【中央日報】現代車、日本市場再挑戦で成功するには★2[11/30]at NEWS4PLUS
【中央日報】現代車、日本市場再挑戦で成功するには★2[11/30] - 暇つぶし2ch390:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
09/11/30 23:31:00 nOFRcIoA
>>384
日本人が最初に電気自動車を目にしたのは1901 年(明治34 年)に在米日本人が皇太子
(後の昭和天皇)の誕生祝いとして米国製電気自動車を皇室に献上しだのが最初らしい1)。
その後1911 年に東京電灯が輸入したものをモデルに日本自動車(株)を設立して最初の電
気自動車の試作が行われたとされている。この頃アメリカでは電気自動車が盛んに作られ
た時期でもある。多分それに刺激されたのでもあろう、続いて1917 年に京都電灯と日本電
池がデトロイト号を輸入した2)。このデトロイト号は凸型の車体をしていて、筆者が子供の
頃(1930 年末)京都の町を優雅に走っていたのを良く覚えている。この頃は事業として電
気自動車が売れる状態ではなく、試作を重ねる事が目的であったと思われるが、1920 年を
過ぎるとアメリカでの電気自動車の生産は急激に萎んでしまったので、日本での試作はそ
れ以上続かなかった。
しかし1930 年になると日中戦争の拡大と共に国内の石油需給の逼迫に悩まされた結果、
自動車の代替燃料が求められ、電気自動車の研究も行われるようになった。そして中島製
作所、日本電気自動車などで電気自動車の製造販売が始り、敗戦までの10 年間1935~1945
年で小形電気自動車の生産台数は約1500 台に達する3)。図はそのとき試作された物の一例
である。そして第2 次大戦が終わった1945 年頃には電気バスが、大阪市や、名古屋市で電
気バスを運行していた。戦後(1945 年以後)も燃料不足は解消されることはなかったので
国策として自動車用代替燃料の研究は機械試験所においても続けられた。
一方、戦争中軍用機を作っていた立川飛行機は仕事がなくなり、その技術力を電気自動
車の開発に振り向けるべく、東京電気自動車(株)を設立して市販電気自動車の開発を行
った。この性能は機械試験所において優れた性能を持っていることが評価され、「たま」の
愛称で売り出された。それとともに会社の名称もたま電気自動車(株)に変更している。
そして1949 年には3299 台の電気自動車が走っていたという記録がある4)。しかし、ガソ
リンの供給力が増すと共に電池の価格の高騰もあり電気自動車からガソリン自動車に主力
は移っていくことになる。その後、皇太子の御成婚にちなんで名付けたガソリン車「プリ
ンス」を発売すると共に社名もプリン
ス自動車(株)に変更する。このプリ
ンス自動車は後に日産自動車(株)と
合併し、今日の日産に至っている。
従って日産は戦後に限れば電気自
動車の草分けと考えられるが、日本の
電気自動車開発史の中では先行者と
はいえない。また電気自動車開発の方
向をリードした機械試験所はその後
再び同じような役割を担うことにな
る。
1) 巽 良知 加藤四郎 電気自動車の現状及


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