瀬古さんが在日朝鮮人に生まれていたらat ATHLETICS
瀬古さんが在日朝鮮人に生まれていたら - 暇つぶし2ch185:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/01 00:31:07
>>147
ソウル五輪は意外に集団から離脱後は大崩れしなかった。
離脱後、キャステラに抜かれた展開はロスにそっくりで、そのまま
ズルズル行くものと覚悟したが、9位で競技場に戻ってきて
ホッとしたと同時に、「あと一人抜けば入賞なのにな」という残念
な気持ちがあった。40kmではカシャポフに先行されて10位での
通過だったが、ゴールでは8秒差で抑えた。往年の瀬古スパートの
面影は全くない競技場での走り。びわ湖の時のような苦しみ抜いた
様子もなく、淡々とした表情。「これがマラソン・レースの見納め
なのかも知れない」という寂しさに襲われた。あの年は雨がとても
多く、五輪がなければ、鬱の状態が続いていたことだろう。あの
瀬古最後のマラソンレースの日も、日本は冴えない空だった。

186:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/01 05:42:44
ソウルは中山のほうに期待が行ってしまっていたな。
日本国民は。

187:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/01 07:55:56
その頃はしらねえんだんがー 
いまは日本人男子だーれも世間にゃー知られてねー


おっさんれんちゅうは世間知らずか

188:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/01 22:21:06
>>176

金井7位、ジョーンズ8位の後が、マラソンで銀メダル取ったトレーシーが
9位に入ったんだよな。
ちなみに優勝候補のマメーデは予選で流して1位通過ながら、決勝は途中棄権。
ポルトガル国民が落胆しているところでロペスがポルトガル史上初のマラソン
金メダルに輝いた。

189:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/02 00:37:54
>>18530km過ぎに瀬古が遅れだしたときは、ロスの三分の一くらいの衝撃かな。
「やっぱりダメか」って感じだったな。中山が脱落した時は、ショックよりも
「なにやってんだよっ」っていう怒りを覚えた。「それなら先行逃げ切りしろよっ」
と思ったよ。先行逃げ切りできる体力なかったんだよねぇ。

190:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/03 00:52:32
瀬古の脅威的な勝率はあの時代だからこそと言える。
現代マラソンに瀬古がいたと仮定して
おそらく10勝のうち半分は優勝出来なかっただろう。
だが、瀬古の勝負強さは本物
現代に瀬古がいれば、夏レースのノウハウで五輪で金メダリストになっていたと思われる。

191:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/03 00:56:03
瀬古福岡欠場を当時「這ってでも出るべき」とコメントした中山。(後世、自分なら這ってでもでますがね。
の誤解だったらしいが…。)その時、児玉、谷口、伊藤あたりも非公式ながら瀬古批判をしている。
なぜならば真相は、ソウル五輪選考は当初、福岡、東京、びわ湖の3つから選考するはずだった。
しかしエスビーサイドが代表を早く決定したい意向もあり「福岡1本化」を提案。
87ボストンの影響もあり 瀬古が最右翼の候補だったのと、
陸連の早稲田派閥の力なのか真相は定かではないが、他の候補者がしぶしぶその提案を飲んだ。
(中には一発選考の方が分かりやすいと思っていた者もいるだろうが。)

しかし瀬古の剥離骨折による欠場、1本化から再度変更だったから皆、納得できなかったはずだ。
それだけ当時の陸連は瀬古を何としても代表に送りこみたかったんだろう。

79年、83年福岡は1位通過をきっちり決めた瀬古。
しかし晩節は神通力も低下し87年欧州遠征あたりから
衰えが見え始めていた。
びわ湖で勝った時は全盛期とは遠く及ばない凡レースだったが、宗茂は
「どうであれ優勝したのだから(代表は)瀬古ですよ。」とコメントしていたのは印象的だった。


まぁ瀬古には早稲田、陸連ともいろんな意味で借りがあったんだろう。

.中大進学が決定的な瀬古を半ば強引? に勧誘して早稲田が入学させられず瀬古を浪人させる。
.早稲田のイメージアップに貢献。
.全盛期の瀬古を五輪に出場させられなかった。.世界に通用する瀬古ブランド

他にも色々あるだろう。当時の世の中、今よりも浪花節なところがあったからね。
だからといってエスビーの取った行為は賛同できないけどね。


192:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/04 21:04:55
>>183
油ヲタを馬鹿にするな!!

193:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/04 21:09:17
>>186
そのときの国民の関心は瀬古でも中山でもなく昭和天皇だったけどな。

>>187
チンコが短い奴は引っ込んでな。

194:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/05 22:29:13
瀬古.宗兄弟不参加

第22回(1980年) モスクワ五輪男子マラソン レース展開

(コース内容)
レーニン中央競技場を出てすぐモスクワ川左岸の川岸通りを川下へ走る。
赤の広場の南端にある聖ワシリー寺院の前で川を渡る。
対岸の出て、今度は川上へさかのぼり野外劇場や観覧車のある文化公園の中
の森陰のゆるい上がり坂を通ってキエフ駅の折り返し地点へ。

樹木の多い静かなコースではあるが、変化に乏しいコース。しかしアップダウン
がわずか10mの平坦コース。
オリンピック屈指のきわめて走りやすいコースになっている。

 1980年8月1日 午後5時16分スタート  37カ国 72人が参加

気温23度 湿度40% 快晴

スタートー 5月のソビエト国内予選で優勝したコトフ(ソビエト)を先頭に
      一団でレーニンスタジアムを後にする。

集団は50人の大人数。ペースはスロー。

5km- モスクワ川を右に見て、東に向かって坂を登る。
     ラウエンブルク(デンマーク)を先頭に15分48秒。そのすぐあとに
     大集団が続く。

8.5km- 集団がラウエンブルクを取れえる。

15km- 先頭集団は約20人。 コトフ、モセーエフ(ソビエト)、ビレン(フィンランド)
      コウシス(ギリシャ)、アレマエフ(エチオピア)らが互いを牽制した走り。

決してペースは速くないため、数段の先頭は立ち替わり入れ替わりで目まぐるしい状態。
フランス国内予選を2時間12分18秒で制したシャルボンネル(フランス)、マグナニ(イタリア)
ビレン、2連覇を目指すチェルピンスキー(東ドイツ)、コトフ、ネディ(エチオピア)、
ゴメス(メキシコ)、マダ(アルジェリア)、コウシスらが最前線に出たり入ったりしている。


折り返しー キエフ駅でコトフがややリードして折り返す。


20km- コトフを先頭に ズマナザロフ(ソビエト)、コウシス、ビレン、モセーエフ
      ゴメス(メキシコ)、ネイブール(オランダ)らが集団で通過。 集団はまだ24人。
      1時間3分42秒でプレ五輪より約20秒早いラップに。

23km- コトフが果敢に仕掛ける、一時期集団から30mリード。しかしすぐに集団は吸収。
24km- ゴメスが果敢に飛び出す。集団に50mの差をつける。
      後続集団は7人。チェルピンスキー、ビレン、モセーエフ(ソビエト)、
マグナニ、 ジュマナザロフ(ソビエト)、ネイブール、ネディ



195:続き
10/10/05 22:30:38
25km- 1時間17分55秒。さらにゴメスが差をつける。

28km- ゴメスと集団の差は100mとなる。

30km過ぎー ゴメスのペースが鈍り始める。
        後続のネイブール、コトフ、チェルピンスキーらがその差を
        20mとつめてきた。

33km- 5000mの出場を取りやめ、マラソンに勝負を賭けてきたビレン、そしてマグナニ
      が集団から脱落。 ゴメスはほぼ集団に吸収される。集団は6人に絞られた。

35km-クレムリンの赤い壁を見る地。ゴメスが3秒リードで1時間49分47秒で通過。
     
36km-ネイブール(オランダ)がトップに立つ。
     チェルピンスキーとネイブールの2人がゴメスを交わして
     2人の争いに。 ネディ、ジュマナザロフ、モイセーエフ、ネディ、マグナニが
アッと言う間に脱落。

     しかしその1分後、チェルピンスキーがするすると先頭を奪うと
     ネイブールにじりじりと差を広げはじめる。

40km- 2位に上がってきたジュマナザロフに100m引き離す。
      このあたりからチェルピンスキーが独走態勢。

チェルピンスキーのリズミカルな走法が冴え渡る。モントリオールで見せた
後半の走りを再現。少しも崩れぬフォームでレーニンスタジアムに帰ってくる。

ゴールー 2時間11分03秒 五輪史上、アベベに続く2連覇を達成。


196:続き
10/10/05 22:37:53
第22回(1980年) モスクワ五輪マラソン成績


1、チェルピンスキ-(東ドイツ)2.11.03
2、ネイブ-ル(オランダ)   2.11.20
3、ズマナザロフ(ソビエト)  2.11.35
4、コトフ(ソビエト)     2.12.05
5、モセーエフ(ソビエト)   2.12.14
6、ゴメス(メキシコ)     2.12.39

