10/03/18 18:14:50
位置にあったのか雄弁に語る言葉だ。
春休みを迎え慶南国学院所属の弘益教師と子供、学生ら35人が4泊5日で日本の中の私たち
の文化を探す歴史紀行に行った。(中略)
初日は壬辰倭乱の元凶豊臣の朝鮮出兵前進基地、名護屋城跡と朝鮮の先進文化、文化財の中
で陶磁器に魅了されて多くの陶工を強制的に連れてきて世界的な磁器強国になったが、その中
で李三平を祭った神社に参拝、広島に続き1945年8月9日11時2分に第二の原子爆弾が投下
された長崎平和公園に行った。(中略=公園の風景)
長崎市の被爆50周年記念事業の一つで1996年4月に開館した原爆資料館に入ると、言葉にな
らない奇妙な感じがした。入口に11時2分に止まったゆがんだ時計、熱気でビンが溶けた写真、
被爆の惨状を見せる様々な写真の展示をはじめとして原爆が投下された経緯と核兵器開発の歴史、
平和を渇望する多様な象徴物が展示されていた。特に核を保有した国の中から日本が抜けてお
り、日本の腹黒さを感じさせた。
長崎は広島に続き二番目に原爆投下され、都市中心部が大部分破壊された。 だが本来はそこ
が目標ではなく造船所と港、軍需工場に投下しろと命令されたが、気象条件が合わずにこちらに
爆弾を投下したという。それを聞いた学生たちからは多様な意見が出てきた。
歴史は冷静に判断して反省を
大学に入学予定のキム・ジョンホ君は命令を破って自分勝手に長崎を選定し、投下した米軍はそ
の時どんな気持ちであり、キノコのような雲がわき上がった時、どんな感じを受け、我が国を含む
多数の原爆被害者が自分の一生はもちろん、二世まで代を継いで苦痛の毎日を送る現実を見る
時、またどんな感情をおきるのか気になるといった。
慶南大学生キム・ダウン君は、結局は日本の誤りでこういう被害を受けることになったが、どこに
も反省するという文章が見つからなかったし、ただ原爆を投下した米国を元凶と問い詰める感じを
受けたといった。平和公園や資料館を見る日本人はどんな教訓を感じるのか気になったというの
で、日本人たちはそれほど歴史に関心がない、というと心を痛めていた。
1989年即位した明仁日王は2001年12月23日、私の身体には韓国人の血が流れていると告白
した。今回の歴史紀行を通じて歴史は誰かの都合によって解釈してはならず、第三者の立場で正
確、冷静な判断の下で反省し、共生する地球人として新たに出発しなければならないという教訓を
得た。
キム・スゴン(密陽東明高教師)
ソース:(韓国語) [寄稿]日本の中の韓国の文化歴史紀行
URLリンク(www.idomin.com)
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★1の時間 2010/03/17(水) 21:33:27