09/12/29 05:41:30
- 【正論】筑波大学大学院教授・古田博司 国家の正統性確立に苦しむ韓国 -
≪発展の遅れた半島の李朝≫
来年は日韓併合100周年にあたり、韓国の反日運動の盛り上がりが予想され、また日本の一部学者
が同調する動きもある。以下、事実を指摘しておきたい。
歴史上の朝鮮は、満州から半島へと廻る回廊の上に立つ、いわば回廊国家であった。
大陸に清国を建てた、第1代ヌルハチと次代ホンタイジの年代記、『満文老档(まんぶんろうとう)』が当時
の満州語で残されている。満州軍は清国建国前に朝鮮侵攻を行うが、奉天に集結した軍が朝鮮に南下し、
京城を抜くまでにたった2週間しかかからない。半島の東側は険しい山岳だが、西側は何の要害もない
野原だからである。もとより守り防ぐことのできない国であった。ゆえに侵略の報が入るや、王は海浜の
江華島へと逃げ去った。
満州やモンゴル諸国から見ても、大陸の明朝と半島の李朝は兄弟国であった。明は白蓮(びゃくれん)
教徒の明主が建てた国だったので明という。元朝に宗教反乱で立ち向かい、モンゴル人の放漫な紙幣濫発
(らんぱつ)政策に対する反省から、当初は反商業的な国家として誕生した。同時期成立の李朝はこれを
真似(まね)し、明がそれを捨てて発展していたころ、なおも反商業的であった。
商店も筆屋と鍮器(ちゅうき)屋くらいしかなく、人々は市場と行商人に頼っていた。曲げ物の技術がなく、
車輪も樽(たる)もない。物は背負子(しょいこ)に担いで人が運んだ。染料も顔料もないので、民間人は白衣、
陶磁器は白磁だった。李朝は、いわば世界が中世期の頃に、古代国家として発生したインカ帝国に近い
存在として特筆される。
≪日本の思い出にさいなまれ≫
このような国を植民地とした近代日本から染料が入ると、白衣は柄入りで染められて「倭風」と称され、
リヤカーが来ると車がなかったため、ハングルで「クルマ」と呼ばれて今日に至っている。日本植民地時代
に朝鮮が年平均で3・7%の経済成長を遂げたことが韓国人研究者の実証研究でわかっており、もはや
隠すべくもない。
戦後、朝鮮は南北に分断されたが、韓国は38度線のおかげで史上初めて中国の勢力圏を逃れることが
できた。三方を海に囲まれ、北方には行けず、いわばこの国は島化したのである。他方、北朝鮮は中国の
勢力圏に残りつづけた。
韓国はアメリカによって解放され、北朝鮮は極東ソ連軍の連れてきた傀儡(かいらい)から国が始まる。
独力で得た独立ではないため、国家の正統性がない。北朝鮮は金日成が満州で抗日していたので少しは
あるが、日本軍が強すぎて朝鮮領内に入ることすらできなかった。北朝鮮は金日成の抗日を誇張し、中国
の勢力圏にある現況を表向き否定しなければならなかった。こうして主体思想が生まれる。一方、韓国は
日本の思い出にさいなまれ続けることになった。韓国が国の正統性を確立するには、日韓併合条約を無効
とし植民地時代を抹殺するか、民主制の成熟しかなかったのだが、後者は流産してしまう。
2009年5月23日、前大統領の盧武鉉氏が自宅の裏山から飛び降り自殺をした。親族の収賄関与容疑
で最高検察庁の事情聴取の最中だった。自殺の時点で盧氏は関与を認めたことになり、遺体は司法解剖
に付され、親族の収賄の捜査が本格化するはずである。
(>>2以降に続きがあります。)
ソース : 産経 2009.12.29 02:44
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