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【萬物相】ポーランドとロシア…同じ時代に似たような経験をした韓国は悲しみを分かち合うべきだろう [10/04/12] - 暇つぶし2ch1:星空φ ★
10/04/12 11:53:39
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今月10日、ポーランドのレフ・カチンスキ大統領夫妻や政府高官らが乗った飛行機が、ロシア西部のスモレンスク北飛行場の近くに墜落した。
大統領らは1940年に起こった「カティンの森事件」の犠牲者の追悼式典に参列するため、事件現場へ向かう途中で事故に遭ったもので、ポーランドとロシアの歴史に残る深い傷を呼び覚ますことになった。

39年8月、ソ連はナチス・ドイツと不可侵条約を締結、ポーランドを分割占領することで合意し、翌月にポーランドへ侵攻した。そして翌40年3月、ソ連の最高指導者スターリンは、ポーランドを掌握するため、捕虜にしていたポーランド軍の将校らを殺害することを決めた。

スターリンは共産政権を嫌う指導者層も抹殺することを決めた。1カ月後、ソ連はポーランドの将校だけでなく、医師や大学教授、ジャーナリストなど約2万2000人を、ロシアの古都スモレンスクにあるカティンの森へ連行し、虐殺した。

この事件は43年、ドイツ軍が約4000体の遺体を発見したことで、世間に知られることになった。「ナチス・ドイツの犯行だ」と主張していたソ連は、90年になってソ連軍の介入を認めたが、「国家として責任を取るべきものではない」との見解を示した。

1772年、ロシア帝国とプロイセン王国、ハプスブルク君主国 (オーストリア) によって分割されたポーランドは、1795年から1918年まで、ロシアの支配下に置かれた。

1867年にポーランドで生まれたマリ・キュリー (キュリー夫人) は、「マリア・スクウォドフスカ」というロシア式の名前を名乗らなければならなかった。昨年、第2次世界大戦のぼっ発から70年を迎え、ポーランドとロシアは歴史をめぐって攻防を繰り広げた。

1939年、ソ連と不可侵条約を締結したナチス・ドイツは9月1日に、またソ連も同17日にポーランドへ侵攻した。
ポーランドは昨年、独ソ不可侵条約の締結について謝罪するよう求めたが、ロシア政府は「ヒトラーとスターリンの間で結ばれた条約について、責任を取ることはできない」と主張した。

日本の植民地時代の初期、韓国ではポーランドを「波蘭」と呼んだ。「波蘭の人も大韓の人も、国を失った涙の友だ」。1914年に米国で発行された「新韓民報」は、当時の韓国とポーランドが置かれた立場について世界へ訴えた。

また、「落ち葉はポーランド亡命政府の紙幣」という表現で始まる、金光均 (キム・グァンギュン) =1914-93= の『秋日抒情』にも、同じ弱小民族に対する憐憫 (れんびん) の情が表現されている。

ポーランドのカチンスキ大統領は、今月7日にロシア政府が開いた、「カティンの森事件」70周年慰霊式典に参列できなかった。ロシア政府が招待しなかったためだ。

それでもカチンスキ大統領は、大統領として歴史を直視し、責任を果たそうと事件現場へ向かい、帰らぬ人となってしまった。同じ時代に似たような経験をした韓国としては、今ポーランド人たちが直面する悲しみを分かち合うべきだろう。

■ソース
【萬物相】ポーランドとロシア
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