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日本で最も古い歴史書「古事記」と「日本書紀」には実在しなかった天皇(日王)9人が登場する。第
1代神武から9代開化までだ。日本はなぜ架空の王たちを作り出したのだろうか。3世紀古代日本
を支配した新羅系崇神王朝と5世紀始めから支配した百済系仁徳王朝の存在を隠して自分たち
が当時、先進強国であったという理論的根拠を作るために建国時期を引き上げたのだ。この歪曲
は最近、韓日歴史共同研究委員会が廃棄することにしたという「任那日本府説」の根元でもある。
事実、任那日本府説は日本が侵略行為を正当化するために試みた組織的で有機的な歴史歪曲
の一部に過ぎない。従って一部の日本学者らが任那日本府説を引っ込めたからといって日本が
古代史全般にわたった歪曲を正したと見るのは錯覚だ。論議はまだ終わっていない。日本が歴史
を歪曲するのはコンプレックスのせいだ。大東亜共栄圏をうち出してアジア経営を夢見た彼らは、
自分たちの主流が韓半島に由来したことを認めたくなかった。そのため、彼らは私たちの歴史を
大陸ではなく半島に限定させようとしたし、私たちの歴史の起源を低くして、高句麗、百済、新羅
を縮小させた。これを通じて日本は壬辰倭乱と韓国強制併合という歴史的必然を用意しようと考
えたのだ。日本が歴史を歪曲した主要事例を紹介する。
◆神功皇后が新羅を征伐した?
神功皇后は日本人が最も誇らしいと考える人物の一人だ。「日本書紀」には神功皇后が3世紀中
ば、新羅を征伐して新羅国王を降参させ、まもなく高句麗と百済も降参をしたと記述されている。こ
の征伐論は最近廃棄された「任那日本府説」の根拠であり軍国主義者などが韓半島を侵略する
重要論理に利用されたこともある。
問題は「日本書紀」の他にどこにもこのような征伐の根拠はないところにある。むしろ他の歴史資
料は神功皇后が架空の人物であるとか歪曲された人物であるという事実を見せる。事実、日本の
学者にも神功皇后が虚偽の記録であることを取り上げ論じた人が多い。早稲田大歴史学教授の
津田左右吉はすでに20世紀始めに「歴史記述に新羅と戦争をした記録が全くなく、戦闘もしなか
った百済と高句麗が降参したなど話にもならない。地理的な知識も欠如している」として新羅侵攻
説を否定した。より一層重要な事実は新羅王が降参する時に言ったという言葉の中に「日本」や
「天皇」という単語が入っているが、実際のところ、当時はこうした呼称は存在さえしなかったという。
◆広開土大王碑毀損の真実は?
広開土大王碑には「而倭以辛卯年来渡海破百残○○○新羅以為臣民」という一節がある。これを
日本学者らは「倭が辛卯年に海を渡ってきて百済と○○○し、新羅を撃破して臣民とした」と解釈
した。光復(解放)になるやチョン・インボ、パク・シヒョンなど韓国、北朝鮮の学者らがこの碑文解
釈を歪曲だと主張した。これらは前後の文章と関連性が不足して、主語の高句麗が省略されてお
り、倭という単語を目的語とみるべきだという理論などにより、高句麗が新羅、百済、倭を全部撃
破した広開土大王の業績を記述したものと主張した。北朝鮮の学者らも高句麗軍が陸路を通じて
百済を攻撃したのではなく、水軍を動員して「倭」本国の百済を打ったものと解釈した。
そうしている間1972年李進煕という在日史学者がサエキ・ユウキという日本軍人が日帝の時、碑
文を修正したと主張した。李進煕は「来渡海破」4字が操作された字なので既存の解釈は全部妥
当でないと主張した。彼は日帝が広開土大王碑文に石灰を塗ったことがあるという事実を取り上
げ論じて日本側の解釈を論駁した。この論議はまだ現在進行形だ。碑文内容が任那日本府説を
はじめとする多くの韓日古代史論争と深い関連性を持っており、操作可否をめぐり尖い対立が続
いている。
(続きは>>2-5のあたり)
ソース:毎日経済(韓国語) [WEEKEND毎経]日本歴史歪曲の歴史
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