7、ネディ(エチオピア)    2.12.44
8、マグナニ(イタリア)    2.13.12
9、リスモン(ベルギー)     2. 13. 27
10、ド・キャステラ(オーストラリア)2.14.31

11、トルッペル(東ドイツ)   2.14.55
12、セケレス(ハンガリー)   2.15.18
13、スメ(ベルギー)      2.16.00
14、ニジェマンドイ(タンザニア)2.16.47
15、シャハンガ(タンザニア)  2.16.47
16、ピント(ポルトガル)    2.17.04
17、チバドイザ(コロンビア)  2.17.06
18、ショーフス(ベルギー)   2.17.28
19、スタール(スウェーデン)  2.17.44
20、コウシス(ギリシャ)    2.18.02


197:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/05 22:49:41
モスクワ終了後、高橋進 コメント

日本の3選手(瀬古、宗兄弟)、ロジャース(アメリカ)、クワックス(ニュージーランド)
がレースに加わっていたらどうだっただろうか。
中村清早大監督は、瀬古が出ていてもチェルピンスキーには勝てなかっただろうと
語っていた。これは控えめな発言であって、内心は90%まで瀬古の優勝を確信
できただろう。
私も日本人の優勝、3位までにもう一人メダルを取り、さらに5-6位までに
最後の一人も入れただろうと思う。おそらくチェルピンスキーとロジャースと
日本選手3人が36kmを過ぎてデットヒートを演じただろう。
あるいはレース展開は最初から様相が変わっていたかもしれない。
もっとハイペースでグングンとレースが進められ、中間点では先頭集団は
10名以下に絞られていたかもしれない。

このように死んだ子の年齢を数える愚を承知しつつ、かえすがえす不参加
が悔やまれる。いうところに千載一遇の好機を逃したとしか言いようがない。
3人とも入賞は確実できただけに釣り落とした魚は大きいの例え通り、残念
でならない。

198:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/06 22:01:47
>>196

カレル・リスモンは君原の上を行く 五輪3回で2位、3位、9位
の成績を上げている。地味に五輪で成績残した一人だね。

199:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/07 21:15:05
ビレンはマラソンまともに走ったのは76モントリオール五輪の5位だけだよ
福岡来たけど10位にも入れなかった。モスクワはロートルでトラックでもメダル
取れなくて、マラソンは完走できなかったんじゃないかな。

200:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/07 22:32:21
>>198
ワイナイナも同じような成績だったような

201:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/08 23:54:36
ワイナイナは3位→2位→7位じゃなかったかな?

202:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/09 00:20:14
リスモンも地味に凄い選手だ。連続メダリストの上に衰えたりとは言え、モスクワでも9位。
もっとも日本勢やビル・ロジャースが参加していたら5つは順位が違っただろう。

203:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/09 00:50:41
瀬古はチェルピンスキー相手に5戦して一度も負けていない!!!!

204:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/09 08:39:45
チェルピンスキーは
目標(世界大会)をはずさない

205:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/09 10:40:46
宗茂は著書でモスクワで3位に入ったズマナザロフには兄弟共、一度も負けたことなかった
と語ってますね。

一度、国代表ではなくオープン参加も考えたというくらい日本3選手と世界の差は確実に上だったらしいねぇ

無念ではあっただろうね


206:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/09 13:53:35
そうかな・・・
100%ドーピングとはいえ
あのときのチェルピンスキーは
かなり強かったんだが

207:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/09 20:43:16
短距離や投擲系(円盤・ハンマー・やり)と違って、
当時の医学水準じゃ、マラソンに有効なドーピングとか無理じゃないの。
濃縮した血液なんか輸血したら、たちまち脳梗塞や肺塞栓でオダブツだよ。


208:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/10 01:00:38
浅田真央は、瀬古の運命に似ているな。まあ、銀メダルを取れただけマシだが。

1)トリノに出ていれば金メダルの可能性もあったが、年齢制限で出場できず。
  (瀬古;政治的理由で、モスクワをボイコット)
2)採点方法の変更で、ジャンプよりも全体の流れや芸術性が重視されてしまう。
  (瀬古;冬マラソンの調整は万全だったが、未知の夏マラソンへの変更を余儀なくされる。)
3)直前の練習と、本番(SP1回、フリー2回)のトリプルアクセルで
  スタミナを消耗し、ガス欠を起こして終盤にミスを連発。
  (瀬古;レース直前まで猛暑の東京で走り込み、脱水症状で血尿も出る。)



209:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/10 01:05:27
525 :ゼッケン774さん@ラストコール:2010/08/17(火) 00:55:56
モスクワで瀬古が走ってたらと今だに語られるのは、結局、この大会はライバルが少なかったんだよね。
世界レベルで走れるのはモイセーエフ、ロジャース、に日本の瀬古、宗兄弟くらいだったんだよ。
チェルピンスキーは五輪だけの選手で格下扱い。バルチャ、ネディのアフリカ勢も小粒。ネイブールは直前に記録出したが
爆発力なく、青梅で瀬古にこてんぱんにされた。

ゴメス、キャステラはまだ力不足。チェ、高の北朝鮮勢はうるさい存在でも日本が負ける相手ではない。
ショーターは力の衰え隠せず、代表にもなれず。
コトフ、ジュマナザロフの残りの地元勢もかなり格下。

夏レースは伏兵が出てメダルさらうことあるが、まだモスクワくらいまでは強豪が順調に上位にくるくらいの天候レース。
本番のレースは後半かなりペースが上がったが、前半の16分以上かかったラップ時は、先行逃げ切りタイプの
メダル候補・宗茂が前に出てくると思われ、あんなレースにはなってないだろうね。ゴメスもスローだった
から中盤で出れたと思うね。金の確率は東京五輪以降のレースでは一番近い大会だったと思う。
最低日本勢の2人はメダル取っただろう。


210:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/10 01:09:39
このスレ上げないと気がすまないの
マジで見苦しいから下げといた方がいいと思うよ

211:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/10 01:23:00
まだ8分台が世界記録だった時代に世界記録も出せず
五輪では出場しただけで結果は14位9位
瀬古がかろうじて一度だけ出したマラソン日本記録はあっという間に更新された。
早稲田でなければ誰も相手にしてないだろう。
これほどマスコミの恩恵受けた選手も珍しいよ。

212:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/10 02:58:05
モスクワでは、序盤随分スローな展開だが、先行逃げ切りレースを何回か
やっている宗茂がいたら展開もずいぶん違ったものになったかも知れない

213:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/10 03:36:36
どなたか、79年福岡国際マラソンの実況をお願いします。

214:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/10 08:21:35
「チェルピンスキーは五輪だけの選手で格下扱い」???

ふつうに考えて“五輪だけ”という表現はおかしいだろ。
みんな五輪に照準あわせるんだから。

瀬古はとても強い選手だったのに
へんな持ち上げ方するからアンチにつきまとわれるんだよ。

215:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/10 15:23:16
>>214
マラソンのチェルピンスキー、長距離のビレン、中距離のスネルとか
国際大会はからきしなのに不思議と五輪で活躍する選手はいたな
チェルピンスキーが各下なのはしょうがないよ
福岡でまともに走れてないもの、いくら五輪王者でも
3位
32位
途中棄権
6位
15位
これでは毎年、瀬古や宗兄弟と力が互角と見るのは失礼。
ドーピングの疑いのかかるのはしかたがないよ。まあ80年福岡は真面目に走って瀬古に完敗して、瀬古には勝てないとコメントしてるからなぁ

216:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/10 15:45:35
晒しあげとくか

217:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/10 17:44:07
五輪2金の方が格下って
そりゃあ無理があるわな

218:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/10 19:21:31
アベベの時は文句無しだったが、チェルピンスキーの場合は
ケチのつきまくりで、ちょっと気の毒ではあるな。


219:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/10 23:35:05
ヘルシンキで行われた第1回の世界選手権(83年)でも3位に入っているし、
大変な選手ですよ。
ただ、当時は偉大さに多くの人は気付いていなかった。

220:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/10 23:52:35
79年の福岡の途中棄権は競技場に入ってきながら「やーめた」と投げてしまった棄権。
この時、翌年の五輪連覇を予想した人は恐らく皆無に近い筈。

221:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/11 00:31:03
リアルで見てないとチェルピンスキーは過大評価になるよ。
五輪2連覇で世陸3位ならアベベやショーターと並ぶ評価でもおかしくないんだけど、内外で
チェルピンスキーを強いと評価されてるの聞いたことがない。
実際リアルで見てると日本のレースでは瀬古の相手ではないくらい弱わすぎた。
不思議な選手だった。


女子ならエゴロワみたあな選手かな。しかしエゴロワは間の大会でも、例えば東京国際女子でも
優勝したりしてまだ活躍してるからな
チェルピンスキーは日本に10回くらい来て日本勢にほとんど負けまくった。

222:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/11 00:35:50
東京は83年と84年は走っている。ひょっとしたら84東京がラストレースか?

223:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/11 02:15:59

ワルデマール・チェルピンスキー(東ドイツ) 現役全レース成績

1974.10 コシチェマラソン 2:20:28.4 3位
1975.10 コシチェマラソン 2:17:30.4 7位
1976.04 カールマルクスシュタット 2:13:57.2 優勝
1976.05 ヴィッテンベルク 2:12:21.2 優勝 モントリオール五輪選考会
1976.07 モントリオールオリンピック 2:09:55 優勝 五輪最高記録、自己最高記録
1976.12 福岡国際マラソン 2:14:56 3位
1977.10 コシチェマラソン 2:16:00.3 3位
1978.05 プラハ 2:14:51 優勝
1978.06 東ドイツ選手権(コトブス) 2:14:58 優勝
1978.09 ヨーロッパ選手権(プラハ) 2:12:20 4位
1978.12 福岡国際マラソン 2:22:49 32位
1979.09 カールマルクスシュタット 2:15:50 優勝
1979.12 福岡国際マラソン ----------- (棄権)
1980.05 カールマルクスシュタット 2:11:17 優勝
1980.08 モスクワオリンピック 2:11:03 優勝 五輪連覇
1980.10 コシチェマラソン ----------- (棄権)
1980.12 福岡国際マラソン 2:10:24 6位
1981.09 ヨーロッパカップ(アーヘン) 2:15:44 2位
1981.12 福岡国際マラソン ----------- (棄権)
1982.01 マニラ 2:14:27 優勝
1982.06 東ドイツ選手権(ドレスデン) 2:12:59 優勝
1982.09 ヨーロッパ選手権(アテネ) 2:17:50 6位
1983.02 東京国際マラソン 2:12:40 7位
1983.06 ヨーロッパカップ(ラレド) 2:12:26 優勝
1983.08 世界陸上選手権(ヘルシンキ) 2:10:37 3位
1983.12 福岡国際マラソン 2:15:13 15位
1984.02 東京国際マラソン 2:12:00 8位
1985.10 コシチェマラソン 2:19:52 5位






224:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/11 02:18:32
>>213

瀬古、宗兄弟 死闘のレース モスクワ選考会 レース展開

第14回(当時) 福岡国際マラソン 兼 モスクワ五輪マラソン代表選考会
1979年12月2日(日) 正午スタート 
平和台陸上競技場~雁ノ巣折り返し 気温11.5度 湿度47% 西北西1.9m

外国勢33人(一般参加含む)含む 112人参加


スタートー 宗猛(旭化成)、大久保初男(大昭和製紙)、コウシス(ギリシャ)が前に
      出てくる。競技場での最初の1kmは3分。宗猛が下がり、ロドウィック(アメリカ)
      が先頭でロードへ

2km- ロドウィック、大久保、古田匡彦(長居AC)が飛び出す。大集団を15mリード。

3km- 3人が後続集団を30m引き離す。

5km- 15分15秒で3人が同時に通過。後続集団はモスクワ行きの切符がかかっているため
     自重気味。集団はまだ40人前後。15分25秒で10秒差。

7km- 大久保が古田とロドウィックを引き離し始める。単独トップに立つ。

10km- 30分23秒で大久保。2位のロドウィックに100mの差をつける。3位はさらに
      30m後方で古田。大集団は30分58秒。スローな展開で36名。されに20m以内に
      22名と空前の大集団となる。

11km- 古田が後続に吸収され、13kmではロドウィックも吸収された。

15km- 大久保の独走が続く。45分38秒でこの間は15分15秒。後続の大集団では
      日本の中堅所、毛利泰文(九州電工)、福山長安(東京都庁)、菊地武彦(リッカー)、
      そして前半リードした古田が脱落。それでも32名。大久保とは41秒差で200m以上
      の差がついている。

20km- 大久保のペースが落ち始める。1時間01分10秒でこの間は15分32秒。
      後続集団の先頭にはバージン(アメリカ)、鎌田俊明(鐘紡)、渡辺康徳(九州電工)、
      ワードロー(オーストラリア)、宗茂(旭化成)の入賞候補が出てくる。

      大集団はスタートからほとんど変化のないペースで推移。15分21秒―33秒の
      間で収まるラップ。この間は1時間01分45秒で15分26秒。

      大集団の後方でマクスエウェル(カナダ)、ホウイソン(カナダ)が9秒遅れ。
      そのさらに後方はジュマナザロフ(ソビエト)、高(北朝鮮)、コウシスが通過。



225:続き
10/10/11 02:19:15
23km- 大久保のペースがみるみるダウン。ついに集団に吸収された。集団の先頭には
      宗猛、チェ(北朝鮮)、サンドバル(アメリカ)、ワードロー、宗茂の顔が見える。

24km- バージンが足を引っ掛けて転倒。 集団のペースはなかなか上がらない。
      ついに大久保が脱落。高見健二(小西六)も後退。

25km- 1時間17分17秒で通過。集団は18名に。

26km- フォード(イギリス)、ワードロー、チェの外国勢が前に。日本の主力はまだまだ
      中間~後方で自重し牽制している。 そのため、

29km- 一時期150m遅れていたジュマナザロフがペースをあげて再び集団に戻ってきた。 

30km- この間を15分52秒要する。ゴメス(メキシコ)が脱落し18名に。

      メンバーは宗茂、宗猛、瀬古利彦(早大)、鎌田、伊藤国光(鐘紡)、喜多秀喜(神戸製鋼)
      武富豊(神戸製鋼)、渡辺、弓削裕(旭化成)、フォード、チェルピンスキー(東ドイツ)
      ライアン(ニュージーランド)、マッカリー(アメリカ)、スコット(オーストラリア)、ジュマナザロフ
      チェ・チャンソプ、サンドバル、ワードロー

      30kmを過ぎて少しづつペースが上がってくる。
30.5km- 鎌田、弓削が脱落。 唯一の下り坂にかかり益々ペースがあがる。集団は次々に分裂。
        五輪覇者のチェルピンスキー脱落。

34km- 代表候補の喜多がついに脱落。そいて武富も力尽きる。ジュマナザロフは急ペースで追いついた
      疲れがでてはるか後方へ。続けざまにスコットとライアンも脱落。

35km- ついに集団は6名に。1時間48分32秒でこの間を15分23秒。30秒ほどペースが上がった。
      まだ2時間10分台の期待を残す。

      35km過ぎについに五輪候補の伊藤が遅れ始める。宗兄弟、瀬古、フォード、チェの5名。
      伊藤は苦しそうで徐々に離れる。フォードとチェが先頭で日本勢が後ろでつく展開に。



226:続き
10/10/11 02:21:35
36km- 北朝鮮のチェが遅れ始める。ついに4名の優勝争い。フォードが先頭で逃げ始め、その左右に
      宗兄弟が並ぶ。瀬古は最後尾で伺う。

40km- 2時間03分55秒。ペースは同じ15分23秒。チェは200m後方。

40km過ぎー 宗猛がスパート。グイグイ前に出る。すぐに宗茂が反応し、背後に。1、2mとフォードが
       離されていく。瀬古はさらに後ろでスパートに反応ができない。5m、10mと置いていかれる。
       あと2km地点は2時間4分32秒。2時間11分を切るのは確実となった。

       宗兄弟のスパートが落ち着く。少しづく後方の瀬古がジワジワと差を詰め始める。フォードは
       瀬古の後ろに後退。

あと1km- ついに瀬古が宗兄弟の背後にピッタリとついた。そして平和台陸上競技場へ。
    
宗猛が先頭。茂―瀬古の順でホームストレートからあと1周。ラスト200mで瀬古が渾身のスパート。
      茂、猛を抜き先頭へ。ラスト100mでは茂も猛をかわす。

瀬古優勝。2位宗茂。3位宗猛。 宗猛は自己記録となった。4位はフォード。マラソン2回目で10分台の
快挙を達成。8位で日本人4位は伊藤。しかし自己記録となった。 前半リードした大久保は82位。
またモントリオール五輪覇者のチェルピンスキーは途中棄権。大ベテラン君原健二(新日鉄)は48位だった。

