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>>1の続き
在日の住まいを担当した前潟さんは、1934年9月から翌年2月にかけて、東京府学務部社会課が行った東京市内の
集住地区に関する調査報告をもとに作業を進めた。
集住地区は不良住宅密集地区や工場、工事現場の近辺に形成された。
最も人口が多いのは、深川の4300人。41年に環境整備を目的としてバラックを建設。
旧深川区内に不法住宅を構えていた同胞約1000人を中心に、強制的に移住させたことが始まりとされる。
報告書にある集住地区は6カ所だ。いずれの地区も環境は劣悪。
深川区塩崎町では66戸の住まいに対して、トイレは1カ所。
ほかも水道、電気などの設備がない生活環境に置かれていたことが分かる。
戦後の国の差別も知る
前潟さんは「戦後とくに大衆の差別に加え、国の差別があった。
現在も就職や入居差別はある。社会保障という問題が人の生活を追い詰め、生活を変えてしまう」と憤る。
長井さんは当初、同胞の子育てについて調べる予定だった。だが、ハルモニたちは「食べさせることだけで精一杯、
どう子育てしたのか覚えていない」という返事。その後、衣服全般の調査に切り替えた。
洗濯では白いものをより白くするために、手洗い、煮洗い、棒で叩き洗いをした後、糊づけした衣服を
砧打ちするという過程を知る。
また、同胞の統制と同化を目的とした協和会が全国的に組織されると、民族服を着るオモニたちに和服着用を
強いるための着付け教室や、和裁教室などが開かれたという事実を知る。
新潟でハルモニたちの聞き取りをした里村さんは、冠婚葬祭を担当。
感じたのは、祖国の姿に少しでも近づきたいという1世たちの強い思いだ。
婚礼衣裳は伝統様式でと、チマチョゴリを着用する同胞も少なからずいたという。
メンバーたちはこれからも、出会ったハルモニら在日との関係を大事にし、さらに交流を深めたいと語る。
>>3へ続く