10/01/23 09:44:00
URLリンク(img.hani.co.kr)
▲中国瀋陽市遼寧省博物館に展示された天孫族の想像図。
日本強制占領期間まで‘満州’と呼ばれた中国東北3省の遼寧省、吉林省、黒龍江省は古朝鮮
はもちろん高句麗、渤海、高麗などの根拠地であったし、日帝強制占領期間には抗日独立運動
が繰り広げられた私たち民族の主要な活動舞台であった。‘民族の聖山’白頭山(ペクトゥサン)の
あちこちに韓民族の息遣いがそっくり残っている。最近、満州一帯では古朝鮮と関連がある遺跡
や遺物が相次いで発掘されている。ところが中国は満州で繰り広げられた私たち民族の歴史を自
分たちの歴史に服属しようとする東北工程を推進している。もしかすると雄大に繰り広げられた私
たち民族の歴史が蒸発する危機に瀕しているのだ。
平和人権団体の良い友(理事長法輪僧侶)は毎年、私たちの歴史の根元を探して‘満州歴史紀行’
を出して若者たちを対象に歴史特講を開催する。昨年11月ソウル、瑞草区平和財団で五回開か
れた歴史特講「青年、歴史に会う」という東北アジア文明の始原の遼河文明から始めて古朝鮮、
高句麗、渤海の歴史と抗日独立運動の足跡をたどった。
法輪僧侶など五分の特講を11回に分けて映像と共にのせる。私たちの民族史に対する正しい理
解をきちんとつかんで歴史的地平を広げる道案内だ。(編集者)
(中略=韓国の古代史解説。長文。写真あり)
私たちは中国より先んじた古代史文明を持っていたが、私たちの文明が衰退してそれの影響を受
けた中国の文明が新しく光り始めた。このように出てきたのが中国の漢国だ。漢国が登場した時
はすでに朝鮮は衰退の道を歩いていた。文化水準は私たちが高かったが、文明水準が衰退する
時は武力が弱くなる。新興強国は経済力と武力が強い。結局、漢四郡の侵攻を受ける。その後は
中国の文明が先んじて私たちが文明的に遅れをとって私たちが逆に影響を受けた。
文明は留まるのではなく流れるものだ。中国と私たちは近いので互いに影響しあった。(古代史
以後)最近まで千年以上、私たちが中国から影響を受けた。そのため、今、私たちの文明が中国
文明の亜流のようになった。しかし、誇張ではなくこれは歴史的事実と違う。何年か前ならこういう
主張は雲をつかむような話だったが、最近、私たちの古代史を復元する遺跡が満州一帯で相次
いで発掘されている。桓雄、檀君時代の話が伝説ではなく歴史的事実であることを証明できるお
びただしい遺跡と遺物があふれているのだ。それが遼河文明だ。(中略)
私たちはなぜ中国に対して文化的劣等意識を持ったのだろうか?高句麗が滅亡して私たちの過
去の歴史、倍達、朝鮮時代の歴史がみななくなった。唐は高句麗に恨みを抱いて高句麗を滅族さ
せようとし、歴史の本を一つ残らず燃やした。それでも渤海が建国されてその資料を一部復元し
た。ところが渤海も異民族によって滅亡した。そして歴史継承は新羅がした。新羅は倍達時代、朝
鮮時代、扶余時代の話がない。新羅は高句麗と戦ったので高句麗時代の歴史も残さなかった。
高麗は高句麗の過去の遊民が入り、高句麗を継承するとしたので伝え聞いた話を中心に過去の
歴史を記録としてたくさん残した。しかし高麗も元の侵入を受けて100年近く戦い滅亡したのでそ
の過程で資料がほとんど消失した。
朝鮮時代には自発的に事大した。「中国は偉大な国家で歴史が古い」と事大したが、昔を見れば
私たちの歴史がさらに長く、文明もさらに高かったということが出てくる。これを中国から見れば大
変なことになるから禁書になった。それと共に私たちの歴史も民族の記憶の中に消えていった。
>>2-5のあたりに続く
法輪僧侶パク・ジョンチャン記者
ソース:ハンギョレ新聞(韓国語) 中国より先んじた文明、天開いて平和国家で[韓民族の始原、満州]
URLリンク(www.hani.co.kr)