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■■■■■■高森アイズ-南京大虐殺 へのソボクな 3つの疑問 ―はじまりはいつも朝日新聞(要約★)■■■■■■
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■疑問1 南京記念館は何故1985年(建国後36年経過)まで作られなかったのか?
首都だった南京で30万人も虐殺されたら中国共産党政府は1949年の建国直後に記念館を建設するはず。
日本では東京大空襲の6年後のS26年に、犠牲者のために東京都慰霊堂を整備している。答えの可能性は2つ。
・答え① 大虐殺が嘘だった。
・答え② 30万人の同胞が殺されても無視するほど中国共産党は冷酷。
■疑問2 中国の教科書は何故1981年まで南京大虐殺を「一切」取り上げなかったのか?
中国では国定教科書なのに不思議。答えの可能性は2つ。
・答え① 大虐殺が嘘だった。
・答え② 30万人の同胞が殺されても無視するほど中国共産党は冷酷。
■疑問3 日本の教科書は何故1975年(S50年)まで南京大虐殺を「一切」取り上げなかったのか?
日本では、GHQの指導によって占領下の一部の教科書に「虐殺」ではなく「残虐行為」と記述されたのみ。
これはゲリラ兵(便衣兵)に対するものであった。
初めて虐殺について触れた1975年(S50年)の教科書は3年前のS47年に作成されS50年に検定された。
S47年からS50年までの間に新史料の発見があったのだろうか?
・答え 新史料は何も無かった。
ただ、S50年度版の教科書作成が進められている時期に合わせて、朝日新聞紙上で本多勝一記者の「中国の旅」
という連載と、その単行本化があっただけ。そして、本多勝一本人も中国共産党の政治プロパガンダをそのまま載せ
ただけと開き直り発言をしている。もともと「南京大虐殺」は国民党の東京裁判のための戦時プロパガンダである。
共産党のプロパガンダは「三光作戦」だったので、共産党は南京大虐殺には冷淡な反応だった。ところが、朝日新聞の
大々的なキャンペーンのおかげで中々効果があると気が付いたので、共産党は政治カードとして利用するようになった。
結局、教科書作成者が中国共産党と朝日新聞のプロパガンダに踊らされてしまったというわけだ。
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