10/02/17 07:08:43
金嬉老事件:現場の旅館に資料館…戦後史に残る劇場型犯罪
金嬉老事件の資料館をオープンする「ふじみや旅館」=網谷隆司郎撮影
URLリンク(mainichi.jp)
事件当時の「ふじみや旅館」=1968年2月22日
URLリンク(mainichi.jp)
1968年2月に暴力団員ら2人を殺害した容疑者が、静岡県川根本町の
寸又峡(すまたきょう)温泉の旅館に5日間立てこもった「金嬉老(きんきろう)事件」。
在日韓国人2世だった金嬉老元受刑囚(81)が記者らを招き入れて在日差別を糾弾するなど、
初の「劇場型犯罪」として戦後史に刻まれている。20日で事件から42年がたつのを機に、
現場となった旅館の女将(おかみ)、望月英子さん(71)が館内に資料を展示し、
一般公開する決意を固めた。【網谷隆司郎】
◇昭和の特異な事件、忘れまい
「怖かった。もう忘れたいと何度も思った」
宿泊客11人、家族4人と共に人質になった「ふじみや旅館」の望月さん。
元受刑囚のライフル銃とダイナマイトにおびえた。3日目に子供らと解放されたが、
残された人質のために母屋と旅館を往復、食事の世話を続ける女将根性を見せた。
「後味の悪い事件で長年、封印してきたが、風化させてはならないというご意見をいただいた。
昭和の特異な事件を次代へ引き継ぐことも当事者の責務と考えた」というのが開館理由だ。
資料は当時の新聞・雑誌のスクラップや写真類、韓国人僧侶からの感謝状など約200点。
1階の大広間に並べた。今では塗り込められて見えないが、「罪もないこの家に大変迷惑を
掛けたことを心からお詫(わ)びします。この責任は自分の死によって詫びます。
お母さん不幸(不孝の誤字)をお許しください」と書いた壁の前に立つ本人の写真もある。
一昨年11月、望月さんはテレビ朝日の報道番組で、インタビューに答える金嬉老元受刑囚を見た。
「元気そうでしたね」と皮肉っぽく語る。元受刑囚は75年に無期懲役が確定、
99年に強制送還を条件に仮出所して以来、韓国で生活しているが、
旅館には「何の音信もありません」という。
◇地元に賛否の声
12軒からなる地元の寸又峡温泉にも「今さら事件には触れないほうが」
「いや、歴史の現場として正面から取り組もう」と賛否の声があるが、
今は「冬のスマタ」キャンペーンを展開中だ。資料館は20日ごろ開館の予定。
大人700円、子供400円。
毎日新聞 2010年2月17日 2時32分(最終更新 2月17日 2時32分)
URLリンク(mainichi.jp)