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21世紀はじめ、東アジア文明圏の話題は孔子の復活だ。1919年5・4運動と1960年代文化革命
時期、打倒の対象だった孔子店をわずか30余年で21世紀東アジア文明のアイコンに再解釈して
いる中国を私たちはどのように認識すべきだろうか?過去、韓国人の歴史の中に明らかになった
孔子と儒教の様相を調べることによって解答の端緒を模索しようと思う。
今日、韓国儒教の根源について互いに対立する見解がある。一つは孔子以前に儒教を形成した
背景としての上古代思想、いわゆる夏・殷・周三代を継承した原始思想がすでに我が民族に存在
したという主張だ。すなわち儒教思想の原始的形態が我が民族の根元の東夷族から源を発する
というリュ・スングクの主張と箕子東来説に基づいて「(中国ではなく)朝鮮が儒教の祖宗」と主張す
るチャン・ジヨンの説がそれだ。しかし、イ・ビョンドは箕子東来説を否定して中国秦漢時期の儒教
が漢四郡を通じて伝来したとし、イ・キベクは韓国儒教の起源を主体的に受け入れの観点で見な
ければならない、といって三国時代に律令を頒布して太学を設立したのがそれだと主張した。
儒教が韓国歴史で実質的に機能したのは三国時代で、その特徴は以下のようだ。高句麗小樹林
王2年(紀元後372年)に太学が設立され、律令が頒布されたことは高句麗が儒教の受け入れを
通じて古代国家の体制を整えたことを示唆する。また新羅儒教はキム・ユシンと同じ花郎らが「道
義で互いに練磨した」とか、真興王巡幸碑で発見される「私自身を磨くことによって民を心安らか
にする」(修己以安百姓)は論語の一節でその特徴を発見することができる。百済の場合、私たち
は王仁博士が論語と千字文を日本に伝えた記録を通じて発展した文明としての儒教の意味を発
見できる。
これで見れば、三国時代の儒教は発展した文明体系、すなわち古代国家の政治制度と支配階層
の倫理意識または義理と道義という自分の修養、または共同体のリーダーシップとして機能した
ことが分かる。
(中略=韓国儒教の歴史)
そして19世紀後半、日帝の侵奪による朝鮮の政治的不安と国権の喪失は儒教に対する極端な
様相を示す。一つは儒教の否定につながった開化思想の登場で、他の一つは儒教をより一層理
念化して実践化した斥邪衛正運動および孔教運動すなわち儒教の宗教化運動がそれだ。しかし、
儒教の教祖化と近代化の前提条件の民主化と科学化の欠如は儒教の宗教化をむなしいスロー
ガンにした。
今日、私たちにとって儒教が吹聴した道徳的人格と家族共同体の情緒が必要であることは明らか
な事実なようだ。儒教の価値はむしろ西洋の知識人らから注目されている。儒教の強い道徳的信
念と万物一切の自然観は現代の生態哲学に深い印象を残している。そして儒教は資本主義の疎
外された人間を治癒できる哲学と解釈されている。そのため、私たちは儒教が理念や宗教を超越
した世界の普遍倫理を構築する土台として注目されることを期待する。儒教が単に伝統文化のア
イコンあるいは中国が東アジア文明の宗主を回復するための道具に転落する前の話だ。
ソース:中央日報(韓国語) [孔子の復活]孔子と儒教、韓国史の中の名残
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