瀬古、宗兄弟は晴れてモスクワ五輪代表の切符を手にした。


第14回(当時) 福岡国際マラソン 成績

1、 2時間10分35秒 瀬古利彦(早大)
2、 2時間10分37秒 宗茂(旭化成)
3、 2時間10分40秒 宗猛(旭化成)
4、 2時間10分51秒 フォード(イギリス)
5、 2時間11分40秒 チェ・チャンソプ(北朝鮮)
6、 2時間11分55秒 スコット(オーストラリア)
7、 2時間11分55秒 ワードロー(オーストラリア)
8、 2時間12分08秒 伊藤国光(鐘紡)
9、 2時間12分33秒 ライアン(ニュージーランド)
10、2時間12分47秒 武富豊(神戸製鋼)

11、2時間14分05秒 ジュマナザロフ(ソビエト)
12、2時間14分12秒 弓削裕(旭化成)
13、2時間15分01秒 マッカリー(アメリカ)
14、2時間16分14秒 コウシス(ギリシャ)
15、2時間16分18秒 ゴメス(メキシコ)
16、2時間16分19秒 鈴木三男(日本電気)
17、2時間16分59秒 バージン(アメリカ)
18、2時間17分01秒 ロドウィック(アメリカ)
19、2時間17分04秒 リ・ジョン・ヒョン(北朝鮮)
20、2時間17分28秒 ホウイソン(カナダ)

21、2時間17分37秒 鎌田俊明(鐘紡)
41、2時間22分25秒 喜多秀喜(神戸製鋼)
48、2時間23分52秒 君原健二(新日鉄)
82、2時間31分09秒 大久保初男(大昭和製紙)


227:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/11 05:24:51
この79年福岡は本当にマラソン史上に残る名勝負だ。宗猛が世界的マラソンランナーの域に
達した出世レースとして記憶にとどめたい。

228:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/11 05:35:38
そうそうたるメンバーだ。まさに当時はボストン・ニューヨークに
肩を並べる権威が福岡にあったと分かる。詳しい実況、お疲れ様ざんす。

229:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/11 05:41:16
しかし喜多秀喜の脱落してからの落ち込み方は異常だ。完全にジョッグになっちゃったみたいだ。
鎌田も懐かしい名前。適正種目は、やはりトラックだったか。
ここで出ているゴメスは翌年の五輪6位で、83年東京で瀬古と名勝負を演じて敗れた
ロドルフォ・ゴメスと恐らく同一人物でしょう。

230:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/11 05:46:22
瀬古とワンジルはどっちが強い?
いや時代も考慮してね

時代入れなければワンジルの圧勝だろうし

231:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/11 05:53:02
>>230
瀬古だろうな
今の時代ワンジルと走っても世界大会じゃなければ10回中8回は勝つよ

232:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/11 06:01:41
基本走力はワンジルが上だが83年当時ならば瀬古は対等の勝負が出切る。

233:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/11 06:33:19
宗茂のランニング・フォームは素晴らしい。宗猛がスパートをかけた直後の
79年福岡の時の写真を見たが、見事なまでに脚が上がった走りだ。
40km過ぎてこれだけ躍動的に走れるマラソンランナーは本当に珍しいの
ではないか。惚れ惚れさせられた。

234:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/11 11:46:53
>>229
まさにゴメスはロドルフォ・ゴメスのこと。
また11位のジュマナザロフは翌年の五輪銅メダル
途中棄権をしたチェルピンスキーが金メダル獲得
16位のバージンは翌年の10000m世界ランキング1位で81ボストンでは瀬古と
競い合う。
前半集団で頑張ったサンドバルも当時はマラソン世界歴代上位のランナー
ロドウィックはボストンの上位の常連
この時、ビレンも招待されたが欠場。

喜多は34kmで遅れてからはほとんどジョッグ状態だった。

235:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/11 14:46:22

1979年12月までの 男子マラソン世界歴代15傑

1、2時間08分33秒6 クレイトン(オーストラリア) 1969 アントワープ
2、2時間09分05秒6 宗茂(日本)         1978 別府大分
3、2時間09分12秒  トンプソン(イギリス)    1974 クライストチャーチ
4、2時間09分27秒  ロジャース(アメリカ)    1979 ボストン
5、2時間09分28秒  ヒル(イギリス)       1970 エジンバラ
6、2時間09分55秒  チェルピンスキー(東ドイツ) 1976 モントリオール
7、2時間10分00秒  スメ(ベルギー)       1979 アムステルダム
8、2時間10分08秒4 ドレイトン(カナダ)     1975 福岡
9、2時間10分12秒  瀬古利彦(日本)       1979 ボストン
10、2時間10分15秒  ウェルズ(アメリカ)     1978 ボストン

11、2時間10分20秒  サンドバル(アメリカ)    1979 エジンバラ
11、2時間10分20秒  チェトル(オーストラリア)  1975 福岡
13、2時間10分30秒  ショーター(アメリカ)    1972 福岡
14、2時間10分37秒8 宇佐美彰朗(日本)      1970 福岡
15、2時間10分40秒  宗猛(日本)         1979 福岡     

236:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/11 15:17:19
瀬古 VS モスクワ五輪覇者チェルピンスキー

第15回 福岡国際マラソン レース展開

1980年12月7日  晴れ 気温11度、湿度65% 北西の風1m
出場選手 130人 完走114人 
福岡平和台陸上競技場~雁ノ巣折り返し


スタート~5km 通過が15分27秒。30人余の先頭集団。互いに様子を伺う展開。
         
10km-ペースが上がるどころか、この間を15分38秒。明らかに自重。
     ほとんどの選手が「瀬古マーク」で進むため、集団のペースが上がらない。
     先頭集団、前方には宗茂(旭化成)、菅谷久ニ(電電東京)、弓削裕(旭化成)、
     松尾正雄(九州電工)、武富豊(神戸製鋼)ら日本人選手がでる。

そして15km-15分43秒、20km-15分53秒。福岡国際始まって以来の
スローペース。ほぼ記録の期待は潰えた。前年のラップより50秒遅れる。

折り返しー 雁ノ巣、カナダのブリトンが集団の先頭。
      伊藤国光(鐘紡)、、宗茂、宗猛(旭化成)、瀬古利彦(エスビー食品)、
      ド・キャステラ(オーストラリア)、今釘長敏(小西六)、エバーディング
      (東ドイツ)、喜多秀喜(神戸製鋼)、武富らが続く。


30km-ド・キャステラを先頭に集団は10人。1時間33分03秒で
     この間は15分08秒。徐々にペースが上がってくる。

31km-前半は先頭集団から遅れたり、追いついたりしていた
8月のモスクワ五輪で連続金メダルを獲得したチェルピンスキー(東ドイツ)
     がスパート。ピッチを速める。 ピッタリマークしていた瀬古が後ろにつく。
   
     ここで喜多、武富、キャステラが脱落。



237:続き
10/10/11 15:18:22
32.5km- 瀬古が伊藤の足を引っ掛けてしまい、伊藤転倒。
        瀬古が走りながら伊藤に謝る。

33km-先頭はチェルピンスキー、ペファー(米国)、ヘンリー(豪州)、瀬古、
     宗猛、伊藤の6人。 宗茂が後退する。

33.7km- 伊藤が強めのスパート。転倒してすぐとは思えない余力。
        一気に外国招待3選手が交代。 瀬古がチェルピンスキーマークから
伊藤を追いかけ始める。
        ついに五輪王者・チェルピンスキーが遅れだす。

伊藤が瀬古、宗猛を振り切ろうと左、右にコースを変え、ジグザグを描く。

35km-1時間47分48秒(14分45秒)ハイペースに。
      伊藤の健闘が光る。瀬古と宗猛が伊藤に追いつき、3人で並走。

39km-橋の上がりかけで宗猛がスパート。伊藤国光が苦しい。
     少しずつ遅れ始める。ついに伊藤も後退。

40km-2時間03分08秒(15分08秒) 前半の遅れを完全に挽回して
     9分台の可能性が出てきた。

宗猛と瀬古の2人の優勝争いは平和台競技場の目の前に。
マラソンゲート50m先で瀬古が一気にスパート。みるみる宗猛に20mの差をつける。
スタンドは2万5千人の大歓声。
危なげない瀬古の走りで優勝。2時間09分45秒と瀬古自身初のサブテンを記録。
必死に食らいついた宗猛は4秒差で2位。宗猛もサブテンを記録した。

五輪優勝者・チェルピンスキーはゴール直前で宗茂にかわされ6位。
瀬古、宗兄弟のモスクワ五輪代表組は3人ともチェルピンスキーに勝つ結果になった。

15回 福岡国際マラソン 成績

1、2時間09分45秒 瀬古利彦(エスビー食品)
2、2時間09分49秒 宗猛(旭化成)
3、2時間10分05秒 伊藤国光(鐘紡)
4、2時間10分09秒 ヘンリー(オーストラリア)
5、2時間10分23秒 宗茂(旭化成)
6、2時間10分24秒 チェルピンスキー(東ドイツ)

