09/11/29 16:25:27 0U5ChALD0
>>292
初期の日本フットボールリーグはクラブ数が10~12クラブで、今とそのまま比較するのは難しいけど、
2001年シーズン前の推薦方式での拡大で、一気に16クラブ制にまで増えたから、
比較するとしたらこれ以降だと思う。
2000年度決勝大会後2クラブ昇格→2001年度JFL(16クラブ制) 4位 ・ 6位 (※推薦昇格3クラブ 8位・12位・16位)
2001年度決勝大会後2クラブ昇格→2002年度JFL(18クラブ制) 9位 ・18位
2002年度決勝大会後1クラブ昇格→2003年度JFL(16クラブ制)15位
これで見ると、決勝大会突破の翌年すぐにJFL下位に沈んでいるクラブが、2005年度JFL以外にも実際に出てる。
特に、2002年度JFLの18位クラブは、クラブ経営そのものが立ち行かないほどの状態だったというのは、有名な話でしょう。
その一方、話に出てる2004年度決勝大会で敗退したクラブが実際そんなに弱いのかというと、必ずしもそうではない。
狭山は1999年度決勝大会3位、高知は2001年度決勝大会3位、静岡は2002年度決勝大会3位・2003年度決勝大会3位だよ。
特に、2001年決勝大会の高知は、2位との差が「総得点1点分」しか無かったくらいだから。
その後、そのときの決勝大会2位クラブが2002年JFL加盟後どうなったかは、上で書いたとおりだし。
勿体ないことこの上ない話だ。