10/01/12 21:40:22
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一見、見ただけではわからない。
どこがソウルでどこが東京か。また、誰が韓国人女性で日本人女性なのかも。日本のフォトグラファー、
溝部秀二氏(44)が最近、日本で発表した写真集「here and thereソウル/東京」のことだ。
この写真集は、ソウルと東京の街で若い女性を撮ったスナップショットを編集したものだ。きちんと見極め
なければ、また写真の下の説明を読まなければ、容易に区別がつかないほど似ている。
「似るほかないもの、似たくないが似てしまったかもしれない姿を撮った」。22歳のとき、大学の応用
物理学科を中退した同氏は5年ほど肉体労働のアルバイトをしたが、27歳に写真を撮りたくなり中古の
カメラを買った。それから東京総合写真専門学校に入ったのが97年。今は社会福祉施設に勤め、週末には
写真を撮っている。
同氏がソウルと東京の街でスナップショットを撮りはじめたのは02年。東京では天気さえ良ければ、ほぼ
毎週の日曜日写真を撮りに出かけた。およそ200回に上る。ソウルはここ6年間、12回ほど訪問した。
毎回、新村(シンチョン)付近の安い旅館に約5日間泊まり、明洞(ミョンドン)や新村、大学路(テハンノ)
など若年層が集まる繁華街で撮影をした。
どうしてソウルだったのか。同氏は「韓日関係の地理的かつ歴史的な親密性のため、ソウルを選んだ」と
した後「両国の首都で、意外と似ている部分をカメラに収めた」と話した。続いて「若い女性は服装や化粧
など都市を象徴する文化に敏感なので、それらに焦点を当てた」と説明した。
日本のフォトグラファー、溝部秀二氏は主に、被写体を1.5ほど近接した距離から撮った。その過程で
誤解されたこともたくさんある。中年の男性が20代女性にカメラを向けたからだ。誠信(ソンシン)女子
大前で写真を撮る途中、女子学生につかまり、警察署に行ったこともあった。韓国人の友達が事情を説明し、
フィルムを返した後でようやく解放されたという。
そのようにして撮影したソウルと東京の風景はフィルムで約2500本に上る。作家はこれまで東京で4回、
個展を開いた。昨年2月にはソウルでも作品を公開した。
「ナショナリズムや国粋主義などと言ったものに触れられるほど知識が深くない。しかし日本が植民支配時代
(1910~45)に韓半島で行った蛮行は弁解の余地がない。日本の経済成長が韓国戦争(1950~53)
の特需によるものという点も注目すべき部分だ。歴史的事実を事実として認識すべきだと考える」。
同氏は他者、つまり自分ではない他人の意を尋ねてきた。「私たちが日常的に接する他者は果たしてどんな
存在だろうか。数多くの共通点をもっていても、厳然とした異なる存在。東京とソウルという両都市も同じで、
似ている部分とそうでない部分を同時に持っている存在ではないかと思う」。
中央日報 2010/01/12
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