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>>822
鄭大均 朝鮮語に潜む日本語
1946年6月、文教部は教育、文学、言論、出版各界の学識経験者128名から
なる「国語浄化委員会」を発足させ、「倭色用語」(浄化の対象となる日本語系借用
語に対する一般的呼称)の選び出しと置きかえ語の検討に着手する。(略)
それによると浄化の対象となるのは一切の「日本語」(和語、漢語)であり、古語
の現代語化、固有語の漢語への優先、造語の推進といった原則にも触れられている。
一部日本語経由の外来語も浄化の対象に含まれているようである。
だが、こうした原則と実践との間には大きなズレがあったし、原則どおりに実践さ
れたものの中にも効力を発揮することができなかった例が多い。
ここではまず、浄化の対象とされた語彙の性格を知るために、置きかえ語934語
の中から、ア行のみを取り出してみることにする。
相変わらず、合図、相手、あいなりしかるべきや、曖昧、青二才、赤字、あきらめる、
悪魔、上げ潮、明け渡し、当たる、当たり前、あっさり、誂える、宛、宛先、・・・
以上は解放から独立へと向かうどさくさの時代の日本語である。(略)
バイリンガリズムからモノリンガリズムへの移行期に見られる特徴というべきか、
名詞のみならず、動詞や形容詞が含まれているのも注目に値する。(略)
しかし、「あいなりしかるべきや」のような和語系の語彙よりは、「運転」「映
画」「鉛筆」のような日本製漢語のほうが日常的には多用されていると思われるのだ
が、こうした語彙がリストアップされていないのはなぜだろうか。(略)
ここには何か他の基準も作用しているように思われるのだが、それはおそらくは和
語系語彙の有徴性(日本語らしさ=倭色)と関係があるのではないだろうか。
「運転」「映画」「鉛筆」のような語彙は、日本製漢語であり日常語であるから、
「倭色用語」と規定されておかしくない。だがこの種の漢語は韓国語で字音化して、
ウンジュン、ヨンファ、ヨンピルと読まれると、「日本語」らしさを消してしまう。
(略)
和語系の語彙は二種類の語彙があって、一つは「明渡(ミョンド)」「入口(イプ
ク)」「売渡(メド)」のように字音化して漢字語に組み入れられる無徴化可能の語
彙であり、もう一つは「あっさり」や「いんちき」のように字音化に馴染まないがゆ
えに、原音=日本語らしさが残る語彙である。(略)
「倭色用語」の選定に見てとれるのは、「日本語」のミニマム化(minimization
最小化)という態度である。
膨大な数の日本語系語詞や表現法をすべて追放するというのは土台無理な話であ
る。そこで編み出されたのが、ごく一部の「日本語」のみを取り出して「倭色用語」
という烙印を押すというミニマム化の方法であり、これは人々に「倭色用語」のみが
「日本語」であるという錯覚を生み出すとともに、その周縁に広大な無意識空間を作
り出すものでもあった。
換言すれば、ミニマム化とは、一切の「日本語」の追放や排除を謳いながらも、実
は、膨大な数の「日本語」を受容するための方法であり、このような方法は「言葉の
とりもどし」以降の浄化運動にも継承されていくようになる。(略)
「日本と韓国語は似ていますね」という奴は、とんでもない勘違いをしている。
近代になってから、日本語がどっと朝鮮語の中に流入したのだ。