7、2時間10分29秒 ペファー(アメリカ)
8、2時間10分44秒 ド・キャステラ(オーストラリア)
9、2時間11分27秒 武富豊(神戸製鋼)
10、2時間11分35秒 キャノン(イギリス)

11、2時間12分35秒 ヘフナー(アメリカ)
12、2時間13分25秒 ダーデン(アメリカ)
13、2時間13分35秒 リスモン(ベルギー)
14、2時間13分56秒 弓削裕(旭化成)
15、2時間14分37秒 喜多秀喜(神戸製鋼)
16、2時間14分38秒 エバーディング(東ドイツ)
17、2時間14分50秒 デュレンベヒャー(西ドイツ)
18、2時間15分15秒 川口孝志郎(中京大)
19、2時間15分19秒 引間金夫(新日鉄)
20、2時間15分23秒 ウイッティ(オーストラリア)


238:続き
10/10/11 15:25:21

1980年 15回(当時) 福岡国際マラソン 優勝 瀬古利彦 ラップタイム

5km 15分27秒
10km 31分05秒(15分38秒)
15km 46分48秒(15分43秒)
20km 1時間02分41秒(15分53秒)

中間点 1時間06分15秒

25km 1時間17分55秒(15分14秒)
30km 1時間33分03秒(15分08秒)
35km 1時間47分48秒(14分45秒)
40km 2時間03分08秒(15分20秒)
2.195km (6分37秒)

2時間09分45秒

239:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/11 15:37:20
1980年12月までの 男子マラソン世界歴代20傑 +2

1、2時間08分33秒6 クレイトン(オーストラリア) 1969 アントワープ
2、2時間09分01秒  ネイブール(オランダ)    1980 アムステルダム
3、2時間09分05秒6 宗茂(日本)         1978 別府大分
4、2時間09分12秒  トンプソン(イギリス)    1974 クライストチャーチ
5、2時間09分27秒  ロジャース(アメリカ)    1979 ボストン
6、2時間09分28秒  ヒル(イギリス)       1970 エジンバラ
7、2時間09分41秒  サラザール(アメリカ)    1980 ニューヨーク
8、2時間09分45秒  瀬古利彦(日本)       1980 福岡
9、2時間09分49秒  宗猛(日本)         1980 福岡
10、2時間09分55秒  チェルピンスキー(東ドイツ) 1976 モントリオール

11、2時間10分00秒  スメ(ベルギー)       1979 アムステルダム
12、2時間10分05秒  伊藤国光(日本)       1980 福岡
13、2時間10分08秒4 ドレイトン(カナダ)     1975 福岡
14、2時間10分09秒  ヘンリー(オーストラリア)  1980 福岡
15、2時間10分13秒  ゴメス(メキシコ)      1980 ニューヨーク
16、2時間10分15秒  ウェルズ(アメリカ)     1978 ボストン
17、2時間10分19秒  サンドバル(アメリカ)    1980 全米予選
18、2時間10分20秒  チェトル(オーストラリア)  1975 福岡
18、2時間10分20秒  ビヨクルンド(アメリカ)   1980 ダラス
20、2時間10分29秒  ペファー(アメリカ)     1980 福岡


21、2時間10分30秒  ショーター(アメリカ)    1972 福岡
22、2時間10分37秒8 宇佐美彰朗(日本)      1970 福岡
   


240:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/11 17:29:51
あんがい朝鮮人なんじゃないの?

241:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/11 20:37:00
瀬古は78年12月から85年4月まで6年半、世界歴代10傑入りしている。
それも5回も記録を最新し続けての維持だから対したもんだ。

242:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/12 00:26:09
>>239

福岡多いなー 9個か、別大入れると22位までで半分。昔は日本マラソンレースが活気があったのが理解できる

243:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/12 02:48:13
この福岡のレースはよく覚えてる。競技場に入る直前、画面が切り替わった時にはロケット・スパートで
あっという間に宗猛を引き離したんだけど、宗猛もよく粘って、意外に競技場内では差を開けられ
なかった。その夜、早稲田大学時代からの同僚・村尾マネージャーが「瀬古が余りにも
可哀想でした。完全に脱水症状を起こしていて、舌に塩が吹いていて固まっていました。
どんなに苦しかったかと思うと・・・・・・・」と号泣してしまったそうだ。
ハタから見れば、余裕を持って勝ったかに見えるレースだったが、実はそんな裏事情があったのかと
ビックリ。苦しさをおくびにも出さず、無表情で最後まで走り切ってしまった。
まさに怪物だった。

244:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/12 03:11:16
チェルピンスキーはレース前、「調子は悪い。勝つのは瀬古だろう。」
と強調していたが、予め負けた時の煙幕を張っていたようにも思える。

245:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/12 03:22:22
伊藤国光はこの80年の福岡で世界レベルの選手に到達したな。惜しむらくは、遂にマラソン未勝利で終わったこと。
首振りの癖があり、この福岡でもその特徴は目立った。
逆に喜多秀喜は好不調の波が激しい代わりにスレスレの勝負に強く、79別大・81読売東京マラソン、84北京、と
いずれも僅差勝ち。北京の時、競り負けたのは、そう言えば伊藤国光だった。

246:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/12 12:17:36

瀬古―マラソン初優勝

第13回(当時)福岡国際マラソン レース展開

1978年12月3日(日) 平和台陸上競技場~雁ノ巣折り返し
気温13度 湿度44% 北の風0.8m
出場89選手(招待9名) 完走80人

スタート~フレミング(アメリカ)を先頭にロードへ

5km- 同年2月に世界歴代2位を樹立した優勝候補の宗茂(旭化成)がフレミングと
     ともに先頭に躍り出る。5km通過15分19秒。フレミングは宗茂より4秒遅れる。
後続集団は22名。主なランナーはもう一人の優勝候補ロジャース(アメリカ)、鎌田俊明(鐘紡)
ビヨクルンド(アメリカ)、ライト(イギリス)、瀬古利彦(早大)、伊藤国光(鐘紡)、喜多秀喜
(神戸製鋼)、大久保初男(大昭和製紙)、北原治(養命酒)、オルテガ(アメリカ)、モイセーエフ
(ソビエト)、ワードロー(オーストラリア)、マックスウェル(カナダ)、そして2年前の五輪を制した
チェルピンスキー(東ドイツ)ら、宗茂から8秒遅れ。

10km-宗茂はこの間の15分07秒。物凄いハイペースではないが、後続が自重気味のため
28秒の差がつく。フレミングはすでに集団に吸収された。相変わらず20人前後。
すでに優勝経験のあるドレイトン(カナダ)が大きく遅れる。
大ベテラン・メキシコ銀の君原健二(新日鉄)が第2集団の先頭で引っ張る。その
後ろにドレイトン。


15km-宗茂、45分36秒で通過。15分10秒。後続差はついに47秒に。
大集団では喜多が少し遅れがち。フレミングは飛び出しの影響か少しづつ後退。
集団の先頭にはロジャース、ワードローの外国勢が出てくる。

20km-宗茂がこの間15分14秒で通過。後続集団は11人に。
     瀬古、モイセーエフ、ロジャース、ワードロー、鎌田、伊藤、ラプテフ(ソビエト)
     チェルピンスキー、ビヨクルンド(アメリカ)、喜多、宗猛、
 
     外国勢のサンドバル(アメリカ)、ペンジン(ソビエト)、トーマス(アメリカ)、
     トロッペル(東ドイツ)、ヒューソン(カナダ)らが徐々に後退。

折り返しー宗茂が悠々と一人旅。後続はワードローが前にでて折り返し。続いてロジャース。
     瀬古が3番手。
     そのままワードローがペースアップで逃げ宗茂を追い始める。すかさず喜多が
その左後方に、瀬古は右後方につく。ロジャースの表情が険しい。ラプテフやライト
     と共に遅れ気味に。 君原は12位で5人の集団で折り返し。



247:続き
10/10/12 12:19:00
25km-宗茂が疲れてきた。この間を15分25秒。ワードローと瀬古の二人がその差
     31秒差で通過。その50m後方に喜多。すぐ後ろにロジャースだが表情が苦しい。
     ラプテフがロジャースと並走。左太ももを痛めたチェルピンスキーはさらに後方。

30km-ワードロー、瀬古、喜多の前方、宗茂がかなり大きくなってくる。口をパクパク苦しい表情の
     宗茂。1時間31分48秒。この間は15分33秒。3人は28秒差で通過。
     宗猛、チェルピンスキー、鎌田もかなり遅れ始める。

32km-ワードローが疲れ2人から後退。瀬古はジリジリと喜多をも引き離しにかかった。

35km-宗茂が苦しい。15分42秒。瀬古が8秒差に縮めてきた。瀬古は15分22秒。
     
36.3km-ついに瀬古が宗茂に追いつき、すかさず前に出る。差はみるみる着き始める。
       後続は喜多―ワードロー -ライトーロジャースの順その後ろに伊藤。

