11/01/12 23:55:13 AlF7NufH
けんぷファーは超高度にハーレムラブコメ志向だったからね
女キャラがウリの作品として、ハーレムアニメが女キャラの設定に力を入れきたのは自然の流れだったが、
設定の肥大化・尺の1クール化とともにハーレムアニメのほとんどが「前半ラブコメ・後半シリアス」というようなチグハグな内容を呈する物ばかりになった。
その結果がラブコメとシリアスが互いに尺を食い合って、ラブコメを見たい人はがっかり真面目なお話として見ていた人は糞みたいな内容に失笑、というもの。
ほとんどのハーレムアニメがそうだ。>>867の言う通り、設定回収しましょうつってシリアスに入るものはだいたいがっかり。
しかし、だからといって今更特殊な設定を捨てて「学園とラブコメ」だけで勝負することは出来ない。そんなバニラな作品ではまず勝てない。設定とラブコメのジレンマ。
そこでけんぷファーの導き出したソリューションはこうだった。「設定は出すが、ラブコメの邪魔になるなら回収はしない」。
けんぷファーは「モデレーター」「ケンプファーは戦う存在」といった設定を用意したが、これらの設定はそれ自体が興味の対象になることはなく全てラブコメの動機付けとして働く。
糞バトルをかましている1話2話というのは、バトルを通じてナツルと女の子が深い関係を築く事に利用され、3話以降は「戦う存在」という設定は消え去る。
設定として残るのはナツルハーレムの構図、臓物アニマル、「ナツルが変身すると女になる」くらいなもので、これらの設定がその後のラブコメ話の核を担っていく。
このようにして「人と人の戦い」という強いキャラの結びつきをラブコメに導入することに成功した後は、「モデレーター」「戦う存在」という設定を潔く捨ててしまう。ラブコメの邪魔だからだ。
そして敵から恋人になるというどデカいギャップを手に入れた会長をメインにラブコメを回すという徹底ぶりを見せるわけ。動機付けのバトルからラブコメへ、美しい軌道を描きながらキャラを立たせるこの手腕。
その手腕の極めつけはなんといっても最終回(11話)だろう。8,9,10におけるラブコメドラマに緊迫感を持たせていた「モデレーターと楓」設定をヒアブリライオン・会長に解説させ視聴者の興味をさっさと潰した後は、
「ナツルハーレムvs楓」解り易い対立の構図に移行(映画『ノースバイノースウェスト』でも教授のスパイ話に同様の手法が見られる)。私とあいつどっちを取るのよという愛の話に決着が付くと、
楓や白けんぷといった「ハーレム組への愛を盛り上げるための障害」として働いていた設定は第9でさっさと退場させられ、話は甘々パイタッチ合戦にうつる。動機付けからラブコメへ。
その時、会長が最後にはなつ台詞はこうだ。「女の子は戦いよりもキスが大事」。
そうなのだ。けんぷファーにおいては糞シリアスについてグダグダやるよりも、ラブコメで女の子をかわいく見せる方が大切なのである。ハーレムアニメとしての正しい姿!
ここにけんぷファーの美徳がある。凡庸な「ハーレムアニメ」はあくまでも「普通の」作品つくりの方法を持ち込もうとする。
設定を用意したらそれを回収し、そのついでにラブコメもやる。馬鹿馬鹿しい話だ。
その結果がラブコメとシリアス設定の競合、妥協の堆積物だというのに。
けんぷファーは言っている。シリアス設定なんか、ラブコメのために利用しつくした後に捨ててしまってかまわないのだ。
ハーレムを用意した時点で、ラブコメをやるしかない。そのために全力を注ぐ。
ラブコメをやる気がないなら、シリアスをやれるだけの設定の強度を損なうようなハーレム女なんかハナから出すべきではないのだ。
「シリアスよりもラブコメ、設定よりも女」というこの哲学こそけんぷファーの再発明したハーレムアニメ救いの手である。
この哲学に基づいて完成されたけんぷファーは決して「糞アニメ」なんかではない! よくけんぷは糞糞言われるので言っておく。
けんぷファーはハーレムラブコメアニメとして超高度に志向された傑作であり、そのために「普通の作品」が要求する設定の回収の放棄を英断したのだ。ラブコメには必要ないからね。
「真面目に設定を回収するアニメこそ良いアニメであり、そこから外れたら糞」などという古臭い黴の生えた考え方は、ハーレムアニメの本質であるラブコメを退け、作品を腐らせる。
そのような見方でハーレムアニメを、けんぷファーを見てはいけない。いやだってさ、きみ、「トトロってロボットが出てこないからガンダムより下だよね」とか言うか?
「けんぷファーは設定回収してないから糞アニメだよね」なーんて言ってしまうのは、その糞理屈と同じバカの妄言なんだよ!
けんぷファーはハーレムアニメの傑作、傑作なのだ。