瀬古さんが在日朝鮮人に生まれていたらat ATHLETICS
瀬古さんが在日朝鮮人に生まれていたら - 暇つぶし2ch106:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/10 00:51:30
アトランタ五輪はゴールデンなので男女ともに視聴率高い
シドニー五輪は早朝なので女子は高橋戦後初金メダルで高視聴率だが
男子はランク外
そうやってみるとやっぱNO.1は高橋尚子

107:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/10 00:52:34
都道府県女子のが一番凄い

108:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/10 00:55:07
1980年代だからねえ

109:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/10 00:57:36
1980年代の都道府県女子駅伝は今の箱根駅伝みたいなもんと考えれば
わかりやすいだろうね

110:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/10 00:58:22
ロス当時は「練習をやり過ぎた人の病的な雰囲気」があった。
ロペスの本格スパートは35kmを過ぎてから。
30kmから35kmまでは15分25秒くらいだったと思う。
特別ペースが上がったわけではなく、限界値に達してしまったのが
根本的脱落原因。時計の針が1時間48分ちょうどくらいを指して
いた頃に脱落が分かった。あれは正面からの映像だったので、横から
の映像ならば、もっと早くに脱落していることに気付いていた。
「どうした! 瀬古利彦!」というアナウンサーの叫び声が4半世紀
たった今でも耳に残るが、どうした、と言われても、どうすることも
出来ないくらいに疲弊しきった姿がそこには、あった。
ロペスは確か、35kmから40kmを14分31秒でぶっ飛ばした
と思う。マラソン史上でも3指に入るランナーだと私は思う。

111:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/10 01:08:51
>>110
ただロペスの場合は「完走すれば」って条件付きだけどね。
レースの半分以上は途中棄権しているから。
その途中棄権のどのレースもまったくレースになっていない体たらく。
86年東京は練習不足の太りすぎで、まったくレースを舐めていた。

112:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/10 01:12:33
>>105
>>106

高橋尚子の時ももちろんリアルで見てるけど、一番の
社会現象はまちがいなく87年の福岡国際。
中山が伝説のかっとびしたレースね。
高橋のレースは83年福岡の瀬古がイカンガー突き放した
レースと同じくらいの関心事だろう。それでもかなりの注目度だ。

113:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/10 01:20:44
カルロス・ロペスの全マラソン成績
 82.10   ニューヨーク   途中棄権
 83. 4   ロッテルダム   2:08.39②
 84. 4   ロッテルダム   途中棄権
 84. 8   ロス五輪     2:09.21①
 84.10   シカゴ      2:09.06②
 85. 4   ロッテルダム   2:07.12①=世界最高
 86. 2   東京       途中棄権 

114:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/10 01:22:56
激しいなロペス
カスにも偉大にも見える

115:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/10 05:25:29
ロペスは七夕のあたり、交通事故に遭っている。
このことは日本の新聞にも小さくではあるが報じられた。
「金メダル候補が一人消えたな」と、その時は思った。
よく本番に間に合ったものだ。

116:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/10 09:17:34
525 :ゼッケン774さん@ラストコール:2010/08/17(火) 00:55:56
モスクワで瀬古が走ってたらと今だに語られるのは、結局、この大会はライバルが少なかったんだよね。
世界レベルで走れるのはモイセーエフ、ロジャース、に日本の瀬古、宗兄弟くらいだったんだよ。
チェルピンスキーは五輪だけの選手で格下扱い。バルチャ、ネディのアフリカ勢も小粒。ネイブールは直前に記録出したが
爆発力なく、青梅で瀬古にこてんぱんにされた。

ゴメス、キャステラはまだ力不足。チェ、高の北朝鮮勢はうるさい存在でも日本が負ける相手ではない。
ショーターは力の衰え隠せず、代表にもなれず。
コトフ、ジュマナザロフの残りの地元勢もかなり格下。

夏レースは伏兵が出てメダルさらうことあるが、まだモスクワくらいまでは強豪が順調に上位にくるくらいの天候レース。
本番のレースは後半かなりペースが上がったが、前半の16分以上かかったラップ時は、先行逃げ切りタイプの
メダル候補・宗茂が前に出てくると思われ、あんなレースにはなってないだろうね。ゴメスもスローだった
から中盤で出れたと思うね。金の確率は東京五輪以降のレースでは一番近い大会だったと思う。
最低日本勢の2人はメダル取っただろう。


117:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/10 23:52:17
高橋尚子も社会現象起こしたランナーだったけど
瀬古のほうがインパクトは上だったよ。
やはり80年代の時代背景もあるだろうなぁ。

118:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/11 00:50:36
ないない
戦後初金メダリスト
女性初サブ20で世界記録樹立
国民栄誉賞受賞 瀬古がかなうものは人気も含めて何一つありませんよ

119:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/11 00:54:43
日本記録樹立
アジア最高記録樹立
名古屋大会記録樹立
五輪記録樹立
世界記録樹立

5戦連続新記録樹立、マラソン6連勝
2001年~2008年引退までの平均年収3億円超

120:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/11 02:55:22
瀬古利彦はチェルピンスキーには1度も負けていない。

121:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/11 03:33:36
>>102
トレーシーはこのロス五輪が初マラソン。マラソンの代表枠に空きがあるから、
1万M代表のトレーシーがそのままマラソンにも出てしまった。日本ではあり
得ないことだが、世界では稀にあるようだ(モントリオール五輪のラッセ・ビレン
等)。
銅メダルのスペディングも、元々は1万Mが専門でトラックに行き詰まりを
感じて、この年の1月にヒューストンで初マラソン(2時間11分台で優勝)。
2度目が5月のロンドン・マラソンで、ここでも優勝(2時間09分57秒)。
このロス五輪翌年に2時間08分33秒をマークして(ロンドン・マラソン)
2位に入った時が生涯のベストタイム。
メダリストは全員がトラックのスピードをマラソンに持ち込んだという点で、
画期的な五輪。それにしても、ロペスは、1万でも上位に行ける実力があった
のに、よこぞマラソン一本に絞ったものだ。

122:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/11 08:13:33
>>121氏と重複するが、

2位トレーシー(アイルランド)、3位スペディング(イギリス)は
当時の日本での認知度、知名度はほとんどなかった。
しかし2位、3位でゴールした後、後日発表された経歴を見ていくと 納得できるものもある。
トレーシーは78,79年世界クロカン優勝。アフリカが台頭する前 とはいえ、連覇は輝かしい実績。
またロス五輪1万では7位に金井豊、8位がスティーブ・ジョーンズと
入った後ろで9位でのゴールをしている。80年モスクワ五輪も代表。
1万ベストが27分48秒7、そして五輪本番直前6月の欧州大会で
5千 13分16秒81のアイルランド記録を樹立したばかりだった。
余談だが、そのトレーシーに先着したのがロペス。13分16秒38の 自己記録だった。
ロペスは1週間後のDNで27分17秒48で世界記録で2位に入るので
この頃、37歳のして最高のスピードを作り上げていたわけだ。


スペディングは1万ベストが28分08秒12。それより84年5月
に開催されたロンドンマラソンでマラソン2回目にして
2時間09分57秒の記録で優勝している。五輪本番前でもサブテンリスト に乗るランナーではあった。
スペディングは後半、終始集団をリード。積極的な走りを披露している。
しかし後年のレースを見てみると、85年ロンドンはスティーブ・ジョーンズ
に続き2位(2時間08分33秒)があるが、86年シカゴは堅実な走りを
見せたものの、瀬古に破れ3位。ソウル五輪も終始、目立たず後半まとめて
6位入賞をしている。そのため堅実な走りをするランナーとの印象が強くなった。



123:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/11 08:16:15
瀬古は86年シカゴでスペディングを、87年ボストンではトレーシーを
きっちり五輪の借りを返してる。

124:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/11 23:16:40
>>122

これ読むといかに五輪マラソン直前の勢いのあるのが活躍したのがわかる。
バルセロナの時の森下、黄もそうだ。
瀬古は84年はあまり調子良くなかった。

それ考えると、勢いのあったモスクワ不参加は残念すぎる。
直前の欧州遠征は1万で世界ランク5位の日本新、5千自己記録だったよな。

125:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/12 03:13:02
スペディングは瀬古にマラソンで2勝1敗。
複数回対戦している選手としては唯一瀬古に勝ち越したマラソン選手だ。
ロペスなど、瀬古に1勝0敗の選手は何人かいるが、瀬古は複数回対戦した
選手には必ず1度は勝っている。
瀬古に複数回勝ったのは、ビル・ロジャース(3勝4敗)ド・キャステラ
(2勝2敗)イカンガー(2勝3敗)とスペディングの4人。
惜しかったのはロジャースで、明らかに全盛期を過ぎていた86年のシカゴ
と87年のボストンは比較対象にならず、実質、瀬古に勝ち越した男、と
して認知したい気分である。

126:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/12 03:22:28
スペディングが2時間09分57秒で優勝したロンドンのレースでは
実はイカンガーも出場しており6位になっている。
当時のイカンガーはレースに出過ぎ。前年12月福岡、2月東京、
5月ロンドンと来て、8月に五輪。
ロスでも金メダル候補の一角に名を連ねてはいたが、正直、評価の
難しい選手だった。

127:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/13 00:00:25
この時代、瀬古の強敵は、本当に質が高かった。一発屋が皆無だった。

128:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/14 17:06:27
>>125

瀬古がいかに五輪で走れなかったんだよ。
通常の冬レースならスペディングと瀬古の実力差はかなりのもの。
まずスペディングには瀬古は負けることはないだろうね。
後半のスピード力が違いすぎる。

129:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/15 22:05:48
瀬古―惨敗 マラソン史上最高視聴率 48%
第23回 ロサンゼルス五輪  男子マラソン レース展開

1984年8月12日 午後5時スタート 出場58カ国 107人
NHK 午前9:00 衛星生中継
解説―高橋進  実況―羽佐間正雄
スタート(サンタモニカ大 グランド)- ゴール(メモリアルコロシアム)

(出場選手ベスト5)
1、 2時間08分18秒 ド・キャステラ(オーストラリア)
2、 2時間08分38秒 瀬古利彦(日本)
3、 2時間08分39秒 ロペス(ポルトガル)
4、 2時間08分51秒 サラザール(アメリカ)
5、 2時間08分55秒 宗猛(日本)
5、2時間08分55秒 イカンガー(タンザニア)


(羽佐間)「真っ先に瀬古をとらえました。そしておなじみキャステラ。
     まずカメラは2人をとらえましたね。」
(高橋)  「やはり2人の対決が人気を呼んでいますよ。」
(羽佐間) 「マラソン史上もっとも自信をもって送り出した3人がスタートを
     切ります」

スタートー 宗猛がスーッと前に出てくる。イカンガーは早くも先頭。   
      2周半してロードへ。ウガンダのビューガが先頭。
2km-モスクワ五輪銀メダリストのネイブール(オランダ)が前に出て
    引っ張り始める。
(羽佐間) 「レース展開は?」
(高橋)「7kmまでは登りだから最初は15分20秒くらいでは。7-15km
    が下りになるので動きがあるかも。」
(羽佐間)「記録は?」
(高橋)「キャステラのコーチは、女子の記録を考えたら8分台が出てもおかしくない
    と言っていた。」


130:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/15 22:08:07
5km- オランダのランブレグトが先頭で15分33秒。集団は縦長で約50人。
前にはヌジェニー(ケニア)、イカンガー(タンザニア)、シャハンガ(タンザニア)、
サラ(ジブチ)のアフリカ勢に、パルマンチェ(ベルギー)、
ディクソン(ニュージーランド)、スミス(イギリス)、ザルツマン(西ドイツ)らがま前に。

8km-ふたたびネイブールが先頭に立ち、10mリード。アフリカ勢が続く。

カメラが初めて瀬古をとらえる。サラザール(アメリカ)がすぐ後ろ。先頭集団の後方部。

10km-ソマリアのイズマエルが先頭に出てくる。31分14秒。 約40人。
     気温が27度に上がる。
12km-宗兄弟が集団の最前列へ出てくる。

15km-イズマエルを集団が吸収。約20人の集団。
     イカンガー、シャハンガのタンザニア勢が前に。
19km-サラザールはすでに100m遅れ。第二集団。
(高橋)「(サラザールを見て)ちょっと精彩がないですね。」
(羽佐間)「フォームが全盛期に戻っていないといわれていますね。」
(高橋)「ストライドの伸びがまったくないですね。」

20km-イカンガー、ロペス(ポルトガル)、シャハンガ、ザルツマン、ジャマ(ジブチ)
     瀬古、宗兄弟、ネイブール、スペディング(イギリス)、サラ、テルジ(トルコ)
     トレーシー(アイルランド)、キャステラの14人に絞られる。

ハーフー1時間04分54秒。瀬古は11番手。宗茂は最後尾。
22km-後続からディクソンが追いつき15人。
(高橋)「2時間10分を切らないと優勝はできませんね。」

