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「私有財産がないから貧富格差がなく、真珠や宝石は子供たちのおもちゃに使われる。」
トマス・モアが1516年に出した「ユートピア」は地球上どこにもない理想郷を描いたという点で西洋
版桃源郷に属する。当時、英国社会は農耕地を牧草地にして羊を育てる「エンクロージャー」運動
が熱病のように広がっていた。国際的に羊毛の値段が大きく上がるや、小作人からわずかな小作
料を受けるよりはいっそ羊を育てて大金を儲けようという動きが上流社会に広がった。結局、一日
で農耕地から追い出された農民は浮浪者や泥棒に転落し、英国王室がこれらを暴徒と規定、無
慈悲に死刑に処することで民心は荒れ始めた。そのように見れば、500年後の韓国、龍山(ヨンサ
ン)でも類似の悲劇は繰り返す(訳注:龍山惨事を指す)。
トマス・モアが夢見た「ユートピア」建設は彼の後継者の理想主義者と革命家らによって地球村の
あちこちで絶えず試みられたが、大部分は数多くの犠牲だけを残したて失敗で帰した。ところが、
地球上で、それも人口1億を越える国家でトマス・モアの「ユートピア」精神に最も接近し具現化し
た国家があるとしたら?
中国より共産主義的でロシアより社会主義的で北朝鮮より全体主義的という面で、日本は明らか
に共産主義国家だ。共産党が政権をとったことはないが、共産党が執権しても外形上特別な変化
はないという考えは説得力がある。実際に2009年総選挙で日本共産党が掲げた最大公約の一
つが「医療費無料化」と「児童手当て2倍引き上げ」という極めて平凡なスローガンだった。
「エコノミック・アニマル」と皮肉を言われながらも人間の欲望を商品化するには一見識がある日本
が資本主義でもない共産主義国家だなんて?理由はまさに日本国民の人生がトマス・モアの「ユ
ートピア」が指向する生活に相対しているためだ。例えば、列島に住む日本人たちはすべての面
で驚くべきほど似た人生を営んでいる。貧民村とタワーパレスがある町内に共存して、一坪長屋
から100坪を軽く越える高級マンションに至るまであらゆる種類の多様な家に住む韓国と違い、都
市-農村を問わず住宅の大きさが驚くほど似ているのが日本だ。自動車も別段違わない。(中略)
日本が共産国家と考えるもう一つの制度が「児童館」に代表される育児施設だ。小学校近隣に必
ず一つずつ設置されているはずの「児童館」はそれこそ夕方6時まで子供たちを無料で任せること
ができる場所だ。さらに驚くべき事実は、このような‘保育園’と‘児童館’が土曜日はもちろん、公
休日と日曜日まで含む1週間ずっと門戸を開いていること。小学校の子供たちは学校授業が終わ
った後も「児童館」で町内の友人と一緒に思い切り走りまわって両親が帰ってくる時間に帰宅する
のが一日の日課だ。韓国で共稼ぎ夫婦が子供を育てる時は放課後の時間をどうするかが最も大
きな悩みだった私たちの家族にそのような面で日本は明らかに「ユートピア」だ。
みんなが同じような大きさの家に住み、同じように出勤し、育児や児童医療費に特別な負担がな
いことを見ると、生活水準や一日の日常が似てくるのは当然だ。さらに、生活保護対象者はもちろ
ん、老人福祉もうらやましいほどよくなっており、外見だけ資本主義であって、中身は共産主義国
家なのが日本だ。このような日本をよく表現したスローガンが他でもない「1億総中流」。1億の国
民がすべて中流層の生活を送れるように保障するという1970年代のスローガンはその後、日本と
日本人の自負心を頼もしく表わす代名詞になった。
そのような面で見る時、1990年代に入り「1億総中流」の神話を崩して国民を「持つ者」と「持たざ
る者」、「勝者」と「敗者」に冷酷に分けてしまった小泉元総理(自民党)の新自由主義政策は共産
主義日本を資本主義日本に一挙に変えてしまった暴挙中の暴挙であった。これに対して、日本国
民は2009年総選挙を通じて55年ぶりの政権交替を成し遂げることによって新自由主義の反乱を
鎮圧させた。そのような意味で、日本は相変らず共産国家である。
シム・フン翰林大教授
ソース:世界日報(韓国語) [シム・フン教授の日本を見れば韓国が見える]日本は共産国家だ?(一部抄訳)
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