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池田大作=成太作(ソンテチャク、1928年1月2日 - )は、新興宗教団体(宗教法人)創価学会名誉会長、
SGI(創価学会インタナショナル)会長、
創価学会元会長(3代目)公明党創設者。
<入信以前>
1928年1月2日、東京都大田区大森北(東糀谷 ひがしこうじや)の朝鮮部落に海苔業者の父、子之吉(ねのきち)と母、一(いち)の間の第6子(5男)として生まれる。
1930年、3歳頃、1923年の関東大震災で大森の地形が変わったため、蒲田(羽田町大字糀谷 こうじや)に移る。
1935年4月、羽田第二尋常小学校(現:大田区立糀谷小学校)に入学。生まれつき体が弱く、栄養失調で3・4回死にかけたこともある。
1936年に父がリューマチで寝込むようになったため、家業の海苔作りを手伝う。兄たちの出兵で家計が苦しくなったため、朝夕の新聞配達もする。
1940年3月に尋常小学校卒業の後、兄が勤めていた「新潟鐵工所」に就職。4月(?)に高等小学校(後に「萩中国民学校」と改称)に進学。
少年・青年時代に多くの在日コリアンと出会い、父から韓国語を習う。
1941年12月8日、太平洋戦争が始まる。1944年、蒲田(糀谷)の家が強制疎開のため壊され、同区馬込町(後に大森区→大田区)の叔母の家に住む。
1945年8月15日に6度目の結核による肋膜炎を患い、茨城県の結核療養所へ入院するための順番待ちをしていた中で終戦を迎える。
1946年、新橋にある「昭文堂印刷」で文選工をする傍ら、私立の「東洋商業高校」(現、東洋高等学校)夜間部の2年に編入学する。
東京都大田区森ヶ崎にある「協友会」に加入。10人余りほどの青年たちと国家や人生や天皇制などを議論する「郷友会」という研究会(読書会)を作り、
学者や労働組合の指導者を訪ねたりする。
高校卒業と同時に「昭文堂印刷」を退社。半年後、京急蒲田駅裏にある中小企業の組合「蒲田工業会」
(現:「蒲田工業協同組合」)に書記として勤務。
URLリンク(www15.ocn.ne.jp)