09/12/29 05:42:44
(*>>1の続きです。)
≪負うべきものを放り出す≫
ところが野党民主党は最高検察庁による不正資金疑惑捜査が盧氏を死に追いやったとして李明博政権
を批判し、政府は盧氏を国民葬とすることで盧氏支持者たちの反発をかわした。さらに検事総長を辞任させ、
盧氏親族の捜査を打ち切った。遺体の司法解剖もついに行われなかった。これで李明博政権が国策捜査
を認めたことになるから、今度は政府批判が始まり、政権は倒れるはずである。ところがこれもそうはならな
かった。
このように朝鮮の為政者は、いつも負うべきものを放(ほう)り出すのである。李朝の仁祖は満州軍に民衆
を放り出した。1905年、第2次日韓協約の時、高宗は朝鮮の命運を5人の大臣たちに丸投げした。韓国
初代大統領の李承晩氏は国民を棄てて亡命し、1997年の金融危機の際、金泳三氏はIMF(国際通貨基金)
に国を投げ出した。最後に盧武鉉、李明博両氏が民主主義自体を放り出した。韓国人の意識構造の「恨
(ハン)」とは、為政者に放り出された民衆の嘆きから始まるのである。
さて、日韓両政府の支援により2007(平成19)年に始まった「第2期日韓歴史共同研究委員会」がこのほど
終了した。筆者は今期から設けられた教科書小グループのチーフだったが、実に虚(むな)しい2年間を過ご
した。論争好きな彼らに引きずられテーマ設定に1年間を要し、いざ共同研究が始まると、韓国の委員は
4、5冊、多くて10冊の教科書資料しか読んでこなかった。「日本帝国主義」「右翼教科書」などという用語を
使い、政争の観点しか持たない彼らを諄々(じゅんじゅん)と諭す以外にはなかったのである。さらに韓国側
が名指しで人身攻撃を行っても、日本側委員長はわれわれ委員を守ることがなかった。私は「恨」を感じた。
(ふるた ひろし)
(*以上です。)