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[教育コラム]白凡精神と教育者
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▲イ・ホンジャ ソウル師大女子中校長
何年か前の冬、校内の教師20人が中国の上海臨時政府庁舎を訪問した。洗濯物が道端に散在しているみ
ずぼらしい路地をすぎて到着した上海臨時政府庁舎は古い3階建ての家だった。臨時政府の要員らが使っ
た物、彼らの写真、寝具らがよく保存されていた。日帝時代に私たちは他の国の片隅、見るべきものがない
場所に臨時政府を設けて独立を夢見たのだ。そこには金九(キム・グ)先生の執務中の写真もあった。
白凡金九先生は18才の時東学運動に参加するのを始めとして憂国に足を入れることになった。彼が43才に
なった1919年、3・1運動が勃発し、その後白凡は上海へ亡命し、翌月4月13日に臨時政府を設立した。彼の
独立のための努力はその時から本格的に始まった。1932年の李奉昌(イ・ボンチャン)、尹奉吉(ユン・ボンギ
ル)の義挙を指揮し、私たちの力で独立を得るために南京に韓国人武官学校も設置した。1944年には上海
臨時政府の首長になって、ついに1945年の光復(解放)を迎えた。
臨時政府の責任者であった彼が大韓民国の初代大統領になるのは当然に見えた。だが彼は当時列強らの
「政治ゲーム」にまきこまれて力を失うことになった。また難しい状況に置かれていた我が国は臨時政府から
続いた「正統性」という命脈を継続することができなかった。
白凡の「私の願い」の中の一節だ。
「私は我が国が世界で最も美しい国になることを望む。最も富強な国になることを望むのではない。私が他の
侵略に胸が痛かったので我が国が他を侵略するのを願わない。(…)ただ限りなく持ちたいのは高い文化の力
だ。文化の力は我ら自身を幸福にしてひいては他に幸福を与えたためだ。(…)人類が現在不幸な根本の理
由は仁義が不足して愛が不足したためだ。この気持ちだけ発達すれば現在の物質力で20億がみな平安に生
きていけるはずだ。人類のこの精神を培養するのはひとえに文化だ。 私は我が国が他のものを模倣する国
にならずに、このような高くて新しい文化の根源になって模範になることを願う。それで真の世界の平和が我
が国から、我が国によって世界に実現されることを願う。」
この文を見れば白凡はその時期から物質の力でなく文化の力が世界を動かすという事実を看破していたこと
が分かる。今更のように頭が下がる。彼の精神は日帝の侵略に反対する正義の独立闘争だけでなく、日常の
すべての問題と未来に対する先見の明までそなえていた。
正義であること、「韓民族らしい」ことでなければ決してしない、いわゆる「白凡の精神」はどこで育まれたのだ
ろうか。幼い時に黄海道(ファンヘド)・新川(シンチョン)の清渓洞(チョンゲドン)で儒学者の高能善(コ・ヌンソ
ン)先生に会って漢学の教えを受け、一生これを守ったからではないかと思う。
最近教育界で発生する道理に外れたことたちを見れば「教育自答」できないことらが続々とあらわれている。
教育界に身を置いているすべての人々までも当惑させている。「~らしい」ということはその職種やその階層に
付与する資格要件だとか期待値と見ることができる。したがってその席を良く維持しようとするならそのような
期待値に添う思考と行動をしなければならない。期待値に最小限でなく最大限に近いほどその人は「~らしい」
という言葉を聞く資格ができる。
教育者に特に「教育者らしさ」を要求するのは社会的にさらに高い道徳性を要求されている位置にあるためだ。
謙虚な姿勢できわめて重大な自己の重みをまた見計らってみることだ。
白凡は政府がない時期に首長であった時にも荒仕事をする人のような姿勢で私たちの自尊心を守ってくれた。
筆者も白凡のように教育者として毀損された自尊心が回復することを願う気持ちを一言の願いで表現したい。
「我が国が自分の位置で自らの役割を正しくする『~らしい』人々でぎっしり埋まった国になったら良いだろう。
その国は明らかにとても美しい国であろう。」
イ・ホンジャ ソウル師大女子中校長
ソース:ソウル新聞(韓国語) 2010-02-09 10面
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