40km-瀬古の独走態勢が始まる。15分46秒でカバー。唯一の15分台をお刻み、
     宗茂に追いついた喜多が2人で39秒差。ライトがワードローをかわして
     外国人トップに躍り出る。


ゴールー 瀬古が2時間10分21秒でマラソン初優勝。70年の宇佐美以来、福岡国際
     日本人2人目の快挙を達成した。学生日本新記録。
     2位には40km過ぎに宗茂を引き離した喜多が入り自己新記録。
     3位は後半で崩れた宗茂が入る。日本人のワンツースリーは史上初だった。
     前年優勝のロジャースは6位。引退をしている君原が日本人6位の17位に入った。


第13回(当時) 福岡国際マラソン 成績

1、2時間10分21秒0 瀬古利彦(早大)
2、2時間11分05秒0 喜多秀喜(神戸製鋼)
3、2時間11分41秒2 宗茂(旭化成)
4、2時間12分31秒7 ライト(イギリス)
5、2時間12分44秒0 モイセーエフ(ソビエト)
6、2時間12分51秒3 ロジャース(アメリカ)
7、2時間13分02秒0 ワードロー(オーストラリア)
8、2時間13分11秒0 トーマス(アメリカ)
9、2時間13分15秒0 ビヨクルンド(アメリカ)
10、2時間13分21秒0 ヒューソン(カナダ)

11、2時間14分13秒  伊藤国光(鐘紡)
12、2時間14分14秒  ラプテフ(ソビエト)
13、2時間15分31秒  マックスウェル(カナダ)
14、2時間15分40秒  ペンジン(ソビエト)
15、2時間16分08秒  宗猛(旭化成)
16、2時間17分07秒  君原健二(新日鉄)
17、2時間18分28秒  鎌田俊明(鐘紡)
18、2時間19分03秒  山本健一(佐々町役場)
19、2時間19分17秒  井上昭男(栃木陸協)
20、2時間19分19秒  鈴木三男(日本電気)



248:続き
10/10/12 12:21:47
13回福岡国際マラソン 優勝 瀬古利彦 ラップタイム

5km 15分27秒
10km 30分54秒(15分27秒)
15km 46分23秒(15分29秒)
20km 1時間01分36秒(15分13秒)

中間点 1時間04分58秒

25km 1時間16分46秒(15分10秒)
30km 1時間32分16秒(15分30秒)
35km 1時間47分38秒(15分22秒)
40km 2時間03分24秒(15分46秒)
2.195km (6分57秒)

2時間10分21秒(日本歴代2位、世界歴代10位、学生日本新記録)





249:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/12 12:23:17

1978年12月まで  男子マラソン世界歴代15傑 +パフォーマンス


1、2時間08分33秒6 クレイトン(オーストラリア) 1969アントワープ
2、2時間09分05秒6 宗茂(日本)         1978別府大分
3、2時間09分12秒  トンプソン(イギリス)    1974クライストチャーチ
4、2時間09分28秒  ヒル(イギリス)       1970エジンバラ
 (2時間09分36秒8)クレイトン          1967福岡
5、2時間09分55秒  ロジャース(アメリカ)    1975ボストン
5、2時間09分55秒  チェルピンスキー(東ドイツ) 1976モントリオール
7、2時間10分08秒4 ドレイトン(カナダ)     1975福岡
 (2時間10分10秒) ロジャース          1976ニューヨーク
 (2時間10分13秒) ロジャース          1978ニューヨーク
8、2時間10分15秒  ウェルズ(アメリカ)     1978ボストン
9、2時間10分20秒  チェトル(オーストラリア)  1975福岡
10、2時間10分21秒  瀬古利彦(日本)       1978福岡

 (2時間10分30秒) ヒル             1970ボストン
11、2時間10分30秒  ショーター(アメリカ)    1972福岡
12、2時間10分37秒8 宇佐美彰朗(日本)      1970福岡
 (2時間10分45秒) ショーター          1976モントリオール
13、2時間10分47秒8 アドコックス(イギリス)   1968福岡
 (2時間10分55秒3)ロジャース          1977福岡
14、2時間11分05秒  喜多秀喜(日本)       1978福岡
 (2時間11分07秒2)アドコックス         1969アテネ
 (2時間11分08秒8)クレイトン          1971ホバート
15、2時間11分12秒  オレイリー(アメリカ)    1970ボストン





250:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/12 14:09:04
大学時代に世界ランク入りはその後もいなかった
瀬古は早熟のランナーで30前後ではボロボロだった感じだ

251:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/13 01:02:26
>>246-248

乙。宗茂は福岡初優勝に自信満々で挑んだ。後半、ばてて抜かれるなら
ロジャースと思っていたところに新鋭の瀬古でガクッときたと語っている。
宗茂が福岡勝てるとしたらこの78年か翌年の3人の死闘での79年か
この2回しかなかったろう。

252:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/13 01:05:57
瀬古時代は世界が弱かったのではない。
瀬古、宗兄弟 伊藤、喜多くらいまでが世界で互角に戦えただけで
その他の日本勢は世界にまったく歯が立たなかった。
その後、中山、谷口と続いたが、それもごく少数。
今のアフリカ圧巻は気の毒な時代だけど、昔も楽だったわけでない。
瀬古が特別に世界と互角だっただけ。

253:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/14 23:05:47
福岡3連覇は素直に凄い
これだけレベルの下がった福岡でも日本人の連覇は皆無に等しい

254:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/19 01:09:02
五輪との相性がこれほど悪い世界的なランナーはいないだろ

255:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/19 01:44:23
女子ではP・ラドクリフか

256:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/19 14:38:42
>>254
瀬古より昔ならクレイトン。
世界記録2回で、1万も27分30秒台で走ったが五輪は7位と13位

キャステラも活躍まではいってないな。当時の世界陸上は福岡国際程度のレベルだったし
五輪のメダルはない。
イカンガーもそう。
90年代以降ならセロンやハヌーシも五輪はダメだったね。ハヌーシは代表にもなれなかった。

257:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/19 23:06:20
昔は日本がマラソンでは先進国で圧巻!今はアフリカ勢が圧巻、時代なんだろうね。


短距離でいえばアメリカが独占だったのに、今はジャマイカとかが圧巻だよね。


だから昔のマラソン大国日本は周りがゃわかったんじゃなくて、やはり日本が強すぎたというのは真実だろうね

258:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/20 01:17:04
80年代は好景気で、実業団には強化費用が潤沢にあったけど、
今は運動部の存続さえ危ぶまれているからね。
マラソンなんか年2回程度しかレースで走れず、練習ばかりの穀潰しだから、
真っ先にリストラの対象になる。

259:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/20 09:11:06
>>257
全米五輪選考前の大切な時期に世界記録保持者のサラザールが
「一度、瀬古、宗兄弟と顔合わせしてみたいから一般参加でもいいから福岡走らせてほしい」
と自ら申し込んでくるくらいだったからねぇ
国内レースも世界を牽引してた時代だったよ

260:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/21 00:53:01
瀬古って100mどれくらいで走ったんだろう
11秒前半では走るよナ

261:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/24 00:54:21
瀬古はともかくワシは昔うちの爺ちゃんや婆ちゃんから
宗兄弟は在日というデマを散々聞かされたことがあるw
まあ先祖は朝鮮から来た人なんだろうけど。

瀬古は朝鮮どころか愛国のマラソンランナーというイメージがあるけどな

262:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/25 09:48:41
勝負としては79年福岡と03年福岡の日本人3選手の戦いがベストレースでしょ

79年は本命が優勝し、03年は本命が3位に後退
高岡の肝心なところでの勝負弱さ 瀬古くらい勝負強いともっと評価されただろうに

263:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/25 21:48:57
ロサンゼルス五輪選考会
第18回(当時) 福岡国際マラソン レース展開

1983年12月4日(日) 快晴(気温13.5度、湿度50% 風2.5m)  
平和台陸上競技場―雁ノ巣折り返し
          
外国招待17人、国内招待9人  総勢147人

(参加選手 ベスト8)
1、サラザール(アメリカ)   2時間08分13秒 世界記録(当時は公認扱い)
2、瀬古利彦(SB食品)    2時間08分38秒 日本記録
3、宗猛(旭化成)       2時間08分55秒
4、宗茂(旭化成)       2時間09分05秒6
5、イカンガー(タンザニア)  2時間09分30秒
6、伊藤国光(鐘紡)      2時間09分37秒
7、チェルピンスキー(東ドイツ)2時間09分55秒
8、バリンジャー(ニュージーランド) 2時間10分15秒