23km-ディクソンが先頭へ。ネイブール、テルジが脱落。
25km- 1時間17分11秒。 13人。宗茂が最後方。気温が29度に。
      フリーウェイに入ったため観客がいなくなる。
26km-ザルツマン、シャハンガが後退。



131:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/15 22:09:13
(高橋)「宗茂がちょっと遅れ始めましたよ。」
(羽佐間)「あ、そうですか。あー、ちょっと遅れています。」
(高橋)「ほんのちょっとですけどね。」
27km-宗茂が最後方で粘るも、5m遅れ。集団は10人。
28km-瀬古が被っていた帽子を沿道に投げ捨てる。

30km- 宗茂20m遅れ。アイルランドのキェルナンが
     後続から上がって来る。 依然、気温29度。
     サラザールは45秒遅れ。(高橋)「今日は気温が高いですね。」
(羽佐間)「だいたい10分前後の優勝タイム。日本の2人にも十分チャンスが
     あります。」

33km-(羽佐間)「キャステラがちょっと遅れましたよ。」
     (高橋)「足取りが重くなりましたね。」
34km-サラ、ジャマのジブチ勢、キェルナン、そしてキャステラが脱落。

 (羽佐間)「遅れたキャステラ・・・おっ(かなり)遅れましたね。」
 (高橋)「これで優勝圏外に去りましたねぇ。」
 先頭集団は8人。
 スペディング、瀬古、イカンガー、ロペス、トレーシー、宗猛、イカンガー、ヌザウ

34.8km-
 (羽佐間)「この集団の後ろ、瀬古がいますが・・ アッ!」
(高橋)「アッ!」 (羽佐間)「瀬古が遅れましたか??」
(高橋)「ちょっと遅れましたね。」(羽佐間)「瀬古が遅れました。」
(羽佐間)「意外な展開になりました。瀬古が遅れ始めています。ペースが上がったで
     しょうか。 どうした! 瀬古利彦。」

35km-1時間48分22秒。15分26秒 30秒ペースが上がる。
35.2km-スペディングがスパート。イカンガーが脱落。
       そしてついに宗猛が遅れ始める。
       スペディング、ロペス、トレーシー、ヌザウの4人。
ペースが一気に上がる。

キャステラが瀬古を一気に抜き去る。


132:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/15 22:10:19
(高橋)「(瀬古は)完全に疲れがでましたね。」
35.4km- ケニアのヌザウが脱落。

37km-ロペスが先頭に出てロングスパートをかける。
     ロペスースペディングートレーシーの順で縦長。
     ヌザウは20m遅れ。その後ろ、宗猛が50m遅れ。
38km-ロペス・スパート。2人に10m差をつける。
(高橋)2時間10分台は確実に出ると思いますよ。」
(初マラソン・トレーシーについて)
(羽佐間)「27歳。1978年世界クロスカントリー優勝で注目。モスクワ五輪
     5千、1万代表。アイルランド記録5千、13分16秒82の記録保持者」

40km-2時間02分56秒  14分34秒にペースが上がる。ロペス独走。
     トレーシー、スペディングとの差は30秒。
(高橋)「このままいくと2時間9分40秒台の五輪新記録がでるかもしれませんよ。」
2時間07分45秒―ロペスがメモリアルコロシアムに入ってくる。
後続ではトレーシーがスパート。スペディングを引き離し単独2位に。
(高橋)「2時間09分30秒を切るかもしれませんよ。」
(羽佐間)「瀬古は今、11位を走っています。」

ゴールー2時間09分21秒 五輪新記録
(羽佐間)「37歳。老雄というには、あまりにも元気なこの37歳。ポルトガルの
    英雄、カルロス・ロペスが今、ゴールインで優勝! ポルトガルに
    マラソンで初めての優勝をもたらしました。」

2位トレーシー。3位スペディング。日本勢は宗猛が4位に入る。
(羽佐間)「あ、瀬古がここにいます。まったく疲れている。こんな瀬古を  
     見たことがありません。思いもよらない瀬古の不調。」
(高橋)「私も初めてですねぇ」
瀬古14位。宗茂17位でゴール。



133:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/15 22:11:48
第23回 ロサンゼルス五輪  男子マラソン 成績

五輪記録 チェルピンスキー(東ドイツ) 2時間9分55秒 1976年

1、2時間09分21秒 ロペス(ポルトガル)五輪新
2、2時間09分56秒 トレーシー(アイルランド)
3、2時間09分58秒 スペディング(イギリス)
4、2時間10分55秒 宗猛(日本)
5、2時間11分09秒 ド・キャステラ(オーストラリア)
6、2時間11分10秒 イカンガー(タンザニア)
7、2時間11分28秒 ヌザウ(ケニア)
8、2時間11分39秒 ロブレ・ジャマ(ジブチ)
9、2時間12分20秒 キェルナン(アイルランド)
10、2時間12分57秒 ディクソン(ニュージーランド)

11、2時間13分53秒 フィッチンガー(アメリカ)
12、2時間13分57秒 H・ジョーンズ(イギリス)
13、2時間14分00秒 ゴンザレス(プエルトリコ)
14、2時間14分13秒 瀬古利彦(日本)
15、2時間14分19秒 サラザール(アメリカ)
16、2時間14分20秒 テルジ(トルコ)
17、2時間14分38秒 宗茂(日本)
18、2時間15分29秒 ザルツマン(西ドイツ)
19、2時間15分55秒 ヨルゲンセン(デンマーク)
20、2時間15分59秒 アーメド・サラ(ジブチ)






134:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/16 03:51:35
帽子を捨てた時にすぐ近くにいたのがロブレ・ジャマだった。
宗茂は瀬古に勝つ絶好の機会だったんだがな。
色々なことを思い出した。

135:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/16 04:00:20
キャステラは世界記録保持者ながらリアルタイムでは一度も世界記録保持者と紹介
されたことがなかった。
当時世界記録保持者とされたのがアルベルト・サラザール。この年の秋に英国の
スティーブ・ジョーンズが2時間08分05秒の世界記録を出し、サラザールの
2時間08分13秒は距離不足とされ、抹消された。もっとも距離不足といっても
そのままゴールすれば2時間08分台後半換算になる程度の不足分のため、まあ
気の毒な抹消ではあった。ロス本番でのサラザールは勝負どころ前に早々と後退。
ゴール直前で瀬古の後ろを走る姿が映し出されたが、アヒルのような走りで相当に
疲れていたように見えた。

136:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/17 03:16:56
>>129->>133
力作お疲れ様ざんす

137:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/17 03:24:19
ロス10位のロッド・ディクソンは83ニューヨークの優勝者にして、76モントリオール五輪1500m銅メダリスト。
ダークホース的存在として、ひそかに注目していた。

138:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/17 21:36:23
絶好調の瀬古がロペスに敗れる光景は、もっとショッキングだったろうな。

139:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/18 02:50:48
瀬古利彦が国内第三代表くらいの格の人ならば、逆に、限界点に達する前に
意図的に後退する戦術も取れたのだろう。そうなれば11位くらいに入れた。

140:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/18 22:37:55
瀬古―ボストン2度目の優勝
1987年4月20日  第91回ボストンマラソン レース展開

気温12度、湿度95% 4-5mの向かい風  6279人参加
テレビ東京系 衛星生中継
(実況)土居壮 (解説)高橋進

(参加選手)
瀬古利彦(日本)
S・ジョーンズ(イギリス)(元世界記録保持者、当時世界歴代2位)
イカンガー(タンザニア)(84ロス五輪6位)
ド・キャステラ(オ-ストラリア)(90回大会優勝、83世界陸上優勝、84ロス五輪5位)
トレーシー(アイルランド)(78世界クロカン優勝、84ロス五輪銀メダリスト)
スミス(イギリス)(88、89回大会優勝)
ロジャース(アメリカ)(79,82,83,84回大会優勝)
ビックフォード(アメリカ)(85年度1万m世界ランキング1位)
アイストーン(アメリカ)(85年度1万m世界ランキング3位)
カマウ(ケニア)(84年シカゴ4位)
ヘルビック(ベルギー)(のちの90年びわ湖毎日優勝)
谷口伴之(エスビー食品)、喜多秀喜(神戸製鋼)、武田裕明(日大)、
高橋養次(日立電線)

スタートー直後、キャステラが整理用ロープに足を引っ掛け転倒。
     メイダー(アメリカ)が飛び出す。1マイル4分45秒。
     イカンガーを先頭の大集団は50m差。
     メイダーに代わり、グレイ(アメリカ)が先頭に出る。
5km-60-70人の大集団は15分09秒。
 
強豪が牽制し、また向かい風の為、ペースがなかなか上がらない。
テレビ中継は濃霧のため、飛べず固定カメラのみの映像。

8km-アシュランド地点。道幅いっぱいに集団が広がる。ロジャースも集団の中。
10km-30分49秒。ラップが30秒遅くなる。
11km-グレイがリード。 100m後続で16-17人の集団。

15km-46分58秒。スピードのあるビックフォードが先頭も依然、膠着状態。

15分40-16分10秒の間のスローな展開が続く。
 スミス、ジョーンズのイギリス勢は会話を交わしたりし、余裕の表情。

ネイティック地点
集団には瀬古、ジョーンズ、イカンガー、キャステラ、スミス、トレーシー、谷口、喜多、
アブラファ(エチオピア)、ゴードン(アメリカ)、ビックフォード、カマウ、ウンバーグ(スイス)、ヘレビックなど。 喜多は最後方で遅れ気味。
(高橋)「せっかく世界の強豪が集まっているのにもったいないですね。
    期待の世界最高は望み薄になりましたね。」 



141:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/18 22:38:56
心臓破りの丘に差し掛かり始める。
32km-スルスルと瀬古が前に出て、集団は縦長の展開。ペースが上がる。
 (土居)「(画面が切り替わって)これは男子のトップですかね? 瀬古ですね これは!
 (高橋)「瀬古がね・・出ましたねぇ」    
(土居)「瀬古がついにトップに出ました。まもなく心臓破りの丘でしょう。」

300m後、再度、瀬古がギアチェンジ。上がり坂で後続は苦しい。
集団は解体。瀬古―スミスージョーンズの順。トレーシー、アブラファ、谷口あたりが
ジョーンズの後ろ。イカンガー、キャステラが遅れる。

34kmでスミス、遅れてジョーンズ2人に160m差をつける。
その100m後ろがトレーシー、アブラファ、谷口の集団。

30-35kmの上がり坂主体となる区間を14分58秒で走破。

38km地点。 ヘリコプターの回線が普及。移動中継が始まる。 瀬古の独走映像。
(高橋)「楽に走ってますね」
    「まぁ、このままいってせめて11分は切ってもらいたいですね」

40km-2時間04分48秒 この間15分08秒。
     沿道は3重4重の人垣。
谷口がゴードンと4位争いを展開。
ジョーンズがスミスに追いつき2位争いが激しくなる。

(高橋)「どうも2時間11分台に終わりそうですね。」

ゴール地点
(土居)「2時間11分台・・ まもなくゴールを迎えます。 瀬古!
    ゴールまですでに100mを切っています。変わらぬ足取り。
    表情ひとつ変えません。日本の瀬古。
    まもなくゴールを迎えます! ガッツポーズ!瀬古優勝です。
    91回ボストンマラソン2度目の優勝であります」

2時間11分50秒。ボストン2度目の優勝。
残り150mでジョーンズがスミスをかわして2位に上がる。スミスが3位。
日本勢では谷口が5位、喜多が9位。
瀬古は優勝賞金4万ドル(当時・580万円)、ベンツを獲得。




142:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/18 22:39:39
91回(1987年4月) ボストンマラソン 成績

1、2時間11分50秒 瀬古利彦(日本)
2、2時間12分37秒 S・ジョーンズ(イギリス)
3、2時間12分42秒 スミス(イギリス)
4、2時間13分30秒 ゴードン(アメリカ)
5、2時間13分40秒 谷口伴之(日本)
6、2時間14分24秒 ド・キャステラ(オーストラリア)
7、2時間15分02秒 バンダーハーデン(ベルギー)
8、2時間15分16秒 ヘルビック(ベルギー)
9、2時間15分23秒 喜多秀喜(日本)
10、2時間15分41秒 マーチン(アメリカ)

11、2時間16分17秒 イカンガー(タンザニア)
14、2時間17分50秒 トレーシー(アイルランド)
15、2時間18分18秒 ロジャース(アメリカ)
18、2時間19分03秒 高橋養次(日本)




優勝  瀬古利彦  ラップタイム

5km 15分09秒
10km 30分49秒(15分40秒)
15km 46分58秒(16分09秒)
20km 1時間02分54秒(15分56秒)
25km 1時間18分56秒(16分02秒)
30km 1時間34分42秒(15分46秒)
35km 1時間49分40秒(14分58秒)
40km 2時間04分48秒(15分08秒)
2.195km 7分02秒

2時間11分50秒



143:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/18 22:43:26
(中山4位ー 瀬古・現役最後のマラソン)

