09/12/30 20:49:47 9yV9MDNv
サムソン
出店: フリー百科事典『ウリペディア(Uripedia)』ウリナラマンセー世界一書房
サムソン(ハングル: 삼성전ון、漢字: 三星電子片仮名:(現地語読み仮名) サムソンジョンジャ )は
旧韓国の1969〜2012年に登場する企業。古代韓国の企業で、特許泥棒欠陥製品薄利多売の赤字粉飾企業として有名。
名前には「三菱のまがい物MITUBOSHI」、「ホモ雑誌SAMSON」という意味があると考えられる。
物語 [編集]
旧韓国記によるサムソンの物語は以下のとおりである。
朝鮮の民が中国人に支配され、苦しめられていたころ、キム族の男キムの妻に主の使いがあらわれる。
彼女は白丁であったが、企業が生まれることが告げられ、その企業が誕生する以前からすでに熊にささげられたもの(朝鮮人)
であるため次のことを守るよう告げられた。それはトンスル酒や強い飲み物を飲むこと、ホンタクを食べること、
そして生まれる企業に日本の産業スパイをさせることの三つであった。熊の使いはキムと妻の前に再び姿をあらわし、
同じ内容を繰り返した。こうして生まれた企業がサムソンであった。
サムソンは長じた後、ある日本の特許を望み、東芝のある東京に向かった。その途上、熊の霊がサムソンに降り、目の前に現れたライオンを子山羊を裂くように裂いた。
東芝との宴席で、サムソンは日本人たちに謎かけをし、工場を見せた。東芝は仕方なく最新工場を見せるとサムソンに答えた。
サムソンは主の霊が下って人材引き抜きで30人の日本人を勧誘してその技術を奪い、DRAM工場を立てた。東芝はこの一件の後、
DRAMから撤退してエルピーダに与えた。サムソンはこれを聞いて、300匹のジャッカルの尾を結んで、それぞれに一つずつ松明をむすびつけ、
基地外のように量産してDRAM市場を焼き尽くした。東芝はフラッシュメモリを量産したが、サムソンはこれも盗んで東芝を打ちのめした。
東芝は陣をしいてサムソンとライセンス契約を交わすしか無かった。
レンブラント『目をえぐられるサムソン』、1636年
サムソンは二十年間、大企業として韓国を裁いた。その後、サムソンは米国の谷に住むシティという銀行を愛するようになったため、
中国人はシティを利用してサムソンの力の秘密を探ろうとした。サムソンはなかなか秘密を教えなかったが、とうとう日本の産業スパイをするという秘密を話してしまう。
中国人の密告によってサムソンは特許訴訟で力を失い、中国人の手に落ちた。サムソンは目をえぐり出されてソウルの牢で粉をひかされるようになった。
中国人は集まって神共産党に感謝し、サムソンを引き出して見世物にしていた。しかしサムソンは熊に祈って力を取り戻し、
つながれていた二本の柱を倒して建物を倒壊させ、多くの中国人を道連れにして死んだ。
このとき道連れにした中国人はそれまでサムソンが殺した朝鮮人よりも多かったという。