09/12/25 00:28:42
>>1 の続き
ヨルボクはまだ続く。カナダやニューヨーク、パリでは韓国人があまりにも多いので、韓国について
誰よりもよく認められたが、東アジア圏と交流が少し減るスカンジナビア、東ヨーロッパ、あるいは
さらに米国南部地域では、韓国は遠くにある分断国家とだけ知られていて、初めて会った私があ
たかも難しい状況の分断国家から難民にきたと勘違いする視線が常に私を困らせた。
どの家にもサムスン、LGのコンピュータやテレビがあり、毎日仕事場で現代、起亜自動車に乗っ
ても、大部分の人々はこれらが「韓国KOREA」製というはっきりした意識を持っていなかった。「日
本製じゃなかったの?」と言う人もいて、アジアブランドであることは知っているが「韓国」製という
よりは、単にアジアにある国ぐらいと考える人もたくさん見た。
若い子供たちが集まるパーティーに行ってどこから来たか尋ねる人々に私が韓国人といえば、大
部分「あ、そうなんだ」で終わってしまう人も多く、「ところで君は、どうしてアメリカ英語ができる
の?」と言う人や「それじゃ、ジャッキー・チェンが君のパパなの?」と言ったあきれた人にも会った。
しかし私のそばにいて英語も短かった日本人たちには常に「東京から来たの、それとも大阪か
ら?」「私に日本語ちょっと教えて!とっても習いたいんだ」と関心を見せたり、あるいは「アリガト」
くらいのやさしい言葉は必ず言っていた。