スタートー 400mを70秒で通過後、イカンガーを先頭にロードへ

15kmでは30人の大集団。

25kmではイカンガー(タンザニア)、ペーター(東ドイツ)、サラザール(東ドイツ)
瀬古利彦、宗茂、宗猛、伊藤国光、喜多秀喜、千葉正秋 の9人。
チェルピンスキー、ハイルマン(ともに東ドイツ)、エッジ(カナダ)、前年の覇者
バリンジャー(ニュージーランド)、川口孝志郎、西村義弘、武富豊が第2集団。
さらに後方の第3集団に須永宏、工藤一良、児玉泰介。

28km-千葉とペーターが後退。
ここで瀬古、宗兄弟、伊藤、喜多の五輪候補のみが残る。の先頭は
相変わらずイカンガー、続いてサラザール。

30km-1時間31分53秒(この間は15分13秒)
31km-喜多がついに遅れ始める。約50m遅れる。

33km-喜多が脅威の追い上げ。集団に返り咲き、また7人に。

35km-1時間47分11秒(15分18秒)
    ここで再び喜多が脱落。
先頭はイカンガー、続いてサラザール。そのサラザールをピッタリマークの
瀬古がその後ろ。宗茂が後方で口をパクパクし苦しそうな表情。

残り3kmを2時間0分4秒で通過の後、ついに宗茂が5m、10mと遅れ始める。
15mと差がつく。

39.8km-イカンガーがスパート。瀬古がサラザールマークからイカンガーに
     に切り換え、背後につく。その後方にサラザールと宗猛。その後方に
伊藤国光。伊藤の首が振れ始め苦しそう。その20m後方に宗茂。



264:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/25 21:50:27
40km-2時間02分30秒(15分19秒)
     勝負はイカンガーと瀬古に絞られる。

41km-40km地点で伊藤に20m差をつけられていた宗茂が脅威の追い上げ。
     伊藤をかわしてサラザール、宗猛と抜き去り3位へ。

平和台陸上競技場― 第4コーナーから瀬古が強烈なスパート。競技場は「ウォー」
         と地鳴りのような歓声。瀬古優勝。2位イカンガー。

  残り2.195kmを6分22秒。ラスト5kmを14分40秒でカバーし
 福岡4回目の優勝。優勝タイム2時間08分52秒は世界歴代6位相当の記録と
なった。宗茂が3位。猛が4位。世界最高記録保持者のサラザールは5位に終わる。
6位伊藤国光までがサブテンで当時としては最多サブテン記録レースとなる。
7位喜多秀喜も自己最高記録。

18回福岡国際マラソン レース結果

1、 2時間08分52秒 瀬古利彦(エスビー食品)
2、 2時間08分55秒 イカンガー(タンザニア)
3、 2時間09分11秒 宗茂(旭化成)
4、 2時間09分17秒 宗猛(旭化成)
5、 2時間09分21秒 サラザール(アメリカ)
6、 2時間09分35秒 伊藤国光(カネボウ)
7、 2時間10分30秒 喜多秀喜(神戸製鋼)
8、 2時間11分48秒 エッジ(カナダ)
9、 2時間11分49秒 ハイルマン(東ドイツ)
10、2時間12分51秒 児玉泰介(旭化成)

11、2時間13分31秒 須永宏(日本電気HE)
14、2時間14分15秒 中山竹通(ダイエー)
15、2時間15分13秒 チェルピンスキー(東ドイツ)
17、2時間15分36秒 武富豊(神戸製鋼)
19、2時間16分14秒 工藤一良(リッカー)
21、2時間16分59秒 ペーター(東ドイツ)
22、2時間17分31秒 浜田安則(京セラ)
23、2時間17分38秒 渋谷俊浩(筑波大)
25、2時間17分43秒 仙内勇(ダイエー)




265:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/25 21:51:18
優勝 瀬古利彦 ラップタイム

5km―15分18秒
10km―30分37秒(15分19秒)
15km―45分53秒(15分16秒)
20km―1時間01分30秒(15分37秒)
中間点―1時間04分54秒
25km―1時間16分40秒(15分10秒)
30km-1時間31分55秒(15分15秒)
35km-1時間47分12秒(15分17秒)
40km-2時間02分30秒(15分18秒)
2.195km-6分22秒

ゴールー2時間08分52秒

残り5km地点通過-1時間54分12秒(ラスト5km 14分40秒)
残り3km地点通過―2時間00分04秒(ラスト3km 08分48秒)







266:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/26 10:32:42
上がりの6分22秒だは強いな これならアフリカ勢と勝負できるか

267:ゼッケン774さん@ラストコール
10/11/09 21:23:15
瀬古に似たランナーは沢木啓祐だろうよ。
沢木は大阪春日丘高校出身。1960年のインターハイでは1500,5000の2種目制覇
で超高校級ランナーとして大いに注目される。(しかし記録は4分台、15分台)
沢木は当時新興の順天堂大に進み帖佐寛明の指導を受ける。大学進学後も順調に
成長し、1965年には早くも13:45:2の日本新(従来は岩下察男の13:55:0)を出し、
ブダペストのユニバーシアードを制覇。翌1966年は沢木が最も輝いた年で、T&F
News の実力ランキングでも5000mで6位に入っている。因みに5000でランクイン
した日本人は沢木のみで66年の6位と68年の8位があるのみである。

66年の遠征では
6.9 (ワルシャワ)1500 1位 3.46.6
6.19 (クンチンスキー記念) 3000 3位 7.57.0 =日本新
6.22 (ロンドン:4大学対抗)5000 1位 13.36.2=日本新
6.29 (ヘルシンキ)10000 1位 28.59.0 =日本歴代2位
7.3 (ズナメンスキー記念) 5000 1位 13.47.0
7.5 (ストックホルム)5000 5位(このレースでクラークが13.16.6の世界新)
7.7 (へーセルホルム)3000 4位
7.12 (オスロ) 10000 7位
というものであった。終盤疲れたものの序盤から中盤にかけては絶好調で、
世界の一流選手にひけを取らない走力、特にキックの強さを印象づけた。
圧巻はロンドンの試合でゴール前100mで世界記録保持者のクラークを抜き、
ゴール前20mで東京、メキシコでの連続銀メダリストのガムーディ(チェニジア)
をかわし、日本新で快勝。世界に沢木ありを印象付けた。
翌1967年にも沢木は1500で3.44.5の日本新を樹立。8月30日からの東京での
ユニバーシアードでは5000,10000の両種目制覇(5000は連覇)で地元のヒーロー
となる。特に1日目のネルソンとの争いは見る者を熱くさせたが必殺のラスト
スパートで快勝した(途中遅れ気味のときもあったと記憶する)。この東京ユニバ
では沢木は聖火の最終ランナーでもあり、その期待に応えた形になる。
翌1968年も沢木は好調を保ち、10000m28:35:2, 5000m 13:33.0, 3000m 7:56:5の
三種目で日本新を樹立した。これらのうち10000mは7年、5000mは9年日本記録として
君臨した。10000mの記録は今では平凡だが、5000mの記録は今でも日本ランキング
の上位に入れる記録である。東京ユニバのヒーローでもあり知名度もあった沢木は
メキシコで大いに期待されたが初日の10000は2400m付近でアメリカ選手に跳ね飛ば
されフクラハギを強打したこともあって29位と惨敗。鈴木従道(21位)にも遅れを
取った。5000も予選9位で15分も切れない記録で予選落ち。全く精彩を欠いた。
初日の怪我ばかりでなく高地対策も十分でなかったように思われる。
 メキシコ後は故障もあって活躍する機会はあまりなかった。ミュンヘンには滑り
込みで代表に入ったものの宇佐美の記録にも及ばず期待は高くなかった。果たして
予選でも宇佐美より悪い記録と順位(12位 29:29.0)で文句なく予選落ちだった。
瀬古と沢木は共通する側面が多い。沢木は戦後最高の5000mランナーであった
一方で瀬古は最高の10000mランナー(T&F News Rankingで1980,85年にそれぞれ
4位)であった。またラストのスプリントが切れ、ここぞというところで勝負強
さを発揮したという点でも共通している。しかし肝心の本番では駄目であったと
いうことまで共通している。  
 





268:ゼッケン774さん@ラストコール
10/11/15 00:00:38
沢木が最後の5000m世界ランク10傑入

269:ゼッケン774さん@ラストコール
10/11/19 11:11:59
世界大会で活躍出来なかった沢木と瀬古

270:ゼッケン774さん@ラストコール
10/12/15 20:45:34
個人的には君原が好きだが
日本に限って言えば悲劇のランナー森下が一番かもしらん。
瀬古はオリンピックがだめだった、
中山も苦労しすぎたのか、オリンピックでは意識しすぎ、気負いすぎてだめだった。



271:ゼッケン774さん@ラストコール
10/12/15 23:34:02
東京国際の振り向きざまの再スパートはかっこよかった。
この時代のマラソンの沿道の観衆の多さはびっくりするほどだな。

