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■日本の韓国文化財
日本が文化財に向ける関心と誠意は特別だ。発掘や保存、復元などでは寸分の誤差や失敗も
容認しないことで有名だ。忠清南道とも活発な交流を行っている奈良県は、今年始まった平城
遷都1300年記念行事のために、古都の宮殿である大極殿の復元に15年をかけた。工事費だけ
でも2000億ウォン以上が投入された。基礎しか残っていない宮殿の復元のため、韓国はもちろん
中国の古代建築物と壁画も参考にした。復元期間が長くかかっても伝統工法を徹底して使用し、
現代工法と材料は耐震設計や施工など、ごく一部にしか用いなかった。
大阪市の中心にある百済寺跡は、日本屈指の百済系遺跡だ。この史跡は1952年に日本政府に
よって特別史跡に指定された。 百済寺跡には金堂と東塔、石塔、中門、西門などの位置と、その
雄大な規模を示す基礎が残っている。ところが日本政府はこの史跡の発掘を行わず、やっと2005
年に開始した。発掘作業も、一瀉千里でなされる我が国とは違い、ごく一部が進められただけの
遅々たる歩みだ。日本国内で百済系の史跡が発掘されることに対する警戒もあるが、遺跡発掘
に対して非常に慎重な日本の容貌を垣間見せている。
奈良県天理市の石上神宮には、韓日古代史の最も記念碑的な遺物である七支刀が所蔵されて
いる。この七支刀が所蔵された収蔵庫は、まるで堅固な装甲車のようだ。収蔵庫はわずか20㎡
程度の規模だが、地震に備えて直径30cmの柱が16個も支えている。壁面はコンクリートと鉄板
で出来ており、外部の人の接近も徹底的に統制されている。
日本人の文化財に対する誠心誠意は、一方で執着とも見られる。日帝時代に日本が韓国から
略奪して行った文化財は6万1409点に達すると調査された。1965年の韓日文化協定によって
1300点余りが韓国に引き渡されて以降、日本の文化財返還は沈黙で一貫している。今年の
三一節は国権喪失100周年になる年という点で、いっそう意義深い。そのためか、日本が略奪
して行った文化財の還収に対する国民的関心が、いつになく熱く起きている。だが、自国の文化
財に対する発掘と復元、保存には特別な誠意を見せる日本は、韓国の文化財還収に対しては
前向きの態度を見せないでいる。文化財に対する日本の二つの顔は60年間変わらないでいる。
日本王室の宝物倉庫である奈良県東大寺の正倉院には、果たしてどんな韓国文化財が隠され
ているのだろうか。
▽ソース:大田日報(韓国語)
URLリンク(www.daejonilbo.com)
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