10/02/02 11:02:48
あれから7年がたった。魏巍(ウェイ・ウェイ)被告(30)は福岡拘置所にいる。同じ在日華人の留学生
2人とともに2003年、福岡市の一家4人を殺したとして一、二審で死刑判決を受け、上告審を待つ。
記者は30日までに魏被告と9回会った。丸刈りで、銀縁のめがねをかけた魏被告は視線をほとんど合わさ
ない。雑談では「そうですね」と少しだけ口を開くが、事件の問いにはまったく答えない。
05年の一審判決の数日後、日本人女性(67)が魏被告に面会した。福岡県に住み、キリスト教を信仰して
いる。更生を願い、かつて別の殺人事件の受刑者を養子にした。08年に魏被告も養子にし「生きて償って」
と求めている。
女性は魏被告の両親にも会い、連絡を取り合う。魏被告とは面会を重ね、手紙を数十回やり取りした。そこ
から浮かぶのは、ごく普通の留学生が簡単に犯罪にかかわった実態だ。直接の動機は金だが、背景に親への
遠慮や友人との義理、自身のメンツがある。
■受験に2度失敗
河南省出身の魏被告は地元の高校卒業後、大連で日本語を学んで01年に来日した。貿易を勉強したかった。
工芸家の父にも「近い先進国」と勧められた。福岡市の日本語学校に入り、翌年と翌々年に福岡大を受けた
がだめだった。
日本に残りたいが、学費や生活費を自分で工面できない。来日から2年間で300万円以上をくれた親には
「今度だけはどうしても助けを求めたくない」と頼れなかった。日本に行く直前、親族数十人が壮行会を
開いてくれた。大きな期待を背負っている。このままでは帰れないが、日本に頼れる人はいない。悩む日が
続いた。
そんなとき、専門学校の教室でネットカフェのチラシを見つけ、行ってみた。そこは中国だった。同胞が
大勢いて、夢に出てきた中国語が飛び交っていた。「日本にいることを忘れられる。休める『港』だった」。
港は、4カ月後に待ち受ける転落への出発地となる。
1歳上の中国人店長は優しかった。専門学校に掛け合って授業料を半額にしたうえ、学費にと30万円を
貸してくれた。店長は兄に思えた。いまも「『恩』の一言しかない」と養母あての手紙に書く。
>>2に続きます
朝日新聞 2010/02/
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