J( '-`)しat NEWS4VIP
J( '-`)し - 暇つぶし2ch850:笑顔1/2
10/03/28 17:50:05.14 5QN3FIgZ0
もう五年前ぐらいの話かな。
人前ではほとんど泣いたことのない俺が、生涯で一番泣いたのはお袋が死んだ時だった。

お袋は元々ちょっとアタマが弱くて、よく家族を困らせていた。
思春期の俺は、普通とは違う母親がむかついて邪険に扱っていた。
非道いとは自分なりに認めてはいたが、生理的に許せなかった。
高校を出て家を離れた俺は、そんな母親の顔を見ないで大人になった。
その間実家に帰ったのは3年に1回程度だった。

俺もいい大人になり、それなりの家庭を持つようになったある日、
お袋が危篤だと聞き急いで病院に駆けつけた。
意識が朦朧として、長患いのため痩せ衰えた母親を見ても、
幼少期の悪い印象が強くあまり悲しみも感じなかった。

851:笑顔2/2
10/03/28 17:51:03.77 5QN3FIgZ0
そんな母親が臨終の際、俺の手を弱々しく握りこう言った。
「ダメなおかあさんでごめんね」
精神薄弱のお袋の口から出るにはあまりにも現実離れした言葉だった。
「うそだろ?いまさらそんなこといわないでくれよ!」
間もなくお袋は逝った。
その後葬式の手配やらなんやらで不眠不休で動き回り、
お袋が逝ってから丸一日過ぎた真夜中のこと。
家族全員でお袋の私物を整理していた折、一枚の写真が出てきた。
かなり色褪せた何十年も前の家族の写真。
まだ俺がお袋を純粋に大好きだった頃。みな幸せそうに笑っている。
裏には下手な字(お袋は字が下手だった)で家族の名前と当時の年齢が書いてあった。
それを見た途端、なぜだか泣けてきた。それも大きな嗚咽交じりに。
いい大人がおえっおえっ泣いてる姿はとても見苦しい。自制しようとした。
でも止めど無く涙が出てきた。どうしようもなく涙が出てきた。

(俺は救いようがない親不孝ものだ。格好なんて気にすべきじゃなかった。
やり直せるならやり直したい。でもお袋はもういない。
後悔先に立たず、とはまさにこれのことだったんだ。)

その時、妹の声がした。
「お母さん、笑ってる!」
皆布団に横たわる母親に注目した。
決して安らかな死に顔ではなかったはずなのに、表情が落ち着いている。
うっすら笑みを浮かべているようにさえ見えた。
「みんな悲しいってよ、お袋・・・。一人じゃないんだよ・・・」
気がつくと、そこにいた家族全員が泣いていた。

・・・あれから俺はことあるごとに両親は大切にしろと皆に言っています。
これを読んだ皆さんも、ご健在であるならばぜひご両親を大切にしてほしい。
でないと、俺のようにとんでもない親不孝ものになっちゃうよ・・・。

852:バーチャンの煮物1/2
10/03/28 17:59:38.54 5QN3FIgZ0
漏れは昔ばあちゃん子だった。
両親が共働きだったので
保育園の送迎バスの見送り・出迎えはいつもばあちゃんだった。
その頃は両親と過ごす時間よりも
ばあちゃんと過ごす時間の方が長かった気がする。
けれど高校に入った頃から、ばあちゃんの年寄りくささというか
かもし出す雰囲気そのものに嫌気がさし、無視し続けるようになった。

学校が週休二日制になり、土曜日の昼食はいつもばあちゃんが作ってくれていた。
ほとんどいつも煮物で、それがあまり好きではなかったから
出勤前の母親に、「弁当作るか昼食代くれ。」と言っていたが
母親は「おばあちゃんはお前にご飯作ってやるのも1つの生き甲斐なんだから。」
と取り合ってくれなかった。
最初の頃は、ばあちゃんが部屋まで昼食を運んでくれても
口を付けず放って置いたが
「食べないと勉強に身が入らんよ。」などと注意してくるのがウザくて
最近では、「後で食べるからそこらへんに置いといて。」と言って
ばあちゃんが部屋を出て行った後、
新聞紙にくるんだりビニール袋に入れてごみ箱に捨てていた。
ばあちゃんが食器を下げに来た時
「きれいに食べとる。」と嬉しそうに笑うのを見て
少々胸にチクっと来るものがあったが、その後も昼食を口にすることはなかった。

853:バーチャンの煮物2/2
10/03/28 18:00:19.39 5QN3FIgZ0
先日ばあちゃんが亡くなった。
脳溢血だった。
ついこの間まで元気に農作業していたのに。
台所に立ってご飯作っていたのに。
この前の里芋と昆布の煮物食べてやればよかった。
もっと話もしてやればよかった。
でももう二度とばあちゃんの料理は食べれないし、話もできない。

葬式のとき、家族や親戚の前ではみっともなくて泣けなかったが
今このスレを全部読んで無性に泣けてきた。
ごめんばあちゃん、ごめんな。

854:最後のカレー
10/03/28 18:03:11.68 5QN3FIgZ0
母親が俺が小2の頃、子宮ガンで入院する事になった。
母親が家を出る前日に作った最後の夕食がカレーだった。
俺はガキだったから、子宮ガンがそんなに怖い病気だなんて知らなかった。
母親は一ヶ月もしたら帰ってこれると思ってたし。

