10/02/05 23:48:24 KySGlKJd
>>408
済州島では集落のことを kotan(こたん) と言うそうだ。
それから、もう一つ思い出したが、チャシも済州島で使っていたはずだ。
アイヌ語では chasi(柵) だが、やがて砦へ拡大したようだな。
因みに鮮人語で sash が城を意味するそうだが、音が良く似てる。
んで、アイヌ語で「kotan」とは集落のことだが、
この「kotan」は「kot+an」という二つの言葉から出来ている。
即ち kot(窪地、くぼんだ状態) と an(あり) に分けられる。
kotan < kot + an = kot(窪地) + an(あり)
つまり「kotan」とは「窪地、あり」という意味で、
窪地が目立つほどにある状態で、そこに行くと
「ここには窪地があるよな」と感じる様な状況
窪地が多数、あちこちにある状態をkotan(集落)と言うそうだ。
んでさ、それじゃあ、なぜ窪地があちこちにあると、
集落の意味になるのか?なんだが
その理由は、竪穴式住居のことを言ってるからだそうだ。
縄文時代の住居は、地面を掘り下げて作ったと小学校で教わっただろ。
それのことをアイヌが kotan と言ったんだな。
竪穴式住居は縄文時代だけでなく、平安時代まで残っていたと思ったな。
繰り返しだが、北海道のアイヌが済州島まで出かけて
「集落はkotanと言うんだよ」と教えて、北海道に帰ったのではない。
北鮮に出かけて「ここは湿地だからtomamだよ」と教えて帰ったのでもない。
新羅に出かけて「ここは盆地だからshir+raだと」教えて帰ったのでもない。
珍島に出かけて「ここは干潮時に歩いて渡れる海だからchin+toだよ」
と鮮人らに教えて、aynu+moshir(北海道)に帰ったのではない。
日本列島はもちろん、朝鮮半島、東シベリア、カムチャッカ、樺太一帯に
アイヌが先住していたから、アイヌ語地名が残る。