第24回 ソウル五輪 男子マラソン レース展開
1988年10月2日 68カ国 124人参加 

気温24度 湿度36% 北北東1.5m

(出場選手ベスト5)
1、2時間07分07秒 サラ(ジブチ)     1988
2、2時間07分51秒 ド・キャステラ(豪州) 1986
3、2時間08分10秒 イカンガー(タンザニア)1986
4、2時間08分15秒 中山竹通(日本)    1985
5、2時間08分27秒 瀬古利彦(日本)    1986

スタートーソウル・オリンピックスタジアムを周回。サラ(ジブチ)が前に出てくる。
     ウガンダのルグガが先頭で10mリードしてロードへ

2.3km-ザイールのコージが10mリード。中山が大集団の先頭に出てくる。

解説・宗茂「日本で一番の期待は中山。昨年(87年)の福岡のような攻めのレースが
      出来れば中山のもの」と話す。

4km-コージが集団に吸収される。中山、クベルンモ(ノルウェー)、ブラ(タンザニア)
    イカンガー(タンザニア)が前で集団を引っ張る。

5km-15分29秒
     実況.羽佐間「意外や意外。ペースがゆっくり」
         宗茂「予定より明らかにスロー。」  集団は約30人。
     
この年のボストンで2時間8分43秒を記録し優勝したフセイン(ケニア)が
前に出てくる。

「スローになると暑さに強いイタリア勢、特にボルディンは要注意。
 中山はタイムが良くなればなるほど優勝のチャンスがある。
 遅くなると、誰でもチャンスが広がるからきつくなるはず」宗茂

10km- 30分32秒(15分03秒)
      アフリカ勢が前に出てくる。
      ブラ、イカンガー、サラ、キプサング(ケニア)、フセインら
      中山は中段、新宅と瀬古は後方で集団につく。集団は依然30人前後。

「ペースが上がりましたが・・」羽佐間
「下り坂だけに14分40秒台で行くと思っていたが、やはり予想より遅い」宗茂

15km- 45分57秒(15分25秒)

      フセイン先頭。集団はダンゴ状態。イカンガー、ブラのタンザニア勢、
      エレラ(メキシコ)、モンドラゴン(メキシコ)のメキシコ勢が前に。

      漢江に出てフリーウェイを走行。観衆がいなくなる。

16.4km- 前回(ロス五輪)銀メダリスト・トレーシー(アイルランド)が脱落。
        重い足取りで不調が見てとれる。

羽佐間「中山の表情は?」
宗茂 「中山はかなり余裕を持って走っている。」




144:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/18 22:56:29
20km-1時間01分26秒(15分29秒)
      
     イカンガー先頭。集団約25人。ペースが上がらない。
     依然イカンガーとモンドラゴンが交互に先頭に出てくる。

21.9km-ペースは上がっていないが、サバイバルのように少しずつ
       集団から脱落者が出始める。
       フォスター(イギリス)、モンドラゴン、そしてついにフセインが後退。

集団は16人に
 イカンガー、サラ、エレラ、モネゲッティ(豪州)、ボルディン(イタリア)、スペディング(イギリス)
瀬古、新宅、中山、キプサング、ポリ(イタリア)、カシャポフ(ソビエト)、
ラモツ(ハイチ)、ペーター(東ドイツ)、ワキウリ(ケニア)

23.9km-フリーウェイの上り坂で新宅が最後尾から10m遅れる。
       苦しい表情に。カシャポフ、ラモツ、ポリ、が脱落。

24.3km-新宅が集団に復帰。合計13人に。

25km-1時間16分57秒(15分31秒)
     
      イカンガー先頭。中山が後方へ下がる。フリーウェイのため観衆の声援
がない。キャステラ、新宅が最後尾で苦しい。

「中山は余裕を持ちすぎ。ベストポジションを早くつかんだ方が良い」宗茂

26.3km-新宅が力尽きる。前半健闘したキプサングも脱落。

27km- 集団は11人。 新宅は後方50m。

29.2km-エレラが後退。前半健闘したメキシコの二人がいなくなる。

29.7km-ボルディンがペースアップ。先頭に出て集団を引っ張る。
       初めて集団が縦長の展開に。
        イカンガーースペディングーワキウリーサラー瀬古ー中山の順の列






145:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/18 22:57:25
30km-1時間32分49秒(15分52秒)

     キャステラの足取りが重く、ついに後退。集団は7人。
     サラ、中山、瀬古、イカンガー、スペディング、ワキウリ、ボルディン

「スパートに反応する中山の対応が鈍い。」宗茂

30.8km-ついに瀬古が先頭集団から後退。その差20m。

中山が先頭に出てくる。集団は6人。

31.5km-スペディングが脱落。 瀬古は先頭から50m差。瀬古の前にキャステラが出る。

32.3km-スペディングが集団に追いつく。後続は追い上げたモネゲッティが
       キャステラを捕らえ7位。キャステラ8位。瀬古9位。

「5kmが15分52秒かかってこれだけきつそうだから相当暑さが堪えている。」宗茂

35km-1時間48分25秒(15分36秒)
     
      サラ、中山が先頭。スペディングが給水で脱落。

35.5km-イカンガーも脱落。 ついに集団は4人へ。

羽佐間「放送前半でイタリア注意という意見がありましたね。」
宗茂 「イタリアの3人は実力がある。一人はまともに走ると思ってました。」

 瀬古は9位。新宅は13位で35kmを通過。

36.7km- 「中山、後ろに下げたのか!」羽佐間
        「あっ、中山遅れましたね。」宗茂
        「遅れた、遅れた」羽佐間

「今日は中山らしさが全然でていなかった。スローだったから前半に足を使って
だいぶ足にきているかもしれない。」 宗茂

37.7km- ボルディン脱落。 サラがロングスパートをかけている。

38km-ワキウリがサラから遅れる。サラ、スパートでトップに。

39.3km-サラからワキウリまで50m。ワキウリからボルディンまで20m差。
        中山は230m遅れで4位。


146:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/18 22:58:10
40km- 2時間03分35秒(15分10秒)

      ボルディンがワキウリを交わし2位へ。サラとの差は50m。

40.6km-サラの足取りがおかしい。まったくピッチが上がらない。
       ボルディンがサラを交わし先頭へ。サラはペースダウン。

40.9km-ワキウリがサラを抜き2位へ。サラは3位。

羽佐間「中山がサラを抜く可能性は?」
宗茂 「しかしあと残り1kmしかない。2kmくらいあれば・・」

2時間09分23秒ー ボルディンがソウルオリンピックスタジアムへ

ゴールーイタリアが五輪史上初、男子マラソンを制覇。2時間10分32秒。
    2位がワキウリで自己新記録。 3位はサラ。
    中山はサラに6秒遅れの4位でメダルを逸した。瀬古は9位。新宅は17位。



147:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/18 22:59:07
第24回 ソウル五輪 男子マラソン 成績
(五輪記録) 2時間09分21秒 ロペス(ポルトガル) 1984年

1、2時間10分32秒 ボルディン(イタリア)
2、2時間10分47秒 ワキウリ(ケニア)
3、2時間10分59秒 サラ(ジブチ)

4、2時間11分05秒 中山竹通(日本・ダイエー)
5、2時間11分49秒 モネゲッティ(オーストラリア)
6、2時間12分19秒 スペディング(イギリス)
7、2時間13分06秒 イカンガー(タンザニア)
8、2時間13分07秒 ド・キャステラ(オーストラリア)
9、2時間13分41秒 瀬古利彦(日本・エスビー食品)
10、2時間13分49秒 カシャポフ(ソビエト)

11、2時間13分58秒 エレラ(メキシコ)
12、2時間14分08秒 キャンベル(ニュージーランド)
13、2時間14分40秒 ネイブール(オランダ)
14、2時間14分44秒 フィツィンガー(アメリカ)
15、2時間14分53秒 テンカテ(オランダ)
16、2時間15分20秒 ピッツォラート(イタリア)
17、2時間15分42秒 新宅永灯至(日本・エスビー食品)
18、2時間15分44秒 金元卓(韓国)
19、2時間16分07秒 ポリ(イタリア)
20、2時間16分15秒 ラモツ(ハイチ)

主な途中棄権
トレーシー(アイルランド)
フセイン(ケニア)




148:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/18 23:32:51
あのゴールでのガッツポーズは悲しかった。。。
「もうこれでマラソン人生に幕を引いてしまうのだな」とピンとくるものがあった。

149:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/18 23:56:17
>>142   ラストの2.195kmがイマイチ冴えなかった

150:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/19 00:04:39
いやあ、しかし、すごい詳しい人が居て驚いた。

151:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/19 00:09:46
宗茂の読みの確かさには脱帽。高橋進より数段切れる印象だ。

152:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/19 00:37:17
ボストンの時も感じたが、「ロス以後」の瀬古は随分と仕掛け所が早くなった。
ロンドンの時は20キロ過ぎから独走だし、シカゴの時は35キロ過ぎから独走
びわ湖では10キロ過ぎから独走。特にびわ湖では、勝つだけではなく記録もある
程度問われるレースだったから、待ちの戦略は使えなかったのかも知れないが、
今にして思うと、あの強烈無比なラストスパートに陰りが生じて「もう出来ない」
と考えて展開を変えたのではないか、ふとそんなことを感じてしまった。

153:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/19 00:45:32
瀬古 生涯自己記録

1986 シカゴ・アメリカズマラソン  レース展開

1986年10月26日 午前8時45分スタート 気温13度 湿度93%

約1万2000人参加

参加メンバー
瀬古利彦(日本)
サラ(ジブチ)(85年W杯広島, 87年W杯ソウル優勝、元世界歴代2位)
ゴメス(メキシコ)(モスクワ五輪6位)
スペディング(イギリス)(ロス五輪銅メダリスト)
ムショキ(ケニア)(ハーフマラソン世界記録保持者)
ロノ(ケニア)(元1万m世界記録保持者、3000m障害世界記録保持者)
バイニオ(フィンランド) (ロス五輪1万代表)


スタートー 前半からタンザニアのジョン・ブラが集団を引っ張り5kmを通過。
  
      瀬古以下先頭集団は8kmでブラを飲み込む。すでにスペディングは第二集団。

先頭集団は8人。瀬古、ホセ・ゴメス(メキシコ)、ロドルフォ・ゴメス(メキシコ)、サラ、
        アルカラ(メキシコ)、ブラ(タンザニア)、バイニオ、ムショキ。

ペースは15分をちょっとオーバーする程度。やや物足りないものの、それほど
遅いとも思わないペースで中盤へ。

20km-5人 通過は1時間00分21秒。世界最高のロペスに10秒遅いペース。

25km-15分21秒。ペースが遅くなり、たまらず瀬古がペースを上げる。
     その瀬古について来たのはサラのみ。2人の一騎打ちになる。

30kmは瀬古のペースアップにより15分01秒。サラが瀬古にぴったりつく。
しかしサラの表情が険しくなる。瀬古はサラを観察するしぐさが増える。

35kmで瀬古が再度ペースアップ。すでにサラはついていける余裕はなく脱落。
瀬古の独走が始まる。
35kmでロペスの世界最高から51秒遅れ。世界最高は苦しいがしきりに左腕の
時計を見るしぐさが多くなる。7分台が狙えるペース。

40km-ペースアップの影響で15分10秒。ここで瀬古の表情が苦しいものに変わる。
足取りはしっかりしているものの、ピッチとストライドがかなり落ちてくる。

26マイル表示板の前をすでに2時間7分台で通過。

ゴールー 2時間08分27秒  世界歴代10位でのゴール。

2位にサラ、3位には後半追い込んだスペディングが入った。





154:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/19 00:46:20
1986年 シカゴ・アメリカズマラソン 成績

1、2時間08分27秒 瀬古利彦(日本)
2、2時間09分57秒 サラ(ジブチ)
3、2時間10分13秒 スペディング(イギリス)
4、2時間10分30秒 ムショキ(ケニア)
5、2時間11分17秒 ステファニー(西ドイツ)
6、2時間13分36秒 ブラ(タンザニア)
7、2時間13分59秒 ウイリアムス(アメリカ)
8、2時間14分27秒 ダハート(アメリカ)
9、2時間14分58秒 ホセ・ゴメス(メキシコ)
10、2時間15分02秒 ロドルフォ・ゴメス(メキシコ)

26、2時間19分12秒 ロノ(ケニア)


優勝  瀬古利彦  ラップタイム

5km-15分00秒
10km-30分07秒(15分07秒)
15km-45分16秒(15分09秒)
20km-1時間00分21秒(15分05秒)
25km-1時間15分43秒(15分22秒)
30km-1時間30分44秒(15分01秒)
35km-1時間46分06秒(15分22秒)
40km-2時間01分16秒(15分10秒)
2,195km-7分11秒

ゴールー2時間08分27秒(日本歴代4位、世界歴代10位)


155:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/19 00:47:53
瀬古―最後の優勝  ソウル五輪選考会

第43回 びわ湖毎日マラソン  レース展開
1988年3月13日(日)  午後12時15分  NHK生中継
(解説)宇佐美彰朗 (実況)羽佐間正雄

参加160人  気温16.5度、湿度35% 南南東の風1.3m

(参加選手ベスト5)
1、 2時間08分27秒 瀬古利彦(エスビー食品)
2、 2時間11分10秒 西正幸(旭化成)
3、 2時間12分02秒 春松千秋(池田製菓)
4、 2時間12分03秒 西村義弘(新日鉄大分)
5、 2時間12分48秒 坪正之(日本電気)

(羽佐間)―「瀬古が今、ソウルオリンピックへのたった一枚の切符
を求めて復活のスタートを切ろうとしています。
いまだかつて一人のランナーがこのように一身に注目を集めたレースは
ありません。激走!42.195km。しかも与えられたものは優勝。
彼にとっては4年前に惨敗を喫した屈辱を晴らす第一歩になります。」

スタートー皇子山陸上競技場からロードへ。 
内宮(長岡陸協)が先頭。瀬古は20番手くらいで競技場を後にする。
2km-瀬古が早くも集団の先頭へ出てくる。




156:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/19 00:49:44
羽佐間―「猛烈なプレッシャーを感じていると思いますが、どうしても優勝をしなくてはいけない。そしてタイムもそこそこではいけないと思いますが。」
宇佐美―「その課題をもってのレースですから、もっと緊張していると思いましたが、今までにない柔らかなフォームで(先頭に)出てきましたね。」
羽佐間―「気温は?」
宇佐美―「ちょっと・・・高めですね。」
羽佐間―「問題は、気温がどこまで上昇するかということですね。 記録は?」
宇佐美―「練習を見ていても2時間9分台が出てもおかしくない。」

5km-15分07秒  集団は約20人。
    瀬古を先頭に、西村、森本滋(日本電気HE)、西、らが続く。
気温が高めか、ほとんどの選手が汗で光っている。
宇佐美―「瀬古は15分10秒を設定しているのでまずまずではないか。」

8km-すでに集団は7人に絞られる。
    瀬古、西、西村、金子尚志(日本電気HE),篠原良房(新日鉄)、春松、森本

9km-春松、篠原が脱落。集団は5人へ。

10km-30分18秒(15分11秒) 瀬古が先頭。5人が縦長で通過。
宇佐美―「ほぼ出だしと同じくらい。遅れたのは力不足ということでしょう。」

10.6km-森本が後退。西村が後方で苦しい。
11.2km-西村が後退。瀬古―西―金子の順。20m後方で西村、80mで森本。

12.4km- 宇佐美―「あっ、ちょっと離れましたよ。」
      羽佐間―「瀬古がグイ、グイと力で引き離しにかかりました。」

第一放送・島村俊浩アナー「心配された風は感じない。むしろ今日の敵は暑さですね。  
             (瀬古から)離れました。」
瀬古が西、金子に5mの差をつける。

15km-45分15秒(14分57秒) 14分台のラップに。



157:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/19 00:51:08
羽佐間―「(今の)ペースは?」
 宇佐美―「速いです。でも予定通りではないか。10kmまで様子を見て、15kmでペースを上げてきた。」
気温が18度、湿度39%に上がる。

西、金子は瀬古から130m遅れ。4位に近藤龍二(旭化成)が浮上。西村が5位に後退。

20km-1時間00分25秒(15分10秒) 中山の国内最高タイムを上回るペース。
      瀬古は毎回、通過時に腕時計でラップを確認するしぐさをする。

(折り返し点)-瀬古が先頭で通過。快調なピッチを刻む。瀬古フィーバーにより
沿道は例年より多くの観衆が集まる。
2.3位の西、金子に近藤が追いつき3人で53秒差。5位には西村。1分26秒差。
後続集団は6位森本の後に、今村智治(ダイエー)、大八木弘明(ヤクルト)、篠原ら。

25km-1時間15分57秒(15分32秒)
   羽佐間―「15分33秒?ちょっと遅れました。」
   宇佐美―「(瀬古は)少し疲れが見えてきた感じ。」

島村―「ちょっと(瀬古の)ピッチが落ちてきた感じがする。例年の復路の向かい風はないように思う。」
27km-3人の2位争い。瀬古とは560m差。
    2位集団でも大会記録ペースより1分10秒速い。この間は16分14-15秒。
風より正面からの太陽の暑さとの戦いの模様。

30km-1時間31分44秒(15分47秒)
   羽佐間―「やはり暑さと、選手のみ感じている向かい風の影響か。
ちょっと落ちましたね。」
   宇佐美―「膝から下の伸びが悪くなってきている。
やはり疲れですかねぇ。ピッチは増しても歩幅が狭い。」
   羽佐間―「予想は2時間10分台になってきた。」

32km- 宇佐美「(瀬古は)スポンジの水分を飲んでいますから、かなり暑い。」

西が単独2位に。近藤が遅れて3位。金子は西村に抜かされ5位に後退。
瀬古とは2分30秒差。



158:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/19 00:52:13
35km-1時間47分44秒(16分00秒)
   宇佐美―「ちょっと・・・16分・・・も費やしてますよ。 
苦しいですね。あと7kmを押さなきゃならないのは、
大変ですよ。」
   羽佐間―「見た感じとしても落ちましたね。」

反対車線では青信号でも車を止めて、瀬古の応援をしている車が多い。

羽佐間―「これからどうでしょう?」
宇佐美―「ちょっと・・これからピッチは上がらないでしょうねぇ。」
38km-瀬古の表情が苦しくなり、歪みはじめる。

40km-2時間04分45秒(17分01秒)
     大会記録を30秒下回る。かなりピッチが鈍い。
羽佐間―「瀬古のピッチがこれほど鈍るとは思いもしませんでした。」
宇佐美―「予想外ですよ。」
西は900m遅れ、その西から3位近藤は200m後方。
瀬古の表情が苦痛でシワシワになる。

2時間10分27秒― 瀬古が皇子山陸上競技場に帰ってくる。 
まったくピッチが上がらない。
羽佐間―「いつもの瀬古のキレがありません。あのロケット弾の点火を
見るような瀬古のスパートはありません。 
(2時間)11分は無理ですね。」
宇佐美―「不可能ですね。12分かかってしまいますね。」

瀬古優勝―2時間12分41秒
     羽佐間―「これほど疲れたゴールとは瀬古自信も思ってなかったでしょう。
          しかし他の選手が大きく遅れていったことを思えば、この気象条件はかなり難しかったのかもしれませんね。」

結果として瀬古は国内最後のマラソンになり、最後の優勝となってしまった。
2位は西正幸。並行して開催された「第一回アジア選手権マラソン」の日本代表でもあったため初代優勝者となる。3位は近藤。

瀬古は1週間後の理事会でソウル五輪代表権を獲得する。





159:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/19 00:53:13
第43回 びわ湖毎日マラソン 成績

1、 2時間12分41秒 瀬古利彦(エスビー食品)
2、 2時間15分32秒 西正幸(旭化成)
3、 2時間16分15秒 近藤龍二(旭化成)
4、 2時間16分21秒 西村義弘(新日鉄大分)
5、 2時間16分32秒 岩永義次(自衛隊体育学校)
6、 2時間16分38秒 千葉照夫(東北日本電気)
7、 2時間16分58秒 磯貝助夫(自衛隊体育学校)
8、 2時間18分22秒 篠原良房(新日鉄)
9、 2時間20分15秒 久留猛(JR九州)
10、 2時間20分52秒 金子尚志(日本電気HE)


優勝  瀬古利彦  ラップタイム

5km 15分07秒
10km 30分18秒(15分11秒)
15km 45分15秒(14分57秒)
20km 1時間00分25秒(15分10秒)
中間点 1時間03分45秒
25km 1時間15分57秒(15分32秒)
30km 1時間31分44秒(15分47秒)
35km 1時間47分44秒(16分00秒)
40km 2時間04分45秒(17分01秒)
2.195km (7分56秒)

2時間12分41秒


毎日新聞3月14日付けコメント

宗茂・旭化成監督
「瀬古君のこんな苦しい表情を見たのは初めて。
僕自身は、気温18度はそう暑くないと思っていたが、
全員がベストより3-4分悪かったのをみると、
相当きつかったのだろう。福岡との比較はどだい無理。
勝ちっぷりはともかくとして、勝ちは勝ち。
僕は瀬古君が代表に選ばれるべきだと思う。(略)

中山竹通
「レースはテレビ観戦した。瀬古さんは琵琶湖特有の風、
18度という温度の中、また10km過ぎからの独走という中で、
ペース配分が難しかったのではないかと思う。五輪代表については、
まだ正式決定されていないので、コメントは避けたい。」
       
   


160:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/19 00:53:38
シカゴの時のラスト2.195は7分20秒。ロス五輪以降は本当にラストの威力がなくなってる。

161:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/19 00:56:01
154と160が違う件

162:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/19 00:57:32
>>160ちなみに83年福岡は平和台の直前の坂があるにもかかわらずラスト6分22秒。
 瀬古のピーク時期のラストの強さ。ロス以降は本当にラストが上がらなかった。

163:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/19 00:59:19
びわ湖での終盤はスポンジの水も飲むほど苦しい様子がテレビに映し出されていたなあ

164:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/19 05:36:33
びわ湖前は、練習では40kmを2時間3分台で走っていたそうだが、本番前にピークを迎えてしまったということだろう。

165:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/19 23:31:30
瀬古ー海外初レース 学生日本新記録

第83回 ボストンマラソン  レース展開

1979年4月16日 気温5度 小雨  12:00(現地時間)スタート

7879人(女性517人)参加


(主な参加選手)
フランク・ショーター(アメリカ)72年ミュンヘン五輪金、76年モントリオール五輪銀
ビル・ロジャース(アメリカ)
E・チッカネン(フィンランド)
K・ライアン(ニュージーランド)
瀬古利彦(日本)

スタートー フレミング(アメリカ)が飛び出す。第一チェックポイントの
      フラミンガム(6.75マイル)では後続集団を400m引き離す。

第2チェックポイントーネイッック(10.5マイル)地点。相変わらずフレミングが
      単独首位。ラップタイムは50分08秒。
      後続集団は20人から13人へ
      ライアン、カードング(アメリカ)、マホニー(アメリカ)、ロジャース
      スチュアート(アメリカ)、ホッジ(カナダ)、ビヨクルンド(アメリカ)
      トーマス(アメリカ)ら。青梅マラソンから招待の高見健二(小西六)と
      瀬古の日本人は2人。

第3チェックポイントー ウェールズリー地点(13.75マイル)フレミングが先頭だがここまでで脱落。
      代わってビヨクルンドが先頭に出てくる。
      第4チェックポイントでラップを取ったビヨクルンドだが後続から
      瀬古とロジャースの優勝候補2人が抜け出し、ビヨクルンドに迫る。

心臓破りの坂に差しかかる。瀬古とロジャースの並走、そのすぐ後ろがビヨクルンド。
しかし3つ目の坂を登りきった直後の第5チェックポイント(30km過ぎ)でロジャースがスパート。
20mの差をつける。21.6マイルでは4年前に出した自らの大会記録に17秒遅れ。

ダウンヒルのスペシャリストといわれるロジャースのストライドの瀬古がついていけない。

ラスト7km- 最後のチェックポイント(クーリッジコーナー地点、24.12マイル)
        ロジャースは瀬古に100mの差をつける。
        大会記録に2秒差まで迫ってきた。 ロジャースは何度も後方を振り返り
        瀬古との差を確認する。差は少しずつ開いていく。

ゴールー ロジャースが2時間9分27秒 全米新記録 大会新記録 世界歴代4位でゴール。
     2位に瀬古。タイムは前年の福岡優勝で記録した2時間10分21秒を最新する
     2時間10分12秒。世界歴代8位、日本学生新記録だった。



166:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/19 23:37:35
83回 ボストンマラソン成績

1、2時間09分27秒 ロジャース(アメリカ) 大会新記録 世界歴代4位
2、2時間10分12秒 瀬古利彦(日本) 日本歴代2位、日本学生新、世界歴代8位
3、2時間12分30秒 ホッジ(カナダ)
4、2時間13分14秒 フレミング(アメリカ)
5、2時間13分14秒 ビヨクルンド(アメリカ)
6、2時間13分57秒 k・ライアン(ニュージーランド)
7、2時間14分04秒 ドイル(アメリカ)
8、2時間14分12秒 トーマス(アメリカ)
9、2時間14分36秒 アトキンス(アメリカ)
10、2時間14分36秒 マホニー(アメリカ)


41、2時間18分10秒 高見健二(日本)
79、2時間21分56秒 ショーター(アメリカ)

167:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/19 23:38:53
瀬古―海外初制覇
第85回 ボストンマラソン  レース展開
1981年4月21日  午前9時 スタート 気温9度 北西の風0.9m
6848人参加


