。先行逃げ切りできる体力なかったんだよねぇ。
190:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/03 00:52:32
瀬古の脅威的な勝率はあの時代だからこそと言える。
現代マラソンに瀬古がいたと仮定して
おそらく10勝のうち半分は優勝出来なかっただろう。
だが、瀬古の勝負強さは本物
現代に瀬古がいれば、夏レースのノウハウで五輪で金メダリストになっていたと思われる。
191:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/03 00:56:03
瀬古福岡欠場を当時「這ってでも出るべき」とコメントした中山。(後世、自分なら這ってでもでますがね。
の誤解だったらしいが…。)その時、児玉、谷口、伊藤あたりも非公式ながら瀬古批判をしている。
なぜならば真相は、ソウル五輪選考は当初、福岡、東京、びわ湖の3つから選考するはずだった。
しかしエスビーサイドが代表を早く決定したい意向もあり「福岡1本化」を提案。
87ボストンの影響もあり 瀬古が最右翼の候補だったのと、
陸連の早稲田派閥の力なのか真相は定かではないが、他の候補者がしぶしぶその提案を飲んだ。
(中には一発選考の方が分かりやすいと思っていた者もいるだろうが。)
しかし瀬古の剥離骨折による欠場、1本化から再度変更だったから皆、納得できなかったはずだ。
それだけ当時の陸連は瀬古を何としても代表に送りこみたかったんだろう。
79年、83年福岡は1位通過をきっちり決めた瀬古。
しかし晩節は神通力も低下し87年欧州遠征あたりから
衰えが見え始めていた。
びわ湖で勝った時は全盛期とは遠く及ばない凡レースだったが、宗茂は
「どうであれ優勝したのだから(代表は)瀬古ですよ。」とコメントしていたのは印象的だった。
まぁ瀬古には早稲田、陸連ともいろんな意味で借りがあったんだろう。
.中大進学が決定的な瀬古を半ば強引? に勧誘して早稲田が入学させられず瀬古を浪人させる。
.早稲田のイメージアップに貢献。
.全盛期の瀬古を五輪に出場させられなかった。.世界に通用する瀬古ブランド
他にも色々あるだろう。当時の世の中、今よりも浪花節なところがあったからね。
だからといってエスビーの取った行為は賛同できないけどね。
192:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/04 21:04:55
>>183
油ヲタを馬鹿にするな!!
193:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/04 21:09:17
>>186
そのときの国民の関心は瀬古でも中山でもなく昭和天皇だったけどな。
>>187
チンコが短い奴は引っ込んでな。
194:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/05 22:29:13
瀬古.宗兄弟不参加
第22回(1980年) モスクワ五輪男子マラソン レース展開
(コース内容)
レーニン中央競技場を出てすぐモスクワ川左岸の川岸通りを川下へ走る。
赤の広場の南端にある聖ワシリー寺院の前で川を渡る。
対岸の出て、今度は川上へさかのぼり野外劇場や観覧車のある文化公園の中
の森陰のゆるい上がり坂を通ってキエフ駅の折り返し地点へ。
樹木の多い静かなコースではあるが、変化に乏しいコース。しかしアップダウン
がわずか10mの平坦コース。
オリンピック屈指のきわめて走りやすいコースになっている。
1980年8月1日 午後5時16分スタート 37カ国 72人が参加
気温23度 湿度40% 快晴
スタートー 5月のソビエト国内予選で優勝したコトフ(ソビエト)を先頭に
一団でレーニンスタジアムを後にする。
集団は50人の大人数。ペースはスロー。
5km- モスクワ川を右に見て、東に向かって坂を登る。
ラウエンブルク(デンマーク)を先頭に15分48秒。そのすぐあとに
大集団が続く。
8.5km- 集団がラウエンブルクを取れえる。
15km- 先頭集団は約20人。 コトフ、モセーエフ(ソビエト)、ビレン(フィンランド)
コウシス(ギリシャ)、アレマエフ(エチオピア)らが互いを牽制した走り。
決してペースは速くないため、数段の先頭は立ち替わり入れ替わりで目まぐるしい状態。
フランス国内予選を2時間12分18秒で制したシャルボンネル(フランス)、マグナニ(イタリア)
ビレン、2連覇を目指すチェルピンスキー(東ドイツ)、コトフ、ネディ(エチオピア)、
ゴメス(メキシコ)、マダ(アルジェリア)、コウシスらが最前線に出たり入ったりしている。
折り返しー キエフ駅でコトフがややリードして折り返す。
20km- コトフを先頭に ズマナザロフ(ソビエト)、コウシス、ビレン、モセーエフ
ゴメス(メキシコ)、ネイブール(オランダ)らが集団で通過。 集団はまだ24人。
1時間3分42秒でプレ五輪より約20秒早いラップに。
23km- コトフが果敢に仕掛ける、一時期集団から30mリード。しかしすぐに集団は吸収。
24km- ゴメスが果敢に飛び出す。集団に50mの差をつける。
後続集団は7人。チェルピンスキー、ビレン、モセーエフ(ソビエト)、
マグナニ、 ジュマナザロフ(ソビエト)、ネイブール、ネディ