10/05/02 20:08:23
Yさん、先日は長電話をしてしまい、失礼しました。
1910年に日本が韓国を植民地にしてから、今年で100年になります。
節目の年にYさんの祖国を久々に取材してみたいと思い、最近の様子をうかがった次第です。
Yさんが長野市の松代大本営跡の見学に来たのが1990年。早いものであれから20年です。
この間、濃淡はあるものの韓国の戦争被害を取材したり、友人たちと情報交換をしたりしてきました。
限られた体験ですが、日韓の距離が近くなったと実感する半面、ある面では溝が広がっているのではとの思いもあります。
<「韓流」の定着>
「日韓関係が深まった」と感じるのは、「韓流ブーム」の定着でしょうか。
2002年に韓国で放映された「冬のソナタ」は翌年から日本に上陸し、大人気になったことはご存じの通りです。
「シュリ」や「友へ チング」といった映画も忘れられません。
日本のドラマや映画にはなかった人間関係の描き方や現代史が新鮮に映りました。
近所のレンタルビデオ店に行けば、韓国作品のコーナーが必ずあります。語学講座に通う人たちが増え、
簡単な会話ができるようになったと話す女性たちは周囲に何人もいます。韓国旅行はごく当たり前になりました。
「だからといって、歴史の理解が深まったとはいえないのでは…」。Yさんは先日の電話で、こう言いましたね。
韓流ブーム以前、韓国で日本のアニメや音楽などへの関心が高かったのに比べ、日本では韓国文化への関心はさほどではなかった。
それを考えれば、画期的な変化だと思いませんか。歴史へ理解が広がる好機だと思います。
<加害責任はどこへ>
ただ、気掛かりな点があるのは事実です。
例えば、日本の植民地支配や韓国の戦争被害についての記事に対する読者の反響の変化です。
過去の日本の外交政策を正当化する立場からの声が多くなったと実感しています。
先日も、戦前の「創氏改名」について触れた記事に、「自由意思であり、強制ではなかった」といった反論が寄せられました。
反響は歓迎ですが、都合のいい内向きの解釈や物語が広がっていないか気になるのです。
1991年の秋に韓国を訪ねて、Yさんの通訳で戦争の被害者を何人も取材したときのことを思い出します。
長野県で働かされ、体が不自由になったと話す男性、旧日本軍に徴用されて犠牲となった夫への思いを語る老婦人、
従軍慰安婦としての体験を語り始めた女性、在韓被爆者…。
信濃毎日新聞 韓国と日本 いつ「友達」と呼べるのか 5月2日(日)
URLリンク(www.shinmai.co.jp)
>>2以降に続く