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「テツオは北朝鮮で死んだと、うわさされてたぞ」
「やられてたまるか」
7月18日、大阪市内のすし店。北朝鮮から家族で脱北した梁哲男(50)(仮名)を、
洪淳祥(51)ら中学時代の同級生十数人が囲んだ。三十数年ぶりの再会。それでも
遠慮のない会話は昔のままだ。
中国へ脱北後、梁は在北時に帰国者仲間のつてで調べてもらっていた洪宅に電話し、
助けを求めた。それがきっかけで、脱北者支援NGOの関係者が現地で梁一家を
かくまい、9か月後に外務省から渡航証明書が発行された。
同窓会は、梁の来日を祝って洪が仲間に呼び掛けた。皆が通ったのは朝鮮総連系の
民族学校。近所で日本人の少年らといさかいが絶えなかった分、仲間の結束は固かった。
北朝鮮帰国の際は、洪宅に同じメンバーが集まり、ちらしずしで送別会を開いてくれた。
しかし、民族差別のない世界を夢見て渡った祖国で、梁は資本主義国から来た“異邦人”
扱いされた。「俺ら『在日人』や。大阪でやり直せや」。ビールをつぎながら掛けてくれた洪の
言葉がうれしかった。
折からこの日早朝、梁一家に三男が誕生していた。「日本に戻れたのは皆が守ってくれた
おかげ」。感謝を込め「守」と名付けた。ところが生後まもなく、守には内臓に重い障害が
見つかった。2度の手術費は430万円にもなった。
帰国者も一般の外国人と同様、短期滞在(90日以内)資格しか与えられない。
国民健康保険に加入できる定住資格を得るには約2か月かかり、その間の医療費は全額
本人負担だ。脱北ブローカーに1万ドル(約90万円)以上支払った梁に所持金はほとんど
残っておらず、病院の費用はNGO関係者に立て替えてもらった。
NGOの世話で見つけた大阪郊外のアパートで、守は元気に手足を動かすようになった。
やせこけていた妻も少しふっくらしてきて、キムチを漬け始めた。
「おびえることのない暮らしを守りたい。そして皆に恩返しを」。古里で自立を目指し、梁は
職探しに忙しい日が続く。
(敬称略)
(2009年11月21日 読売新聞)
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ソース:読売新聞