でも、もう帰ってくる事はなかった。
不思議なもんで、そのカレー以外の母親の料理の味って一切覚えてない。
母親と一緒に食事する姿もそのカレー食ってる場面だけ。
と言っても、母親は食欲なんて既になくて、ただ俺がカレー食ってるのを
何とも言いがたい、悲しそうな表情で見てるだけ。
「あしたもちゃんとレンジで温めて食べるんだよ。お母さん、明日朝早く行かないといけないんだからね。」
それが、家で聞いた最後の母親の言葉だったと思う。

小2の夏休み、8月に入ってまもなく、母親が死んだ。
親戚も近くにいないし、兄弟もいない。親父は元々忙しい人だったから、いつも帰りは遅い。
それでも俺はガキなりに家事を覚えて、料理も簡単なものなら何でも出来るようになった。
でも、カレーだけは作らなかった。大鍋でカレーでも作っておけば楽なのにも関わらず。
なぜなら、母親が最後のカレーを作ってた時、俺が手伝おうとして鍋を焦がしてしまい、
母親に怒られたのを思い出すから。それが母親に怒られた最後の記憶。
以来、カレーは外でしか食いません。

855:849続き
10/03/28 18:03:13.94 bwbXPWs00
その年の冬、私は冬休み中で母の病院に泊まっていた。
だが、母が痛みを訴えてきた。
看護婦さんを読んでも何もされず、母はずっと痛い・・・痛い・・・と唸っていた。
その日私は眠れず、そのイライラを母にぶつけてしまった。

次の日も母の痛みはおさまらなかった。
母は今日も泊まって欲しいと私に言ってきたが、一晩中寝ずに看病していた私は正直家に家に帰りたかった。

だから「宿題があるから」と母をおいて病室をでてしまった。
病室の扉が閉まって2、3歩あるくと、ものすごい勢いで後ろ髪を引かれた。
振り返って見たが何もない。
ただ体が病室に引っ張られている感覚だった。
私は残ろうか・・・と思ったが、また一晩中看護しなければならないと考えたら面倒くさくなって迎えの車に飛び乗った。

その二日後、私は友人とマックで夕飯を食べようとしていた。
ハンバーガーを買って席に着くと、父から電話があった。
「お母さんが危ないかもしれない」
私はその一言でハンバーガーを友人に私店を飛び出して病院に向かった。
病室には父と兄がいた。
母は心臓は動いているものの、しゃべれなくなっていた。
だが、どこかで私は母が死ぬわけないと考えていた。
今までもちゃんと回復した。今回だって・・・。
だから私は母に何も言わなかった。
だって言う必要がないと思っていたから。
だが1月10日。0時20分。
母が死んだ。


856:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
10/03/28 18:04:09.78 bwbXPWs00
一番最初に父が泣いた。
そして兄が泣いた。
私は1分ぐらい状況が理解できなかった。
そんな私の手を父が引いて母に触れさせた。
そこには次第になくなっていく母の体温があった。
私はその時初めて母が死んだ事を理解して泣いた。
同時に後悔もした。
数日前のあの後ろ髪を引かれた時戻っていれば。
面倒くさがらずにそばについていてあげれば。
それよりも私は母に最後の最後まで「ありがとう」といっていない事に後悔した。
私はそれから丸一日中泣いた。
泣きつかれて丸一日中寝た。
目を覚ました時見たのは私を囲んでみている親戚と父の顔だった。
父曰く、私も「母の後を追ってしまったんじゃないかと思った」と言われた。


188 :癒されたい名無しさん:2009/08/01(土) 05:59:38 ID:6k57Jc99
それから葬式、通夜などでばたばたしていた事。学校の友達が私のために泣いていたこと以外覚えていない。

ある日、母の遺留品を整理していると、何十冊ものノートがでてきた。
その中はすべて私と兄の事が書かれていた。
「今日は美咲と喧嘩した。娘には感謝しても仕切れないのに、それをたまに忘れてたくさんの事を頼んでしまう。もっと自分でやるように努力しなければ」
「今日は美咲と外を散歩した。私は車いすだったけど久しぶりの外は楽しかった。いつか自分の足で歩きたい」



857:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
10/03/28 18:05:12.34 bwbXPWs00
私はそれを涙を流しながらすべて読んだ。
母は自分の死期を感じていたのだろう。最後に私と兄にあてたメッセージが書かれていた。

美咲へ
まず、だめな母親でごめんね?
いつもあなたにばかり頼ってしまって、あなたの負担になってしまってごめんね?
本当はもっと一緒に買い物したり、おいしいもの食べたりしたかった。
何よりあなたの花嫁姿が見たかった。 欲をいうなら孫も見たかった。
あなたといられた時間は他の誰より短かったけど、私にはあなたが一番大事でした。
だってあなたは私が命をかけて産んだ子ですもの。
いつかあなたにこのことで酷い事を言ってしまったわね。
本当にごめんなさい。
本当はあんな事思っていなかったの。
何度誤っても足りないわ。
ごめんなさい。
私はあなたを産んだことを後悔した日なんて一日もありません。
美咲、こんな駄目な母親なのに一緒にいてくれてありがとう。
いつも私のそばでそのかわいい笑顔を見せてくれてありがとう。
何より、私のところに産まれてきてくれてありがとう。
愛しています。
                    母より

このページだけ私の涙と母の残した涙でよれよれになってしまいました。
今は高校にも進学して充実した毎日を送っています。
この1年ほどで夢に母が2回ほどでてきました。
夢の中の母は変わらず笑顔で私の頭をなでてくれました。
たとえそれが夢でも私には励みになりました。
最後ですが私もお母さんのところに産まれてきてよかったです。
産んでくれてありがとう。
長文すみません。ありがとうございました。

858:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
10/03/28 18:08:07.42 wUZafb9a0
こんなの読んだら…
1人暮らしで助走にはまってる場合じゃないって思えてきた…


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