272:ゼッケン774さん@ラストコール
10/12/30 20:22:15
>>264
この最後でイカンガーを千切ったレースは「いったい、いつスパートをかけて
くれるんだ?」のジリジリ感が凄かった。瀬古サイドは、競技場で入ってきた
時点で勝利を確信していただろうが、素人の私には、「もう数百メートルしか
距離がないぞ!」と気が気でなかった。
ラストスパートは最後の最後で掛けたほうが相手には巻き返す距離が残ってい
なくてむしろ安全なんだ、と私は瀬古利彦のレースからマラソンを学習していった。

273:ゼッケン774さん@ラストコール
10/12/30 20:49:36
中山の初マラソンだったレースか。

274:ゼッケン774さん@ラストコール
11/01/02 02:27:25
日本マラソン界は86年あたりがピーク。
代表選手が強かったから表面化しなかったが、91年世界陸上や92年五輪
当時は恐ろしく選手層が薄くなってきていた。

275:ゼッケン774さん@ラストコール
11/01/12 03:16:40
1978年の福岡だが、宗茂が無謀なペースで飛び出したわけでもないのに、
ロジャース、モイセーエフ、チェルピンスキーら有力選手が誰も追走しなかった
のが不思議でならない。当時世界歴代2位の記録を持つ選手が後続を引き離しに
かかったのだから「逃したらマズイ」の危険予知能力が働かなかったのだろうか。

276:ゼッケン774さん@ラストコール
11/01/23 03:58:13
79年の大久保初男

277:ゼッケン774さん@ラストコール
11/01/27 11:58:30
>>275
あれは不思議だったな。まあモセーエフやチェルは前半待機型だからかな。
ロジャースくらい追い掛けてもいいもんだが。

278: ◆.L0TUmPY16
11/02/12 01:52:15


279: ◆7lWWEPHghiF2
11/02/12 01:53:22


280: ◆rfiCcbL6tg
11/02/12 01:54:19


281: ◆TyetOk.376
11/02/12 01:55:18


282: ◆xM5aL8FVaL8W
11/02/12 01:56:16


283: ◆kYFam9jdaWfN
11/02/12 01:57:14


284: ◆PwLGD/CRBY
11/02/12 01:58:10


285: ◆q68P0wfB0w
11/02/12 01:59:09


286: ◆8SqUCOTuGQ
11/02/12 02:00:09


287: ◆cWFM1ZEn5.
11/02/12 02:01:38


288:ゼッケン774さん@ラストコール
11/02/14 08:48:29
瀬古はモスクワは出場できたら最低メダル取ったよ。金だったろうね

289:ゼッケン774さん@ラストコール
11/02/22 22:06:25.44
78年福岡や79年福岡のレースの模様をyoutubeで見てみたいが。

290:ゼッケン774さん@ラストコール
11/02/23 06:13:20.82
昔はピュアな人だった

291:ゼッケン774さん@ラストコール
11/03/01 01:49:52.14
今は黒塗りハイヤーで移動するお方ですから。

292:ゼッケン774さん@ラストコール
11/03/16 05:05:56.83
瀬古さんと同じ時代に生き、同じ空の下で呼吸をしていたことに感謝したい

293:ゼッケン774さん@ラストコール
11/03/27 04:30:22.19
サラザールも「セコはグレーテスト・ランナーだ」と福岡で絶賛していた。

294:ゼッケン774さん@ラストコール
11/03/29 00:21:35.38
北朝鮮の国内マラソン最高記録はどのくらいなのだろう。
女子は、かなりレベルが高そうだが。

295:ゼッケン774さん@ラストコール
11/03/29 00:41:20.51
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296:ゼッケン774さん@ラストコール
11/04/03 09:45:27.56
瀬古氏は在日朝鮮人なの?

297:ゼッケン774さん@ラストコール
11/04/09 03:10:35.89
金哲彦は在日だと本人も公表している。
女子で3000mで昔、日本記録を上回る走りを見せた李淳姫という選手が
いたが、この選手に競り負けた朝比奈三代子が日本新記録となった。
北朝鮮国籍ということだったが、祖国の土を一度も踏んだことがないらしい。

298:ゼッケン774さん@ラストコール
11/04/10 23:47:13.83
沢木氏の経歴も凄いな。
現代によみがえらせても箱根レベルでは大スターだろう。

299:ゼッケン774さん@ラストコール
11/04/11 05:37:40.50
沢木氏も瀬古氏も指導者に転身するのが早過ぎた。

300:ゼッケン774さん@ラストコール
11/04/12 18:31:44.65
300get

301:ゼッケン774さん@ラストコール
11/04/12 21:29:27.17


302:ゼッケン774さん@ラストコール
11/05/11 02:17:59.67
朝鮮総連関係者、火病炸裂!愛国日本人 VS 朝鮮人
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.youtube.com)

なんか笑える 京都のキムチどもとアホの京都府警


303:ゼッケン774さん@ラストコール
11/05/25 21:34:01.91
異様に当時の事情に詳しい人がいる。脱帽。

304:ゼッケン774さん@ラストコール
11/05/25 21:56:31.11
瀬古利彦が箱根駅伝の5区を走っていたらどんな結果になっていただろう。

305:ゼッケン774さん@ラストコール
11/07/05 00:12:45.22
>>304

全区間で区間新記録樹立は可能なほど学生レベルでは他選手と雲泥の差だったよ


306:ゼッケン774さん@ラストコール
11/07/10 12:56:28.71

大学時代は、そうだったなぁ

307:ゼッケン774さん@ラストコール
11/08/04 12:59:42.42
大学時代の瀬古は別格


308:ゼッケン774さん@ラストコール
11/08/05 06:19:05.39
>>305
どの区間でも区間記録を1分は最新できるほど桁はずれ。
当時の世界選手権代わりの福岡国際を連勝するレベルは大学生ではオトナと子供の差

309:ゼッケン774さん@ラストコール
11/08/09 06:28:11.62
昔の福岡って凄いレベルが高かったらしいな

310:ゼッケン774さん@ラストコール
11/08/10 23:49:35.62
昔の福岡は今なら世界陸上くらいの権威

311:ゼッケン774さん@ラストコール
11/08/12 18:09:04.98
四日市の韋駄天

312:ゼッケン774さん@ラストコール
11/08/14 22:33:03.61
瀬古の福岡3連覇と通算4勝はショーターの福岡実績同じ価値だろうね
79ボストンの現地実況でも前年福岡制覇の瀬古に対し
世界チャンピオンの瀬古と紹介している。

313:ゼッケン774さん@ラストコール
11/08/14 23:52:30.67
瀬古さんなあ
たしかに最強のスーパーランナーだったけど
今となってはオリンピックで期待外れだったという汚点のが目立つ

314:ゼッケン774さん@ラストコール
11/08/15 00:10:02.33
箱根ランナーに話しかけるのが偉そうすぎる
なにが~君 瀬古です(偉そうに)。だよ。
お前なんて30年前のランナー知らねーよ

315:ゼッケン774さん@ラストコール
11/08/17 23:59:44.62
瀬古は長嶋みたいな位置付けだろう。
実践的より記憶力に残るランナー
国際大会の強さと五輪惨敗は皆が
知ってる事実

316:ゼッケン774さん@ラストコール
11/08/19 09:58:07.32
今日のスポーツ報知/10面に、瀬古特集あり

317:ゼッケン774さん@ラストコール
11/08/19 10:04:00.37
>>315
共に極力絡みたくないってのはあるなww

F1中継での永井をステップに女視聴者を意識してた老ジャニを思い出すなぁww


318:ゼッケン774さん@ラストコール
11/09/26 01:01:45.26
 

319:ゼッケン774さん@ラストコール
11/09/26 03:07:44.36
昔日本がモスクワ五輪ボイコットしてたとか信じられん。
今の日本でそんなことしたらどうなるんだろ。

320:ゼッケン774さん@ラストコール
11/10/10 21:45:31.39

韓国は光州事件が有った。

321:ゼッケン774さん@ラストコール
11/10/11 12:40:54.81
>319
いまでも同じだと思うぞ。
アメリカに「ボイコットにつきあってくれ」といわれたら断れないだろ。
同盟関係を壊すわけにはいかないとかいって追随するだろう。
アメポチの日本には他の選択肢はない。


322:ネラーキラー
11/10/11 12:44:27.41
オリンピック参加で崩れるような表面だけの同盟なんかいらん

323:ゼッケン774さん@ラストコール
11/10/11 12:48:35.85
また嵐ヲタがSMAP馬鹿にしてますよ
冷静に回答出来る嵐ファンの皆さんこの人どう思いますか?

SMAPファンもどう思いますか?
URLリンク(chie.mobile.yahoo.co.jp)


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