10/03/11 15:33:01 bhvswWJm
>>232
崔基鎬氏は、ご本人が徴用応募者で経験者、その著書は多く、
その中で、当時の朝鮮で「募集徴用」に合格採用された朝鮮人、
また、その一家、本人、親戚、教師らが大喜びする例が多数出てますよ。
>日韓併合 韓民族を救った「日帝36 年」の真実 祥伝社 (2004/09)
崔基鎬
たとえば、忠清南道で実施された徴用の例でいうと、
公州・扶余・論山・青陽・舒川などに、北海道札幌の三菱手稲鉱業所から、
約1000 名の鉱夫募集があった。
ところが応募者数は約7000 名にのぼったために、次のような採用考査が施行された。
(略)
こうして厳選された約1000 名は、輸送船(5000トン級)で翌日の夕刻函館港に着いた。
→採用者(徴用者)たちは歓喜に溢れ、船内では全員歌舞に耽って、元気旺盛そのものであり、
手稲鉱業所への就業後も、休祭日は自由に札幌市内に繰り出し、ショッピングはもとより銭函湾での船遊びまで楽しんだ。
多くの青年たちは、札幌の市内観光や大門通りの遊郭回りに憩いを求め、
一部は淋病や梅毒に感染し、中には局部の切開手術を受ける者もあって、
監督機関では性病対策に苦慮して衛生サックを配るなどした(休暇中の公傷は全額支給)。
このような徴用の光景は、1945 年まで毎年見られた。
(略)
→待遇は、一般の事務職よりも約三倍程度高額の給与が与えられ、
月平均給与額は120 円程度。作業はほとんど採鉱器を活用、削岩機・ドリル・トロッコが使われた。
→重複勤務の希望者が多く、八時間制の三交替で一般的傾向として月間約10 日、
または15 日が重複勤務の場合、割増金を合計すると、月間180 円から220 円の支給額となったから、
事務職、または本籍地の労働者の、約四倍ないし五倍以上の厚遇であった。
(略)
一般の独身者には、寮などが無料で提供され、
世帯持ちにはとくに独立の平屋建てが一戸ずつ提供されたから、
→本籍地または現地の未婚女性たちの結婚相手としても人気があったのは当然であった。
注釈)「本籍地」は朝鮮、「現地」は日本を指している
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