参加日本人選手  瀬古利彦(エスビー食品)
         喜多秀喜(神戸製鋼)
         松尾正雄(九州電工)

スタートー ファネリー(アメリカ)が果敢に飛び出す。最初の1マイルを
      4分37秒。5kmは14分33秒で通過。
      瀬古、喜多、ロジャース(アメリカ)を含む集団40人は15分01秒。

10km-ファネリーが29分21秒。集団との差は約1分。後続集団ではタブ(アメリカ)が前に出てくる。
15km-ファネリー44分51秒。ペースが落ちてくる。しかし後続集団は約400m
     遅れの46分02秒で通過。
     ファネリーは観衆に手を上げたり、車椅子ランナーを追い抜くたびに肩を   
     叩いたりしてパフォーマンスが過剰。
20km-60分40秒。 後続とは45秒差。
中間点ー63分52秒。徐々に差が詰まり始め、300m差に。
        後続集団から喜多が遅れ始める。松尾はすでに脱落。

25km-1時間16分01秒。ファネリーの足取りが重い。ついに後続の差は100m。
26km-後続集団からアメリカのメイアーが出て集団をリードしてファネリーを
     抜き去る。ファネリーは降参したような表情。
     後続集団はすでに瀬古、ロジャース、バージン(アメリカ)、チェトル(オース         
     トラリア)、ペファー(アメリカ)、イースト(アメリカ)に絞られる。
27km-メイアーが後続6人を30mリード。 ペファーが集団から脱落。

28km-ついに優勝候補のロジャースが集団から後退し始める。イーストとともに脱落。

30km-メイヤー1時間31分32秒。 瀬古、バージン、チェトルが6秒差。






168:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/19 23:39:34
31km―メイヤーが3人に捕まり後退。3人の優勝争い。

ハートブレイク・ヒルに差し掛かる頃、チェトルが脱落。瀬古とバージンが並ぶ。
ヒルの中間でチェトルは50m差。ロジャースが後続で粘り、メイヤーを獲らえる。
その後ろ30mでイースト。

ついにバージンが先頭へ。瀬古がバージンの後ろへ。
ハートブレイク・ヒルの頂点から瀬古が前に出て、ペースを上げる。
ここで2人のスピードランナーによる強烈なスピードアップ。

35km-1時間46分54秒。
36km-バージンがスパート。瀬古がピッタリと背後につく。バージンの顔が苦しく
     なる。瀬古は無表情。
     ビーコン通りに出る90度の左折で瀬古が強烈なスパート。
     あわててバージンが追ったが、アッという間に差がつく。
     ロジャースがメイヤー、チェトルを抜き去り3位に浮上。

40km-2時間02分06秒。世界最高クレイトンとの差は11秒。  
     昨年、福岡のラストを換算すると2時間08分43秒に。世界最高の
     期待が高まる。しかし瀬古もかなり苦しい表情。アゴが上がってきた。
     あと1kmで2時間06分19秒。8分台の期待は消える。

ゴールー2時間09分26秒。瀬古海外で初優勝。79年ロジャースの大会記録
    2時間09分27秒を1秒最新する世界歴代5位。
    2位には同年1万m世界ランキング1位の新鋭・バージンが入り、
    3位にロジャース。





169:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/19 23:40:25
85回 ボストンマラソン  成績

優勝、2時間09分26秒 瀬古利彦(日本)(日本歴代2位、世界歴代5位)大会新
2位 2時間10分26秒 バージン(アメリカ)
3位 2時間10分34秒 ロジャース(アメリカ)
4位 2時間11分33秒 ロドウィック(アメリカ)
5位 2時間11分35秒 イースト(アメリカ)
6位 2時間11分52秒 トイボラ(フィンランド)
7位 2時間12分01秒 リンド(アメリカ)
8位 2時間12分23秒 チェトル(オーストラリア)
9位 2時間12分31秒 ヘフナー(アメリカ)
10位 2時間12分55秒 ガルシア(コロンビア)

50位 2時間18分45秒 松尾正雄(日本)
97位 2時間22分25秒 ファネリー(アメリカ)
620位 2時間36分59秒 喜多秀喜(日本)


優勝  瀬古利彦  ラップタイム

5km 15.01
10km 30.21(15.20)
15km 46・02(15.41)
20km 1.01.25(15.23)
25km 1.16.24(14.59)
30km 1.31.38(15.14)
35km 1.46.54(15.14)
40km 2.02.06(15.12)
2.195km(7.22)
2時間9分26秒




170:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/19 23:42:11

現役時代を見てみたかったな
解説だけだと凄い人には見えないからなあ


171:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/20 22:42:20
瀬古の五輪年の成績 モスクワの80年とロスの84年
これみると80年がいかに充実していたかがわかる。
ロスの84年は全体的に記録が低調。83年福岡までがピークかな。


1980年

04月27日 優勝 10000m 28分46秒9  群馬リレーカーニバル
05月05日 優勝 10000m 28分18秒6  スポニチ国際
05月17日 優勝 20000m 58分46秒0(日本新)東日本実業団対抗
07月01日 2位  5000m 13分30秒94 ビスレットゲームス
07月07日 優勝 10000m 27分43秒44(日本新)DNガラン
07月09日 3位 10000m 28分09秒42 ワールドゲームス
09月06日 優勝  5000m 13分50秒5  日中対抗
09月15日 優勝  5000m 13分46秒7  早慶戦(オープン)
09月20日 優勝 10000m 28分38秒7  八カ国陸上
09月27日 優勝 20000m 58分51秒9  全日本実業団対抗
09月28日 優勝 10000m 28分24秒6  全日本実業団対抗
11月03秒 優勝 20kmロード 59分03秒   中条ロード
11月23日 優勝 20kmロード 57分48秒5(日本最高)府中多摩川20km
12月07日 優勝 マラソン   2時間09分45秒 福岡国際マラソン



(社会人5年目・エスビー食品)

1984年
04月28日 優勝 10000m 28分48秒7  東京選手権
05月12日 優勝 20000m 58分43秒0  東日本実業団対抗
05月29日 優勝 20000m 59分41秒1  記録会
08月12日 14位 マラソン   2時間14分13秒 ロサンゼルス五輪
10月21日 3位 10000m 28分32秒49 日本選手権
11月03日 2位 10000m 28分11秒25 韓国選手権
11月18日 区間1位 6区(23km) 1時間08分08秒 東日本実業団駅伝
12月18日 区間1位 6区(23.2km)1時間08分30秒 全日本実業団駅伝



172:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/21 20:50:57

瀬古選手のラスト2.195kmのラップを集めてみた。
優勝10回のすべとの記録。最後で刺すイメージ強いが、
実際、競技場で勝負を決めているのは79年福岡、80年福岡
(これは競技場入る直前)、83年福岡の3回のみ。
このラップがいちばん良いものになっている。
中盤~終盤で抜け出したのが、78年福岡、81年ボストン、
83年東京、86年シカゴ、87年ボストン。
これは最高で6分41秒だが、思ったより7分台が多い。
そして序盤で抜け出したのが86ロンドン、88びわ湖。かなり
遅いものとなっている。
やはり終盤まで相手の力を利用して走るのが瀬古の真骨頂といえよう。
逆にいえば、記録的には今のペースメイク確立時代に走らせたい
ランナーでもある。

78年福岡  6分57秒(2時間10分21秒)
79年福岡  6分40秒(2時間10分35秒)
80年福岡  6分37秒(2時間9分45秒)
81年ボストン  7分22秒(2時間9分26秒)
83年東京  6分41秒(2時間8分38秒)
83年福岡  6分22秒(2時間8分52秒)

(ロス五輪以降)
86年ロンドン 7分18秒(2時間10分02秒)
86年シカゴ 7分11秒(2時間8分27秒)
87年ボストン 7分02秒(2時間11分50秒)
88年びわ湖 7分56秒(2時間12分41秒)

173:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/22 23:29:09
>>172
ロス以降、7分切ってないんだ。
神通力消えてたんだな。
晩年の巨人の桑田みたいなもんだ。名前でかわして、テクニックでカバーみたいな。

174:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/23 00:16:42
瀬古が引退するまでの総走行距離は、16万km(地球4周分)だったらしいが、
ロス五輪の時点ですでに10万kmを超えていたから、すでにポンコツだったといえる。
また、83東京のあとに肝機能障害になり、84年には猛暑の東京で走り込んで
血尿になり腎臓にもダメージを負ったから、真のスタミナは失われたと思われる。

175:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/28 00:46:43
瀬古は中距離出身だけにトラックにこだわりを持っていた。大学3年の欧州遠征
ではDNガランで学生新で優勝、5000でもケルン国際で優勝と欧州の選手とも互して
いく自信を持っていた。しかしその自信を打ち砕いたのが9月の八ヶ国陸上での
オルチス(伊)との一戦であった。オルチスは当年の欧州選手権でバイオニに
ついで2位(27:31:48)に入った一流中の一流選手であった。当時ヘンリー・ロノ
が世界記録を更新、B.フォスターとバイオニが当年に上の記録を出していたが77年
までだと上に2人しかいない大記録(78年終了時でも歴代6位)を持っていた。
レースは遅いペースで進みながら瀬古とオルチスのマッチレースとなり、最後の
一周になるあたりでスパートの機会をうかがって前に出るのを嫌がった両者が
ジグザグ走行をする珍しい光景も見られた。結局、瀬古が前に出た状態でオルチス
が必殺のスパート。瀬古は全く対応できず一周で8秒もの大差がついた。この敗戦
でトラックを捨て、マラソン一本に絞る決心がついたといわれている。


176:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/29 03:08:14
フィンランドのバイニオはロス五輪2位だったがドーピングにより失格と
なり、金井豊が8位→7位、スティーブ・ジョーンズが9位→8位と
繰り上がったような記憶がある。
80年の国立競技場で行われた大会で瀬古が必殺スパートでバイニオを
下して勝利したような気がするが記憶違いかもしれない。

177:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/29 03:42:07
81年のボストンも8分台可能だったなあ。
スピードで勝るバージン相手の勝負だったんで、随分と仕掛けどころが
早くて、それが当時は、とっても異質に思えた。

178:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/29 04:29:49
>>175
オルチスは欧州選手権5000のチャンピオン
瀬古はニャンブイにも負けた時に油断負けなんて言ったのでオヤと思ったが
おおむね現役時代は風貌からして謙虚な人柄と思われていたが
実はとんでもない男だったわけだ
中村監督はそれを知って隠したんだな
しかし50過ぎて何故解説という立場がありながらあんなに早稲田早稲田言うんだろ

179:↑ バカだろこいつw
10/09/29 23:06:38
宮崎のやつらとかマラソンヲタとか
瀬古古っ渡辺ほか選手多数とりほーだいでつぶしまくった瀬古ワセダ関係者
日本の長距離マラソン関係者とヲタはバカばっかw
トリインフルエンザ
コウテイエキ
どちらも全てヒガシ国原ハゲがマスごミテレビカメラの前に過剰ヒンパンに出てキモ顔出続けてしゃべりまくったり
マラソンランニングジョグ偏重助長してるヤクビョウガミなのが原因
プロ野球選手と野球して遊んだり職権濫用も甚だしい

おまえらみぬく目なさすぎ

ヤクビョウガミ ひがし国原ハゲのせいで動物たちが、、

180:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/29 23:41:06

瀬古はオルティスやマメーデ、あとステファーノ・メイとかラストの定評の
あるトラックの一流にはラストで勝てなかった。
しかし、平均型のバイニオ、アンチポフ、サラザール、あたりはラストで
子供扱いのようにちぎった。

トラックの力はロス五輪優勝のイタリアのコバ レベルかな。
何気にトラック欧州遠征ではコバに負けたことがないんだよな。

181:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/30 00:30:18
>>172
>>177

この表見ると81ボストンだけラストがへばってるね。
かなり早くで仕掛けたようだね。うまく走れば2時間8分台が出たのかもね。

182:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/30 00:39:20
よく飽きないね
それだけは感心するわ

183:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/30 00:42:39
マラソンでも結果残せず
トラックなんてさらに中途半端
こんなもん持ち上げようがないよ
オタがどんなに頑張っても
結果という事実で全部否定されちゃうから情けないよね

184:ゼッケン774さん@ラストコール
10/09/30 23:52:03
>>172
87年のボストンは、もうどんなに頑張っても好記録は望めないレース展開に
なってしまったし、完全に安全圏に入ってしまったので、無理に頑張る必要も
なくて、恐らくラストの2.195kmは流して走ってしまったのだろう。
ロス五輪以降の5つのマラソン・レースでは、最も『強い瀬古』をアピール
出来たレースだった。

185:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/01 00:31:07
>>147
ソウル五輪は意外に集団から離脱後は大崩れしなかった。
離脱後、キャステラに抜かれた展開はロスにそっくりで、そのまま
ズルズル行くものと覚悟したが、9位で競技場に戻ってきて
ホッとしたと同時に、「あと一人抜けば入賞なのにな」という残念
な気持ちがあった。40kmではカシャポフに先行されて10位での
通過だったが、ゴールでは8秒差で抑えた。往年の瀬古スパートの
面影は全くない競技場での走り。びわ湖の時のような苦しみ抜いた
様子もなく、淡々とした表情。「これがマラソン・レースの見納め
なのかも知れない」という寂しさに襲われた。あの年は雨がとても
多く、五輪がなければ、鬱の状態が続いていたことだろう。あの
瀬古最後のマラソンレースの日も、日本は冴えない空だった。

186:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/01 05:42:44
ソウルは中山のほうに期待が行ってしまっていたな。
日本国民は。

187:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/01 07:55:56
その頃はしらねえんだんがー 
いまは日本人男子だーれも世間にゃー知られてねー


おっさんれんちゅうは世間知らずか

188:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/01 22:21:06
>>176

金井7位、ジョーンズ8位の後が、マラソンで銀メダル取ったトレーシーが
9位に入ったんだよな。
ちなみに優勝候補のマメーデは予選で流して1位通過ながら、決勝は途中棄権。
ポルトガル国民が落胆しているところでロペスがポルトガル史上初のマラソン
金メダルに輝いた。

189:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/02 00:37:54
>>18530km過ぎに瀬古が遅れだしたときは、ロスの三分の一くらいの衝撃かな。
「やっぱりダメか」って感じだったな。中山が脱落した時は、ショックよりも
「なにやってんだよっ」っていう怒りを覚えた。「それなら先行逃げ切りしろよっ」
と思ったよ。先行逃げ切りできる体力なかったんだよねぇ。

190:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/03 00:52:32
瀬古の脅威的な勝率はあの時代だからこそと言える。
現代マラソンに瀬古がいたと仮定して
おそらく10勝のうち半分は優勝出来なかっただろう。
だが、瀬古の勝負強さは本物
現代に瀬古がいれば、夏レースのノウハウで五輪で金メダリストになっていたと思われる。

191:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/03 00:56:03
瀬古福岡欠場を当時「這ってでも出るべき」とコメントした中山。(後世、自分なら這ってでもでますがね。
の誤解だったらしいが…。)その時、児玉、谷口、伊藤あたりも非公式ながら瀬古批判をしている。
なぜならば真相は、ソウル五輪選考は当初、福岡、東京、びわ湖の3つから選考するはずだった。
しかしエスビーサイドが代表を早く決定したい意向もあり「福岡1本化」を提案。
87ボストンの影響もあり 瀬古が最右翼の候補だったのと、
陸連の早稲田派閥の力なのか真相は定かではないが、他の候補者がしぶしぶその提案を飲んだ。
(中には一発選考の方が分かりやすいと思っていた者もいるだろうが。)

しかし瀬古の剥離骨折による欠場、1本化から再度変更だったから皆、納得できなかったはずだ。
それだけ当時の陸連は瀬古を何としても代表に送りこみたかったんだろう。

79年、83年福岡は1位通過をきっちり決めた瀬古。
しかし晩節は神通力も低下し87年欧州遠征あたりから
衰えが見え始めていた。
びわ湖で勝った時は全盛期とは遠く及ばない凡レースだったが、宗茂は
「どうであれ優勝したのだから(代表は)瀬古ですよ。」とコメントしていたのは印象的だった。


まぁ瀬古には早稲田、陸連ともいろんな意味で借りがあったんだろう。

.中大進学が決定的な瀬古を半ば強引? に勧誘して早稲田が入学させられず瀬古を浪人させる。
.早稲田のイメージアップに貢献。
.全盛期の瀬古を五輪に出場させられなかった。.世界に通用する瀬古ブランド

他にも色々あるだろう。当時の世の中、今よりも浪花節なところがあったからね。
だからといってエスビーの取った行為は賛同できないけどね。


192:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/04 21:04:55
>>183
油ヲタを馬鹿にするな!!

193:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/04 21:09:17
>>186
そのときの国民の関心は瀬古でも中山でもなく昭和天皇だったけどな。

>>187
チンコが短い奴は引っ込んでな。

194:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/05 22:29:13
瀬古.宗兄弟不参加

第22回(1980年) モスクワ五輪男子マラソン レース展開

(コース内容)
レーニン中央競技場を出てすぐモスクワ川左岸の川岸通りを川下へ走る。
赤の広場の南端にある聖ワシリー寺院の前で川を渡る。
対岸の出て、今度は川上へさかのぼり野外劇場や観覧車のある文化公園の中
の森陰のゆるい上がり坂を通ってキエフ駅の折り返し地点へ。

樹木の多い静かなコースではあるが、変化に乏しいコース。しかしアップダウン
がわずか10mの平坦コース。
オリンピック屈指のきわめて走りやすいコースになっている。

 1980年8月1日 午後5時16分スタート  37カ国 72人が参加

気温23度 湿度40% 快晴

スタートー 5月のソビエト国内予選で優勝したコトフ(ソビエト)を先頭に
      一団でレーニンスタジアムを後にする。

集団は50人の大人数。ペースはスロー。

5km- モスクワ川を右に見て、東に向かって坂を登る。
     ラウエンブルク(デンマーク)を先頭に15分48秒。そのすぐあとに
     大集団が続く。

8.5km- 集団がラウエンブルクを取れえる。

15km- 先頭集団は約20人。 コトフ、モセーエフ(ソビエト)、ビレン(フィンランド)
      コウシス(ギリシャ)、アレマエフ(エチオピア)らが互いを牽制した走り。

決してペースは速くないため、数段の先頭は立ち替わり入れ替わりで目まぐるしい状態。
フランス国内予選を2時間12分18秒で制したシャルボンネル(フランス)、マグナニ(イタリア)
ビレン、2連覇を目指すチェルピンスキー(東ドイツ)、コトフ、ネディ(エチオピア)、
ゴメス(メキシコ)、マダ(アルジェリア)、コウシスらが最前線に出たり入ったりしている。


折り返しー キエフ駅でコトフがややリードして折り返す。


20km- コトフを先頭に ズマナザロフ(ソビエト)、コウシス、ビレン、モセーエフ
      ゴメス(メキシコ)、ネイブール(オランダ)らが集団で通過。 集団はまだ24人。
      1時間3分42秒でプレ五輪より約20秒早いラップに。

23km- コトフが果敢に仕掛ける、一時期集団から30mリード。しかしすぐに集団は吸収。
24km- ゴメスが果敢に飛び出す。集団に50mの差をつける。
      後続集団は7人。チェルピンスキー、ビレン、モセーエフ(ソビエト)、
マグナニ、 ジュマナザロフ(ソビエト)、ネイブール、ネディ



195:続き
10/10/05 22:30:38
25km- 1時間17分55秒。さらにゴメスが差をつける。

28km- ゴメスと集団の差は100mとなる。

30km過ぎー ゴメスのペースが鈍り始める。
        後続のネイブール、コトフ、チェルピンスキーらがその差を
        20mとつめてきた。

33km- 5000mの出場を取りやめ、マラソンに勝負を賭けてきたビレン、そしてマグナニ
      が集団から脱落。 ゴメスはほぼ集団に吸収される。集団は6人に絞られた。

35km-クレムリンの赤い壁を見る地。ゴメスが3秒リードで1時間49分47秒で通過。
     
36km-ネイブール(オランダ)がトップに立つ。
     チェルピンスキーとネイブールの2人がゴメスを交わして
     2人の争いに。 ネディ、ジュマナザロフ、モイセーエフ、ネディ、マグナニが
アッと言う間に脱落。

     しかしその1分後、チェルピンスキーがするすると先頭を奪うと
     ネイブールにじりじりと差を広げはじめる。

40km- 2位に上がってきたジュマナザロフに100m引き離す。
      このあたりからチェルピンスキーが独走態勢。

チェルピンスキーのリズミカルな走法が冴え渡る。モントリオールで見せた
後半の走りを再現。少しも崩れぬフォームでレーニンスタジアムに帰ってくる。

ゴールー 2時間11分03秒 五輪史上、アベベに続く2連覇を達成。


196:続き
10/10/05 22:37:53
第22回(1980年) モスクワ五輪マラソン成績


1、チェルピンスキ-(東ドイツ)2.11.03
2、ネイブ-ル(オランダ)   2.11.20
3、ズマナザロフ(ソビエト)  2.11.35
4、コトフ(ソビエト)     2.12.05
5、モセーエフ(ソビエト)   2.12.14
6、ゴメス(メキシコ)     2.12.39

7、ネディ(エチオピア)    2.12.44
8、マグナニ(イタリア)    2.13.12
9、リスモン(ベルギー)     2. 13. 27
10、ド・キャステラ(オーストラリア)2.14.31

11、トルッペル(東ドイツ)   2.14.55
12、セケレス(ハンガリー)   2.15.18
13、スメ(ベルギー)      2.16.00
14、ニジェマンドイ(タンザニア)2.16.47
15、シャハンガ(タンザニア)  2.16.47
16、ピント(ポルトガル)    2.17.04
17、チバドイザ(コロンビア)  2.17.06
18、ショーフス(ベルギー)   2.17.28
19、スタール(スウェーデン)  2.17.44
20、コウシス(ギリシャ)    2.18.02


197:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/05 22:49:41
モスクワ終了後、高橋進 コメント

日本の3選手(瀬古、宗兄弟)、ロジャース(アメリカ)、クワックス(ニュージーランド)
がレースに加わっていたらどうだっただろうか。
中村清早大監督は、瀬古が出ていてもチェルピンスキーには勝てなかっただろうと
語っていた。これは控えめな発言であって、内心は90%まで瀬古の優勝を確信
できただろう。
私も日本人の優勝、3位までにもう一人メダルを取り、さらに5-6位までに
最後の一人も入れただろうと思う。おそらくチェルピンスキーとロジャースと
日本選手3人が36kmを過ぎてデットヒートを演じただろう。
あるいはレース展開は最初から様相が変わっていたかもしれない。
もっとハイペースでグングンとレースが進められ、中間点では先頭集団は
10名以下に絞られていたかもしれない。

このように死んだ子の年齢を数える愚を承知しつつ、かえすがえす不参加
が悔やまれる。いうところに千載一遇の好機を逃したとしか言いようがない。
3人とも入賞は確実できただけに釣り落とした魚は大きいの例え通り、残念
でならない。

198:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/06 22:01:47
>>196

カレル・リスモンは君原の上を行く 五輪3回で2位、3位、9位
の成績を上げている。地味に五輪で成績残した一人だね。

199:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/07 21:15:05
ビレンはマラソンまともに走ったのは76モントリオール五輪の5位だけだよ
福岡来たけど10位にも入れなかった。モスクワはロートルでトラックでもメダル
取れなくて、マラソンは完走できなかったんじゃないかな。

200:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/07 22:32:21
>>198
ワイナイナも同じような成績だったような

201:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/08 23:54:36
ワイナイナは3位→2位→7位じゃなかったかな?

202:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/09 00:20:14
リスモンも地味に凄い選手だ。連続メダリストの上に衰えたりとは言え、モスクワでも9位。
もっとも日本勢やビル・ロジャースが参加していたら5つは順位が違っただろう。

203:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/09 00:50:41
瀬古はチェルピンスキー相手に5戦して一度も負けていない!!!!

204:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/09 08:39:45
チェルピンスキーは
目標(世界大会)をはずさない

205:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/09 10:40:46
宗茂は著書でモスクワで3位に入ったズマナザロフには兄弟共、一度も負けたことなかった
と語ってますね。

一度、国代表ではなくオープン参加も考えたというくらい日本3選手と世界の差は確実に上だったらしいねぇ

無念ではあっただろうね


206:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/09 13:53:35
そうかな・・・
100%ドーピングとはいえ
あのときのチェルピンスキーは
かなり強かったんだが

207:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/09 20:43:16
短距離や投擲系(円盤・ハンマー・やり)と違って、
当時の医学水準じゃ、マラソンに有効なドーピングとか無理じゃないの。
濃縮した血液なんか輸血したら、たちまち脳梗塞や肺塞栓でオダブツだよ。


208:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/10 01:00:38
浅田真央は、瀬古の運命に似ているな。まあ、銀メダルを取れただけマシだが。

1)トリノに出ていれば金メダルの可能性もあったが、年齢制限で出場できず。
  (瀬古;政治的理由で、モスクワをボイコット)
2)採点方法の変更で、ジャンプよりも全体の流れや芸術性が重視されてしまう。
  (瀬古;冬マラソンの調整は万全だったが、未知の夏マラソンへの変更を余儀なくされる。)
3)直前の練習と、本番(SP1回、フリー2回)のトリプルアクセルで
  スタミナを消耗し、ガス欠を起こして終盤にミスを連発。
  (瀬古;レース直前まで猛暑の東京で走り込み、脱水症状で血尿も出る。)



209:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/10 01:05:27
525 :ゼッケン774さん@ラストコール:2010/08/17(火) 00:55:56
モスクワで瀬古が走ってたらと今だに語られるのは、結局、この大会はライバルが少なかったんだよね。
世界レベルで走れるのはモイセーエフ、ロジャース、に日本の瀬古、宗兄弟くらいだったんだよ。
チェルピンスキーは五輪だけの選手で格下扱い。バルチャ、ネディのアフリカ勢も小粒。ネイブールは直前に記録出したが
爆発力なく、青梅で瀬古にこてんぱんにされた。

ゴメス、キャステラはまだ力不足。チェ、高の北朝鮮勢はうるさい存在でも日本が負ける相手ではない。
ショーターは力の衰え隠せず、代表にもなれず。
コトフ、ジュマナザロフの残りの地元勢もかなり格下。

夏レースは伏兵が出てメダルさらうことあるが、まだモスクワくらいまでは強豪が順調に上位にくるくらいの天候レース。
本番のレースは後半かなりペースが上がったが、前半の16分以上かかったラップ時は、先行逃げ切りタイプの
メダル候補・宗茂が前に出てくると思われ、あんなレースにはなってないだろうね。ゴメスもスローだった
から中盤で出れたと思うね。金の確率は東京五輪以降のレースでは一番近い大会だったと思う。
最低日本勢の2人はメダル取っただろう。


210:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/10 01:09:39
このスレ上げないと気がすまないの
マジで見苦しいから下げといた方がいいと思うよ

211:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/10 01:23:00
まだ8分台が世界記録だった時代に世界記録も出せず
五輪では出場しただけで結果は14位9位
瀬古がかろうじて一度だけ出したマラソン日本記録はあっという間に更新された。
早稲田でなければ誰も相手にしてないだろう。
これほどマスコミの恩恵受けた選手も珍しいよ。

212:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/10 02:58:05
モスクワでは、序盤随分スローな展開だが、先行逃げ切りレースを何回か
やっている宗茂がいたら展開もずいぶん違ったものになったかも知れない

213:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/10 03:36:36
どなたか、79年福岡国際マラソンの実況をお願いします。

214:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/10 08:21:35
「チェルピンスキーは五輪だけの選手で格下扱い」???

ふつうに考えて“五輪だけ”という表現はおかしいだろ。
みんな五輪に照準あわせるんだから。

瀬古はとても強い選手だったのに
へんな持ち上げ方するからアンチにつきまとわれるんだよ。

215:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/10 15:23:16
>>214
マラソンのチェルピンスキー、長距離のビレン、中距離のスネルとか
国際大会はからきしなのに不思議と五輪で活躍する選手はいたな
チェルピンスキーが各下なのはしょうがないよ
福岡でまともに走れてないもの、いくら五輪王者でも
3位
32位
途中棄権
6位
15位
これでは毎年、瀬古や宗兄弟と力が互角と見るのは失礼。
ドーピングの疑いのかかるのはしかたがないよ。まあ80年福岡は真面目に走って瀬古に完敗して、瀬古には勝てないとコメントしてるからなぁ

216:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/10 15:45:35
晒しあげとくか

217:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/10 17:44:07
五輪2金の方が格下って
そりゃあ無理があるわな

218:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/10 19:21:31
アベベの時は文句無しだったが、チェルピンスキーの場合は
ケチのつきまくりで、ちょっと気の毒ではあるな。


219:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/10 23:35:05
ヘルシンキで行われた第1回の世界選手権(83年)でも3位に入っているし、
大変な選手ですよ。
ただ、当時は偉大さに多くの人は気付いていなかった。

220:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/10 23:52:35
79年の福岡の途中棄権は競技場に入ってきながら「やーめた」と投げてしまった棄権。
この時、翌年の五輪連覇を予想した人は恐らく皆無に近い筈。

221:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/11 00:31:03
リアルで見てないとチェルピンスキーは過大評価になるよ。
五輪2連覇で世陸3位ならアベベやショーターと並ぶ評価でもおかしくないんだけど、内外で
チェルピンスキーを強いと評価されてるの聞いたことがない。
実際リアルで見てると日本のレースでは瀬古の相手ではないくらい弱わすぎた。
不思議な選手だった。


女子ならエゴロワみたあな選手かな。しかしエゴロワは間の大会でも、例えば東京国際女子でも
優勝したりしてまだ活躍してるからな
チェルピンスキーは日本に10回くらい来て日本勢にほとんど負けまくった。

222:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/11 00:35:50
東京は83年と84年は走っている。ひょっとしたら84東京がラストレースか?

223:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/11 02:15:59

ワルデマール・チェルピンスキー(東ドイツ) 現役全レース成績

1974.10 コシチェマラソン 2:20:28.4 3位
1975.10 コシチェマラソン 2:17:30.4 7位
1976.04 カールマルクスシュタット 2:13:57.2 優勝
1976.05 ヴィッテンベルク 2:12:21.2 優勝 モントリオール五輪選考会
1976.07 モントリオールオリンピック 2:09:55 優勝 五輪最高記録、自己最高記録
1976.12 福岡国際マラソン 2:14:56 3位
1977.10 コシチェマラソン 2:16:00.3 3位
1978.05 プラハ 2:14:51 優勝
1978.06 東ドイツ選手権(コトブス) 2:14:58 優勝
1978.09 ヨーロッパ選手権(プラハ) 2:12:20 4位
1978.12 福岡国際マラソン 2:22:49 32位
1979.09 カールマルクスシュタット 2:15:50 優勝
1979.12 福岡国際マラソン ----------- (棄権)
1980.05 カールマルクスシュタット 2:11:17 優勝
1980.08 モスクワオリンピック 2:11:03 優勝 五輪連覇
1980.10 コシチェマラソン ----------- (棄権)
1980.12 福岡国際マラソン 2:10:24 6位
1981.09 ヨーロッパカップ(アーヘン) 2:15:44 2位
1981.12 福岡国際マラソン ----------- (棄権)
1982.01 マニラ 2:14:27 優勝
1982.06 東ドイツ選手権(ドレスデン) 2:12:59 優勝
1982.09 ヨーロッパ選手権(アテネ) 2:17:50 6位
1983.02 東京国際マラソン 2:12:40 7位
1983.06 ヨーロッパカップ(ラレド) 2:12:26 優勝
1983.08 世界陸上選手権(ヘルシンキ) 2:10:37 3位
1983.12 福岡国際マラソン 2:15:13 15位
1984.02 東京国際マラソン 2:12:00 8位
1985.10 コシチェマラソン 2:19:52 5位






224:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/11 02:18:32
>>213

瀬古、宗兄弟 死闘のレース モスクワ選考会 レース展開

第14回(当時) 福岡国際マラソン 兼 モスクワ五輪マラソン代表選考会
1979年12月2日(日) 正午スタート 
平和台陸上競技場~雁ノ巣折り返し 気温11.5度 湿度47% 西北西1.9m

外国勢33人(一般参加含む)含む 112人参加


スタートー 宗猛(旭化成)、大久保初男(大昭和製紙)、コウシス(ギリシャ)が前に
      出てくる。競技場での最初の1kmは3分。宗猛が下がり、ロドウィック(アメリカ)
      が先頭でロードへ

2km- ロドウィック、大久保、古田匡彦(長居AC)が飛び出す。大集団を15mリード。

3km- 3人が後続集団を30m引き離す。

5km- 15分15秒で3人が同時に通過。後続集団はモスクワ行きの切符がかかっているため
     自重気味。集団はまだ40人前後。15分25秒で10秒差。

7km- 大久保が古田とロドウィックを引き離し始める。単独トップに立つ。

10km- 30分23秒で大久保。2位のロドウィックに100mの差をつける。3位はさらに
      30m後方で古田。大集団は30分58秒。スローな展開で36名。されに20m以内に
      22名と空前の大集団となる。

11km- 古田が後続に吸収され、13kmではロドウィックも吸収された。

15km- 大久保の独走が続く。45分38秒でこの間は15分15秒。後続の大集団では
      日本の中堅所、毛利泰文(九州電工)、福山長安(東京都庁)、菊地武彦(リッカー)、
      そして前半リードした古田が脱落。それでも32名。大久保とは41秒差で200m以上
      の差がついている。

20km- 大久保のペースが落ち始める。1時間01分10秒でこの間は15分32秒。
      後続集団の先頭にはバージン(アメリカ)、鎌田俊明(鐘紡)、渡辺康徳(九州電工)、
      ワードロー(オーストラリア)、宗茂(旭化成)の入賞候補が出てくる。

      大集団はスタートからほとんど変化のないペースで推移。15分21秒―33秒の
      間で収まるラップ。この間は1時間01分45秒で15分26秒。

      大集団の後方でマクスエウェル(カナダ)、ホウイソン(カナダ)が9秒遅れ。
      そのさらに後方はジュマナザロフ(ソビエト)、高(北朝鮮)、コウシスが通過。



225:続き
10/10/11 02:19:15
23km- 大久保のペースがみるみるダウン。ついに集団に吸収された。集団の先頭には
      宗猛、チェ(北朝鮮)、サンドバル(アメリカ)、ワードロー、宗茂の顔が見える。

24km- バージンが足を引っ掛けて転倒。 集団のペースはなかなか上がらない。
      ついに大久保が脱落。高見健二(小西六)も後退。

25km- 1時間17分17秒で通過。集団は18名に。

26km- フォード(イギリス)、ワードロー、チェの外国勢が前に。日本の主力はまだまだ
      中間~後方で自重し牽制している。 そのため、

29km- 一時期150m遅れていたジュマナザロフがペースをあげて再び集団に戻ってきた。 

30km- この間を15分52秒要する。ゴメス(メキシコ)が脱落し18名に。

      メンバーは宗茂、宗猛、瀬古利彦(早大)、鎌田、伊藤国光(鐘紡)、喜多秀喜(神戸製鋼)
      武富豊(神戸製鋼)、渡辺、弓削裕(旭化成)、フォード、チェルピンスキー(東ドイツ)
      ライアン(ニュージーランド)、マッカリー(アメリカ)、スコット(オーストラリア)、ジュマナザロフ
      チェ・チャンソプ、サンドバル、ワードロー

      30kmを過ぎて少しづつペースが上がってくる。
30.5km- 鎌田、弓削が脱落。 唯一の下り坂にかかり益々ペースがあがる。集団は次々に分裂。
        五輪覇者のチェルピンスキー脱落。

34km- 代表候補の喜多がついに脱落。そいて武富も力尽きる。ジュマナザロフは急ペースで追いついた
      疲れがでてはるか後方へ。続けざまにスコットとライアンも脱落。

35km- ついに集団は6名に。1時間48分32秒でこの間を15分23秒。30秒ほどペースが上がった。
      まだ2時間10分台の期待を残す。

      35km過ぎについに五輪候補の伊藤が遅れ始める。宗兄弟、瀬古、フォード、チェの5名。
      伊藤は苦しそうで徐々に離れる。フォードとチェが先頭で日本勢が後ろでつく展開に。



226:続き
10/10/11 02:21:35
36km- 北朝鮮のチェが遅れ始める。ついに4名の優勝争い。フォードが先頭で逃げ始め、その左右に
      宗兄弟が並ぶ。瀬古は最後尾で伺う。

40km- 2時間03分55秒。ペースは同じ15分23秒。チェは200m後方。

40km過ぎー 宗猛がスパート。グイグイ前に出る。すぐに宗茂が反応し、背後に。1、2mとフォードが
       離されていく。瀬古はさらに後ろでスパートに反応ができない。5m、10mと置いていかれる。
       あと2km地点は2時間4分32秒。2時間11分を切るのは確実となった。

       宗兄弟のスパートが落ち着く。少しづく後方の瀬古がジワジワと差を詰め始める。フォードは
       瀬古の後ろに後退。

あと1km- ついに瀬古が宗兄弟の背後にピッタリとついた。そして平和台陸上競技場へ。
    
宗猛が先頭。茂―瀬古の順でホームストレートからあと1周。ラスト200mで瀬古が渾身のスパート。
      茂、猛を抜き先頭へ。ラスト100mでは茂も猛をかわす。

瀬古優勝。2位宗茂。3位宗猛。 宗猛は自己記録となった。4位はフォード。マラソン2回目で10分台の
快挙を達成。8位で日本人4位は伊藤。しかし自己記録となった。 前半リードした大久保は82位。
またモントリオール五輪覇者のチェルピンスキーは途中棄権。大ベテラン君原健二(新日鉄)は48位だった。

瀬古、宗兄弟は晴れてモスクワ五輪代表の切符を手にした。


第14回(当時) 福岡国際マラソン 成績

1、 2時間10分35秒 瀬古利彦(早大)
2、 2時間10分37秒 宗茂(旭化成)
3、 2時間10分40秒 宗猛(旭化成)
4、 2時間10分51秒 フォード(イギリス)
5、 2時間11分40秒 チェ・チャンソプ(北朝鮮)
6、 2時間11分55秒 スコット(オーストラリア)
7、 2時間11分55秒 ワードロー(オーストラリア)
8、 2時間12分08秒 伊藤国光(鐘紡)
9、 2時間12分33秒 ライアン(ニュージーランド)
10、2時間12分47秒 武富豊(神戸製鋼)

