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>>751
『日本書紀』
「沙門道行、草薙剣を盗みて新羅に逃げ向く。而して中路にて雨風荒れ、迷いて帰る」
それとは別に冠位について少し
一から三位まではそれぞれ正従二冠位。
四位以下は正上下、従上下それぞれ四冠位ある。
従五位下以上が昇殿資格を持ついわゆる殿上人。(貴族の子弟などの六位の蔵人{くらんど、皇族・大貴族の付き人・秘書}は特例で昇殿)そして六位以下は地下人。
つまり「従五位下はとても限られた偉い冠位」
摂関家の子息、臣籍降下した皇子に与えられる最初の冠位が従五位下。
平家台頭前の源平武士や、安倍晴明などでも極官が四位。
藤原北家のほんの一部のみが任官時から殿上人、他の貴族は基本、地下人からスタートするのだ。
ちなみに三位以上が公卿と呼ばれ(四位の参議も公卿)、参議は唐名で宰相と呼ばれた。
参議を長らく務めた者が従三位中納言になり。中納言の唐名が黄門と呼ばれた。
時代により若干違うが、大体こんなところ。