10/01/07 22:45:21
今から100年前、私たちはまちがいなく「ルーザー(敗者)」であった。大韓帝国が日帝によって併
合され国権を奪われたのだ。この庚戌国辱をどんな気持ちで再確認しなければならないか。35年
というとても長い忍苦の歳月の間、亡国の悲しみを抑え切れなかった私たちの民族はまるで暗い
洞窟の中に生きるコウモリの姿を彷彿させた。コウモリのように洞窟の中で生きれば目が見えなく
なるほかない。日の光が明るく映る大明天地の洞窟の外なら、神社参拝して創氏改名するなど、
目をつぶって生きる者がどこにいるだろうか。
しかし、暗鬱だった亡国時代の人生はまっ暗な洞窟の人生と異ならず、その誰もがコウモリのよう
に目が見えなくならずには生きていけなかった。まっ暗な洞窟の中でコウモリの目以上のものを持
たなかったからといって、そのコウモリを非難できるだろうか。それよりはその洞窟の中のコウモリ
のように暗い生活を送るよう強要したり放置した人々の責任を問わなければならない。この点こそ
日帝の野心に憤然と対抗出来なかった朝鮮末為政者らの愚かさが長く残る理由だ。
私たちの民族は断じて「亡国のルーザー」になるべきではなかった。まさにそれがこの時点で私た
ちにとって最も重要な教訓だ。強制的に連れて込まれた洞窟の中で目を完全に閉じたか、半分ぐ
らい閉じたかという点を論議するより、再びそのような暗いところに連れて行かれないように力と知
恵を集めて悲壮な決意を新たにしなければならないという意味だ。庚戌国辱を考える時の話題が
「抗日」より「克日」にならなければならない理由がここにある。
庚戌国辱は何人かの人が国を売り飛ばしたために起きたわけではない。国というものは「奪われ
る」のであって「売り飛ばす」のではないためだ。ロシアは米国にアラスカを売り払った。だがアラス
カは主権を持った国ではなかった。私たちの場合、売国奴によって国が売られたのではなく、日本
によって国を奪われたのだ。奪われた理由は簡単だ。力と知恵がなかったためだ。それで今こそ
国を奪われた「ルーザー」になった後、「親日」したかを持って甲論乙駁するよりは主権を持った
「ウィナー」としての国力を育てるために何をしなければならないかを考える時だ。
再び国を奪われないように富国強兵の未来に向かって進むことがそれだけ重要だ。このために人
材大国を作って「人集め」をしなければならない。荒れ地にのようだった私たちの電子業界が最近、
日本を締め出すことになったのも外国にまで手を伸ばして人材を集めるために、ありったけの力を
ふりしぼったためだ。
しかし昨年末に出た親日名簿は人材大国のために「たし算思考」でなく「引き算思考」の決定版と
いえて残念だ。それは大の字の「大韓民国」を作る代わりに小さい「小韓民国」を作る愚かな行為
だ。克日の大韓民国を作って育て守るために文化・教育・メディア・宗教領域で献身した人材を「親
日派」として「引き算方式」で共同体から追放したら、私たちには何が残るのか。亡国の痛みを教
訓とするならば、共同体をずたずた破る「極小化の思考」より共同体の質と量を豊かにさせる「極
大化の思考」をしなければならない。「極大化のメンタリティ」でなく「極小化のメンタリティ」では持
続可能性を持った「ウィナー」の共同体を作ることができず、日に日にその勢いを増す日本と中国
の間でサンドイッチ型「ルーザー」になるのがおちである我が国を堅固に守ることはできない。
私たちの社会には朝鮮時代の英雄は多く、また彼らを賛えるアイコンも多い。「退渓路(トェゲロ)」
や「忠武路(チュンムロ)」と名付けられたソウルの道を見よ。だが過去65年間、民主共和国を作っ
て育てるために血と汗を流した人材を英雄とするにはケチだった。様々な理由で功は放置し、過ち
だけ見る引き算思考に一貫した結果だ。しかし、産業荒れ地時期海外で人材を連れてきて産業強
国を作るのに大きな助けを受けたことを思い出すならば、大韓民国を作って育てるために心を尽く
した我が国の人材を果敢に「功労者」とみなす必要がある。それでこそ日本と中国に対抗して千
年の間、隆盛する富国強兵の国家を作る精神的軸にできる。まさにこれこそが亡国の庚戌国辱を
再確認する「ウィナー」の心がけだろう。
朴孝鍾(パク・ヒョジョン)ソウル大教授・倫理教育科
ソース:中央日報(韓国語) [中央時評]100年合った'庚戌国辱'、私たちに何か
URLリンク(news.joins.com)