11、2時間14分05秒 ジュマナザロフ(ソビエト)
12、2時間14分12秒 弓削裕(旭化成)
13、2時間15分01秒 マッカリー(アメリカ)
14、2時間16分14秒 コウシス(ギリシャ)
15、2時間16分18秒 ゴメス(メキシコ)
16、2時間16分19秒 鈴木三男(日本電気)
17、2時間16分59秒 バージン(アメリカ)
18、2時間17分01秒 ロドウィック(アメリカ)
19、2時間17分04秒 リ・ジョン・ヒョン(北朝鮮)
20、2時間17分28秒 ホウイソン(カナダ)

21、2時間17分37秒 鎌田俊明(鐘紡)
41、2時間22分25秒 喜多秀喜(神戸製鋼)
48、2時間23分52秒 君原健二(新日鉄)
82、2時間31分09秒 大久保初男(大昭和製紙)


227:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/11 05:24:51
この79年福岡は本当にマラソン史上に残る名勝負だ。宗猛が世界的マラソンランナーの域に
達した出世レースとして記憶にとどめたい。

228:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/11 05:35:38
そうそうたるメンバーだ。まさに当時はボストン・ニューヨークに
肩を並べる権威が福岡にあったと分かる。詳しい実況、お疲れ様ざんす。

229:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/11 05:41:16
しかし喜多秀喜の脱落してからの落ち込み方は異常だ。完全にジョッグになっちゃったみたいだ。
鎌田も懐かしい名前。適正種目は、やはりトラックだったか。
ここで出ているゴメスは翌年の五輪6位で、83年東京で瀬古と名勝負を演じて敗れた
ロドルフォ・ゴメスと恐らく同一人物でしょう。

230:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/11 05:46:22
瀬古とワンジルはどっちが強い?
いや時代も考慮してね

時代入れなければワンジルの圧勝だろうし

231:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/11 05:53:02
>>230
瀬古だろうな
今の時代ワンジルと走っても世界大会じゃなければ10回中8回は勝つよ

232:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/11 06:01:41
基本走力はワンジルが上だが83年当時ならば瀬古は対等の勝負が出切る。

233:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/11 06:33:19
宗茂のランニング・フォームは素晴らしい。宗猛がスパートをかけた直後の
79年福岡の時の写真を見たが、見事なまでに脚が上がった走りだ。
40km過ぎてこれだけ躍動的に走れるマラソンランナーは本当に珍しいの
ではないか。惚れ惚れさせられた。

234:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/11 11:46:53
>>229
まさにゴメスはロドルフォ・ゴメスのこと。
また11位のジュマナザロフは翌年の五輪銅メダル
途中棄権をしたチェルピンスキーが金メダル獲得
16位のバージンは翌年の10000m世界ランキング1位で81ボストンでは瀬古と
競い合う。
前半集団で頑張ったサンドバルも当時はマラソン世界歴代上位のランナー
ロドウィックはボストンの上位の常連
この時、ビレンも招待されたが欠場。

喜多は34kmで遅れてからはほとんどジョッグ状態だった。

235:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/11 14:46:22

1979年12月までの 男子マラソン世界歴代15傑

1、2時間08分33秒6 クレイトン(オーストラリア) 1969 アントワープ
2、2時間09分05秒6 宗茂(日本)         1978 別府大分
3、2時間09分12秒  トンプソン(イギリス)    1974 クライストチャーチ
4、2時間09分27秒  ロジャース(アメリカ)    1979 ボストン
5、2時間09分28秒  ヒル(イギリス)       1970 エジンバラ
6、2時間09分55秒  チェルピンスキー(東ドイツ) 1976 モントリオール
7、2時間10分00秒  スメ(ベルギー)       1979 アムステルダム
8、2時間10分08秒4 ドレイトン(カナダ)     1975 福岡
9、2時間10分12秒  瀬古利彦(日本)       1979 ボストン
10、2時間10分15秒  ウェルズ(アメリカ)     1978 ボストン

11、2時間10分20秒  サンドバル(アメリカ)    1979 エジンバラ
11、2時間10分20秒  チェトル(オーストラリア)  1975 福岡
13、2時間10分30秒  ショーター(アメリカ)    1972 福岡
14、2時間10分37秒8 宇佐美彰朗(日本)      1970 福岡
15、2時間10分40秒  宗猛(日本)         1979 福岡     

236:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/11 15:17:19
瀬古 VS モスクワ五輪覇者チェルピンスキー

第15回 福岡国際マラソン レース展開

1980年12月7日  晴れ 気温11度、湿度65% 北西の風1m
出場選手 130人 完走114人 
福岡平和台陸上競技場~雁ノ巣折り返し


スタート~5km 通過が15分27秒。30人余の先頭集団。互いに様子を伺う展開。
         
10km-ペースが上がるどころか、この間を15分38秒。明らかに自重。
     ほとんどの選手が「瀬古マーク」で進むため、集団のペースが上がらない。
     先頭集団、前方には宗茂(旭化成)、菅谷久ニ(電電東京)、弓削裕(旭化成)、
     松尾正雄(九州電工)、武富豊(神戸製鋼)ら日本人選手がでる。

そして15km-15分43秒、20km-15分53秒。福岡国際始まって以来の
スローペース。ほぼ記録の期待は潰えた。前年のラップより50秒遅れる。

折り返しー 雁ノ巣、カナダのブリトンが集団の先頭。
      伊藤国光(鐘紡)、、宗茂、宗猛(旭化成)、瀬古利彦(エスビー食品)、
      ド・キャステラ(オーストラリア)、今釘長敏(小西六)、エバーディング
      (東ドイツ)、喜多秀喜(神戸製鋼)、武富らが続く。


30km-ド・キャステラを先頭に集団は10人。1時間33分03秒で
     この間は15分08秒。徐々にペースが上がってくる。

31km-前半は先頭集団から遅れたり、追いついたりしていた
8月のモスクワ五輪で連続金メダルを獲得したチェルピンスキー(東ドイツ)
     がスパート。ピッチを速める。 ピッタリマークしていた瀬古が後ろにつく。
   
     ここで喜多、武富、キャステラが脱落。



237:続き
10/10/11 15:18:22
32.5km- 瀬古が伊藤の足を引っ掛けてしまい、伊藤転倒。
        瀬古が走りながら伊藤に謝る。

33km-先頭はチェルピンスキー、ペファー(米国)、ヘンリー(豪州)、瀬古、
     宗猛、伊藤の6人。 宗茂が後退する。

33.7km- 伊藤が強めのスパート。転倒してすぐとは思えない余力。
        一気に外国招待3選手が交代。 瀬古がチェルピンスキーマークから
伊藤を追いかけ始める。
        ついに五輪王者・チェルピンスキーが遅れだす。

伊藤が瀬古、宗猛を振り切ろうと左、右にコースを変え、ジグザグを描く。

35km-1時間47分48秒(14分45秒)ハイペースに。
      伊藤の健闘が光る。瀬古と宗猛が伊藤に追いつき、3人で並走。

39km-橋の上がりかけで宗猛がスパート。伊藤国光が苦しい。
     少しずつ遅れ始める。ついに伊藤も後退。

40km-2時間03分08秒(15分08秒) 前半の遅れを完全に挽回して
     9分台の可能性が出てきた。

宗猛と瀬古の2人の優勝争いは平和台競技場の目の前に。
マラソンゲート50m先で瀬古が一気にスパート。みるみる宗猛に20mの差をつける。
スタンドは2万5千人の大歓声。
危なげない瀬古の走りで優勝。2時間09分45秒と瀬古自身初のサブテンを記録。
必死に食らいついた宗猛は4秒差で2位。宗猛もサブテンを記録した。

五輪優勝者・チェルピンスキーはゴール直前で宗茂にかわされ6位。
瀬古、宗兄弟のモスクワ五輪代表組は3人ともチェルピンスキーに勝つ結果になった。

15回 福岡国際マラソン 成績

1、2時間09分45秒 瀬古利彦(エスビー食品)
2、2時間09分49秒 宗猛(旭化成)
3、2時間10分05秒 伊藤国光(鐘紡)
4、2時間10分09秒 ヘンリー(オーストラリア)
5、2時間10分23秒 宗茂(旭化成)
6、2時間10分24秒 チェルピンスキー(東ドイツ)

7、2時間10分29秒 ペファー(アメリカ)
8、2時間10分44秒 ド・キャステラ(オーストラリア)
9、2時間11分27秒 武富豊(神戸製鋼)
10、2時間11分35秒 キャノン(イギリス)

11、2時間12分35秒 ヘフナー(アメリカ)
12、2時間13分25秒 ダーデン(アメリカ)
13、2時間13分35秒 リスモン(ベルギー)
14、2時間13分56秒 弓削裕(旭化成)
15、2時間14分37秒 喜多秀喜(神戸製鋼)
16、2時間14分38秒 エバーディング(東ドイツ)
17、2時間14分50秒 デュレンベヒャー(西ドイツ)
18、2時間15分15秒 川口孝志郎(中京大)
19、2時間15分19秒 引間金夫(新日鉄)
20、2時間15分23秒 ウイッティ(オーストラリア)


238:続き
10/10/11 15:25:21

1980年 15回(当時) 福岡国際マラソン 優勝 瀬古利彦 ラップタイム

5km 15分27秒
10km 31分05秒(15分38秒)
15km 46分48秒(15分43秒)
20km 1時間02分41秒(15分53秒)

中間点 1時間06分15秒

25km 1時間17分55秒(15分14秒)
30km 1時間33分03秒(15分08秒)
35km 1時間47分48秒(14分45秒)
40km 2時間03分08秒(15分20秒)
2.195km (6分37秒)

2時間09分45秒

239:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/11 15:37:20
1980年12月までの 男子マラソン世界歴代20傑 +2

1、2時間08分33秒6 クレイトン(オーストラリア) 1969 アントワープ
2、2時間09分01秒  ネイブール(オランダ)    1980 アムステルダム
3、2時間09分05秒6 宗茂(日本)         1978 別府大分
4、2時間09分12秒  トンプソン(イギリス)    1974 クライストチャーチ
5、2時間09分27秒  ロジャース(アメリカ)    1979 ボストン
6、2時間09分28秒  ヒル(イギリス)       1970 エジンバラ
7、2時間09分41秒  サラザール(アメリカ)    1980 ニューヨーク
8、2時間09分45秒  瀬古利彦(日本)       1980 福岡
9、2時間09分49秒  宗猛(日本)         1980 福岡
10、2時間09分55秒  チェルピンスキー(東ドイツ) 1976 モントリオール

11、2時間10分00秒  スメ(ベルギー)       1979 アムステルダム
12、2時間10分05秒  伊藤国光(日本)       1980 福岡
13、2時間10分08秒4 ドレイトン(カナダ)     1975 福岡
14、2時間10分09秒  ヘンリー(オーストラリア)  1980 福岡
15、2時間10分13秒  ゴメス(メキシコ)      1980 ニューヨーク
16、2時間10分15秒  ウェルズ(アメリカ)     1978 ボストン
17、2時間10分19秒  サンドバル(アメリカ)    1980 全米予選
18、2時間10分20秒  チェトル(オーストラリア)  1975 福岡
18、2時間10分20秒  ビヨクルンド(アメリカ)   1980 ダラス
20、2時間10分29秒  ペファー(アメリカ)     1980 福岡


21、2時間10分30秒  ショーター(アメリカ)    1972 福岡
22、2時間10分37秒8 宇佐美彰朗(日本)      1970 福岡
   


240:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/11 17:29:51
あんがい朝鮮人なんじゃないの?

241:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/11 20:37:00
瀬古は78年12月から85年4月まで6年半、世界歴代10傑入りしている。
それも5回も記録を最新し続けての維持だから対したもんだ。

242:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/12 00:26:09
>>239

福岡多いなー 9個か、別大入れると22位までで半分。昔は日本マラソンレースが活気があったのが理解できる

243:ゼッケン774さん@ラストコール
10/10/12 02:48:13
この福岡のレースはよく覚えてる。競技場に入る直前、画面が切り替わった時にはロケット・スパートで
あっという間に宗猛を引き離したんだけど、宗猛もよく粘って、意外に競技場内では差を開けられ
なかった。その夜、早稲田大学時代からの同僚・村尾マネージャーが「瀬古が余りにも
可哀想でした。完全に脱水症状を起こしていて、舌に塩が吹いていて固まっていました。
どんなに苦しかったかと思うと・・・・・・・」と号泣してしまったそうだ。
ハタから見れば、余裕を持って勝ったかに見えるレースだったが、実はそんな裏事情があったのかと
ビックリ。苦しさをおくびにも出さず、無表情で最後まで走り切ってしまった。
まさに怪物だった。


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